トップへ

冨田勲は最期まで「これからのこと」に目を輝かせていたーー柴那典の追悼コラム

2016年05月13日 16:41  リアルサウンド

リアルサウンド

柴 那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)

 冨田勲さんが逝去された。


「この先にどういう世界が出てくるか……アッという、びっくりする世界が出てくると僕は思いますね。これから長生きをする人は楽しみですよ」


 僕が初めて冨田勲さんに取材でお会いできたのは数年前のことで、その時に仰っていたこの言葉がとても印象的だった。


 初音ミクと総勢約300名のオーケストラと合唱団との共演で宮沢賢治の物語世界を描き出した『イーハトーブ交響曲』の初演を成功させたのが2012年。その時に、すでに年齢は80歳だった。でも、その作品にまつわるインタビューを通して強烈に感じたのは「この人は、今なお、未来に生きている」ということ。それを心の底から楽しみにしている、ということだった。


 どんな世界でも、偉業を成し遂げた人、パイオニアとして時代を開拓してきた人ほど、その輝かしい過去を振り返る特権を持っている。冨田勲さんは、まさにそういう人だ。それでも彼は「これからのこと」に目を輝かせていた。


 シンセサイザーという楽器においても、音響技術そのものにおいても、その成り立ちを根幹の部分から切り拓いていったのが冨田勲さんだった。


 70年代から連なるその歩みについては、おそらく様々なメディアに追悼記事が掲載されるはずなので、詳細はそちらに譲りたいと思う。きっと沢山の人たちが、冨田勲さんのアルバムを聴いてシンセサイザーの可能性に胸をワクワクさせただろう。オーケストラ作曲家として、大衆音楽家としての側面もあった。『リボンの騎士』『ジャングル大帝』などのアニメや、数々のNHK大河ドラマなど、テレビを通してその音楽の魅力に心掴まれた人もいるはずだ。それを語るのも、他の方に任せたいと思う。


 僕がここで書きたいのは、2016年、今のこと。


 亡くなる直前には、11月11日、12日に新作『ドクター・コッペリウス』が上演されることが発表されたばかりだった。前作『イーハトーブ交響曲』に続き、初音ミクをフィーチャーした舞台作品だ。「長大な作曲活動の集大成となる作品」とのことだった。


 亡くなったのも、その制作の真っ只中だった。長男で慶応大学教授の冨田勝さんのコメントによると、倒れる1時間前まで打ち合わせに参加していたそうだ。「11月までは死ねなくなっちゃったよ」と笑って言っていた、という。


 先日には、公演タイトルを「冨田勲 追悼特別公演 冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」と変更し、新作が予定通り上演されることも報じられた。


 クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長がツイッターで明かしたところによると、スコアはもちろん、舞台の構想についても生前のうちに製作スタッフに全て話されており、それに基づいて十分に上演できると主催者で判断したという。


 交響曲「ドクター・コッペリウス」は、音楽、バレエ、映像が渾然一体となった舞台作品。冨田勲さんが敬愛していた「日本ロケット工学の父」故・糸川英夫博士の「いつかフォログラフィーとバレエを踊りたい」という夢を実現させる試みだという。


 詳しい内容についてはまだ推測の域を出ないが、タイトルから想起されるのは19世紀にパリのオペラ座で初演されたバレエ音楽『コッペリア』だ。天才的な人形職人のコッペリウス博士と彼が作った人間そっくりの機械人形の少女コッペリア、そしてそれに恋する村の青年が織り成すストーリーである。


 以前インタビューで、『イーハトーブ交響曲』において初音ミクをプリマとして捉えていたということに込めた意味合いを尋ねたところ、冨田勲さんは、こんな風に仰っていた。


「僕が思うのは、あれは日本のお家芸ですね。つまり、人形浄瑠璃にしても、辻村寿三郎さんの人形舞にしてもそうですけれども、人間が生で演ずるよりもすごいものがあるんですよね。人形作家ホリ・ヒロシさんの『源氏物語』にしてもそうだと思います。(中略)人形だからこそ、人間以上のものが出てくる。そういう文化が日本には脈々とあって、初音ミクはそれの電子版だと思うんですね」(拙著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』より引用)


 そこでも「人形」という言葉は、一つのキーワードになっていた。


 きっと、冨田勲さんのアーティストとしての精神性には変わらぬ一本の軸が通っていたのではないかと思う。それは、テクノロジーはネイチャーを超えることができる、ということ。人の手によって精巧に作られたアートは、現実と虚構の境目を超えて、生身の表現を超えることができる。


 そういう大きな視点、言い換えれば「希望」という言葉でも表現できるフィロソフィーを持っていたから、冨田勲さんの作品は、単に「電子音楽」という言葉におさまらない大きな射程を持っていたのではないだろうか。最先端のテクノロジーとクラシカルな芸術や芸能を融合させる。それはドビュッシーの音楽世界をシンセサイザーで表現した1974年の『月の光』から変わらない視座だ。


 巨大な才能だったと思う。冥福をお祈りいたします。(柴 那典)