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ワンカットで2時間13分を撮りきった『ヴィクトリア』、その現代ドラマとしての迫真性

2016年05月15日 18:31  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)MONKEYBOY GMBH 2015

 クラブの鋭いライトに目が眩むような開幕から、淡い朝の光に包みこまれる幕切れまでの2時間13分がワンカットで撮影されたことによって、本作『ヴィクトリア』は多大な賞賛を得る事に成功したが、魅力はその一点に尽きるわけではない。この作品は現代を生きる若者を描いたドラマとしても秀でている。


参考:140分ワンカットのクライム・サスペンス『ヴィクトリア』、予告編&ポスター公開


 この『ヴィクトリア』という勇ましい響きのタイトル。これがどこからきているかといえば、そのまま主人公の名前であり、ローマ神話において勝利を司る女神の名でもある。つまり、黒画面に小さくタイトルが映し出された時点で、この物語がベルリンの一夜に勝利の女神が現れる話であることが暗示されている。また、主人公ヴィクトリアの設定がスペインから来たピアニストという点から、15世紀から16世紀のヨーロッパルネサンス期におけるスペイン最大の音楽家トマス・ルイス・デ・ビクトリアから由来しているとも考えられる。それをさらに裏付けるのは、この伝説の宗教音楽家の代表曲が「レクイエム 死者のためのミサ曲」ということ。その意味は本編を観た方ならおわかりになるだろう。いずれにせよヴィクトリアという偉大な名を冠したこの女性は特別な価値をもって存在している。


 それに関して言えば、本作では不自然なほどにヴィクトリア以外の女性が画面に現れない。セリフがある女性キャラクターは他に1人だけで、あとはみな男性、それも紳士的とは言い難い、夜の街を徘徊する輩たちだ。クラブで出会った男たち4人にナンパされてついて行ってしまうヴィクトリアの身の安全がひたすら心配になる前半だが、そこに性的なニュアンスが演出されることはなく、まるで彼女は光のごとく、一夜の男たちを照らす役割となる。しかし、ユートピアは長く続かない。美しいピアノの旋律が終わると、“愚か者”によって悪運がやってきてしまう。ヴィクトリアは“恋人”への愛情を伴って、知らず知らずに裏社会に足を踏み入れることになり、ここから映画の様相も変わってくる。ついさっきまで無邪気に飛び跳ねていた少女ヴィクトリアは突然、地下の犯罪に加担することになってしまう。しかし、ここで彼女は怯えるのでなく、その秘められた勇敢さを目覚めさせるのだ。もはや引き返せなくなった者たち。ヴィクトリアは男たちの勝利の女神となって成功へ導く! そして勝利! 祝宴! だが、そこで物語は終わらず、運命は予想できない結末へと向かう。


 このようなヴィクトリアのヒーロー性が、「ベルリンの一夜に若者が犯罪に手を染める」という現実でもありそうなストーリーに、ファンタジーめいた雰囲気を与えているのだ。そしてその浮遊感は、現代を生きる若者たちの魂を見つめているようにも感じられる。未来に目標や希望を抱くわけでもなくぼんやりと生きていた者たちが、特別な存在と触れることでそれぞれの役割を知って動き出す。しかし、それでも突き抜けられない、この息苦しいムード。まさに現代を生きる若者の心境そのままではないだろうか。監督のゼバスチャン・シッパーが望んだのは、生の空気を分解せずそのまま取り込むことだったのだ。その野心から生まれたワンショットの2時間強は、たしかに迫真性に満ちてすばらしい。でもその前に、たった今ベルリンに降り立った天使のように踊るヴィクトリアを捉えた美しい2分間にも同等の価値がある。(嶋田 一)