2016年05月20日 10:32 弁護士ドットコム
弟と祖母を殺害したとして、殺人罪に問われた男性の裁判で、東京高裁(大島隆明裁判長)は5月11日、懲役8年とした一審(長野地裁松本支部)の裁判員裁判の判決を破棄し、男性を無罪とする判決を言い渡した。「被告人は心神喪失状態だった」として、刑事責任能力がないと判断した。
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一審では、男性が心神喪失状態だったことを弁護側が主張せず、長野地裁は心神耗弱状態だったと認定しつつも、有罪判決を言い渡していた。一方、控訴審から担当した弁護人は「男性は心神喪失状態で、罪に問えない」と主張。男性を精神鑑定した医師とは別の医師の意見書などを提出していた。
東京高裁は、男性は統合失調症による妄想で「悪魔が祖母を使って弟を大量殺人者に育てた」と思い込んだと認定した。こうした点を考慮していない一審判決は「事実誤認がある」とした。
心神喪失かどうかはどうやって判断するのだろうか。心神喪失の場合、無罪とされるのは、どんな考え方に基づくのか。今回の判決のポイントについて、刑事手続に詳しい神尾尊礼弁護士に聞いた。
「責任能力は、なかなか一般には受け入れられない制度であると感じています。罪となるべき行為をしていながら無罪になってしまうのは、一般的な感情では理解し難いと思います。そこで、簡単ではありますが制度の概要から始め、今回のケースを通じて説明していきたいと思います」
神尾弁護士はこのように切り出した。
「心神喪失とは、精神の障害によって弁識能力または制御能力がない状態であることです。
弁識能力とは、その行為が悪いことだと分かる能力です。制御能力とは、その行為を思いとどまる能力です。悪いとそもそも分からないような状態か、悪いと分かっていてもブレーキが利かない状態だと考えてください」
なぜ、心神喪失は無罪だと考えられているのか。
「理由付けには様々なものがあります。悪いと分からなかった、ブレーキがかけられなかった人間には、刑罰を科しても再犯防止につながらず無意味であるとか、社会的な非難が加えられないなどといった説明されています。
なお、無罪になったとしても、通常はすぐに社会に出るわけではなく、医療観察法上のいわゆる治療(入院など)が始まります」
心神喪失かどうかはどうやって判断するのか。
「専門家である精神科医の鑑定が尊重されます。
鑑定は、起訴前に行われる起訴前鑑定(主に捜査機関側の資料に基づくもので、弁護人はあまり関与できません)と、起訴後に行われる正式鑑定(裁判所が命じるもの)が主なものになります。
最終的に心神喪失に当たるかどうかは、様々な事情を総合して判断しますが、特に(1)犯行動機や犯行が妄想などの病的体験に直接支配されていたか、(2)異常性が本来の人格からかけ離れているかなどを重視する傾向にあります」
今回の判決はどう考えればいいのか。
「第一審は、起訴前鑑定にのっとって、検察側・弁護側双方ともに心神耗弱であることは争わないとしていました。これはこれで弁護方針としてはあり得るところでしょう。
控訴審の弁護人は、他の医師の意見を聴くなどして調査を深めていった結果、起訴前鑑定に疑問を持ち、他の医師の意見書を提出するなどしました。
その結果、起訴前鑑定に不合理な点があるとされ、妄想の影響が強かった、異常な犯行だったなどの理由から心神喪失であったとされています。
『弁護人は罪を軽くするためにとりあえず心神喪失を主張する』などと揶揄されることがありますが、事実は全く逆です。責任能力は法律的知識と医学的知識が交錯するところであり、相当な知識や経験がないと枠組すら組み立てられない、難しい主張です。他の医師に聞きに行くといった足で稼ぐところも必要です。
また、無罪となった後も、医療観察法上の手続などが待っており、際限なく関与せざるを得ないときもあります。
罪を犯した人間を、もう二度とやらないようにするにはどうしたらいいか、淡々と刑務所に入れるだけでは足りないときにはどうしたらいいか、そういった視点から、弁護活動や医療観察制度などをみていっていただけるとよいと思います」
神尾弁護士はこのように述べていた。
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
神尾 尊礼(かみお・たかひろ)弁護士
東京大学法学部・法科大学院卒。2007年弁護士登録。埼玉弁護士会。刑事事件から家事事件、一般民事事件や企業法務まで幅広く担当し、「何かあったら何でもとりあえず相談できる」事務所を目指している。
事務所名:彩の街法律事務所
事務所URL:http://www.sainomachi-lo.com