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今井雅之さん、郷ひろみの人気ぶりに感動して役者の道へ

2016年05月18日 20:30  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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  “自衛隊出身の俳優”という異色な経歴の今井雅之さん(享年54)が病魔に倒れてから1年。そんな今井さんの姉・陽子さんに話を聞いた。 絶対的な権威を持っていて、一家の隊長のような存在だった父親は、今井家でテレビのチャンネル権も握っていたそうだ。 「必ず見ていたのはプロレスと戦争映画。雅之が格闘技とか少林寺拳法とか武道に興味を持つようになったのはプロレスを見ていたからでしょう。父は洋画が大好きで、雅之も英語はわからなくても字幕で楽しんでいました。それで映画に興味を持ち、“自分も何か演じられないだろうか”と思い始めたんでしょう。最初はブルース・リーのカッコよさに憧れていました」(陽子さん) 家からバスで10分ほどのところに小さな映画館があり、徒歩で通って朝から晩まで同じ映画を繰り返し見ていた。 「当時の映画館は2本立てで、ブルース・リーの映画を見に行ったら『パピヨン』というスティーブ・マックイーンの映画も上映されていました。それでブルース・リーはどうでもよくなってしまい、マックイーンの演技のスゴさに取り憑かれてしまったみたいですね。 “自分もスクリーンの中の人になりたい”という気持ちが徐々に強くなっていったようです。“もっと大きなスクリーンで映画を見たいんだ”と鈍行列車で6時間かけて大阪の映画館に行ったことも。 電車がなくなって帰れなくなり、普通のホテルは高かったのでラブホテルに泊まったと聞きました。受付の人は家出かと疑ったそうですが、弟は“僕は将来役者になる。だから大阪の映画館のような大きいスクリーンで映画を見る必要がある”と説明して泊めてもらったそうです」(陽子さん) ■「人を並ばせるほどの人間になりたい」   今井さんの役者への道を後押しした人物がもう1人いる。アイドルとして人気絶頂だった郷ひろみだ。 「ダンスを見て自分で振り付けして踊っていましたよ。郷さんが福知山に来たとき、朝5時起きで会場に行ったらすでに何百人もの長蛇の列。てっきり自分が1番だと思っていたからびっくりしたと言っていました。 弟は“まだ10代のこの青年のためにこんなに人が並ぶのか!”と感動して、自分もそっちの人間になりたいと思ったみたいです。それも芸能界を目指したキッカケでしょうね。人を並ばせるほどの人間になりたいという思いが強くなったんですね」(陽子さん) ここで父親が立ちはだかる。高校を卒業してすぐに芸能界入りすることなど認めない。 「弟は高熱を出して大学受験することができず、でも浪人することはせず自衛隊に入りました。もともと、父の反対を押し切ってまで自分の夢を追うつもりはなかったようです。父は“せめて2年間だけは絶対にやり遂げろ”と言ったんです。そのくらいのことさえできない人間が芸能界でやっていけるわけがない、というわけですね」(陽子さん) エリートコースである戦車隊の試験もクリアし実力を示したうえで除隊。しかし、まだ父の許しは下りなかった。 「“役者になるにはやはり勉学も必要だから大学受験に挑戦しろ。そして4年間勉強して、卒業したら役者になれ”と言ったんです。役者がダメだったとしても、大学を出ておけばほかの道もあると考えたんですね。 弟は自衛隊を辞めた10月から4か月間猛勉強して青山学院と法政に合格。“英語を武器に世界に飛び立ちたい”という理由から法政大学の英文科を選びました」(陽子さん) 原宿にアパートを借り、学生生活が始まる。5万円という家賃は当時としては高かったが、少しでも芸能界に近い場所に住もうと考えた。 「オーディションには落ち続け。“そんな顔で役者になれるわけがないだろ”と言われたこともあったとか。学費と生活費は、自衛隊で貯めた300万円とアルバイトで工面。弟は1日に使うお金を200円と決めていたんですが、当時銭湯が190円だったんです。 お風呂に入ると残りは10円。それで考えたのが“マーちゃん風呂”でした。要するにタライです(笑)。原宿のパスタ店でバイトを始め、料理しながらちょくちょくつまみ食いして空腹を満たしていたようです」(陽子さん) <追悼上映イベントのお知らせ> 今井さんが監督・主演を務めた映画『THE WINDS OF GOD‐KAMIKAZE‐』の追悼上映イベントが5月21日に『TOKYO FMホール』にて開催される。