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松江哲明の『アイアムアヒーロー』評:原作愛がありながら、映画的な快楽を追求した作品

2016年05月12日 23:31  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016 映画「アイアムアヒーロー」製作委員会(c)2009 花沢健吾/小学館

 去年、原作者の花沢健吾さんから、「『アイアムアヒーロー』の映画が出来上がって、自分としてはすごく好きな作品に仕上がっているんだけれど、映画監督として、正直な感想を聞かせて欲しい」と連絡をいただいて、僕は一足先に本作を観せてもらったんですけれど、お世辞抜きに本当に面白い映画だったので驚きました。正直なところ、大泉洋さん、有村架純さん、長澤まさみさんというキャスティングを聞いたときは、期待は高くなかったんです。というのも、この面子なら恋愛映画でも成り立つし、難病ドラマだってできてしまうじゃないですか。言ってみれば、ごく普通のキャスティングで、あまり冒険していない印象だったんです。だから、びっくりするようなことはないだろうと油断していたところ、もうぶったまげて(笑)。観終わってすぐ花沢さんに連絡しました。「これは絶対に大丈夫だから、自信を持ってください。公開されたらすごいことになりますよ!」って。


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 本作は原作に対して愛情と敬意を持って作られている映画なのですが、忠実にそのまま再現するのではなく、映画に置き換えたときにどう成立させるか、とても考え抜かれています。まるで、映画版の『アイアムアヒーロー』が先にあって、それを元に花沢さんが漫画化したかと思うほど完成度が高かった。それぞれ別物として、ちゃんと成立しているんですね。そこが原作ファンとしてもグーでした。


 まず、映画の前半にある長回しのシーンからすごいです。鈴木英雄役の大泉洋さんが、「あれ? 今なんか近所で変なことが起きているぞ」と感じて外を駆けていくと、あれよあれよという間にZQNが増殖していって、気付いたときには世界がひっくり返っている。あのシーンをワンカットで一気に見せたところが映画としての勝利で、とても痛快でした。原作では、うだつの上がらない漫画家を主人公としたエッセイ漫画のように見せかけて、彼の日常生活をじっくりと描いたうえで、急にゾンビものに方向転換することで読者の予想を裏切るという手法を採っています。おそらく原作をただ忠実に再現しようとしていたら、その漫画的な仕掛けを映画でやろうとして失敗する可能性もあったと思うのですが、きちんと映画ならではの表現でダイナミックに“世界の崩壊”を描ききっています。クライマックスでも、しつこいくらいに銃を撃ちまくって、ひたすら映画的な快楽を追求している。ちゃんと「映画として」面白いんです。


 また、ゾンビ映画としても本作は完成度が高いと思います。基本的に、これまでの日本のゾンビ映画はパロディなんですね。そもそも土葬が一般的ではないから、土の中から死んだ人間が蘇ること自体が日本ではリアリティを持ち得ないわけで。あくまで、ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)を下敷きにした上で、仮想的な文化として描くしかなかったんです。花くまゆうさくさん原作の『東京ゾンビ』(2005)は僕も好きですが、サブカル的な批評性がある作品で、やはりパロディです。ところが、『バイオハザード』や『28日後…』などの作品によって、新しいゾンビ映画のルールが生まれてきた。つまり“ウイルス感染によって凶暴化した人間が、生きている人間に噛み付く”というルールですね。『アイアムアヒーロー』もこのルールに則っていて、だからこそパロディにならずにゾンビが表現できています。加えて、ゾンビ化してしまう人間の動きには、『リング』や『呪怨』などのジャパニーズ・ホラーで観られる非人間的な要素がある。そういう部分を取り入れているのも、すごく上手いと感じました。


 それと、東日本大震災以降だからこそ表現が際立った部分もやっぱりあると思います。洋画だとスピルバーグの『宇宙戦争』(2005)に、9.11を思い起こさせる映像がありました。群衆と一緒にカメラが逃げていて、奥から倒れたビルの煙が迫ってくる感じ。実際の大きな事件を映画的なスペクタクルに変える手法は、『アイアムアヒーロー』にも通じるところがあると思います。先ほど話した長回しのシーンもそうですが、ライフラインが一切断たれて、日常生活がたちまち困難なものになる怖さなども、すごくリアルに表現されていたと思います。現実的な悲劇の背景には、実際に被害を受けた方々や亡くなった方々がいるわけで、それを娯楽映画のフォーマットにするのはかなり際どいことではあります。しかし、それは作り手に相応の覚悟がないとできないし、本当に面白い表現はそういうところから立ち上がってきます。過剰な人体破壊描写もそうだし、死体の山を作ることもそう。『アイアムアヒーロー』は、何かを踏み越える覚悟を持って作られている作品で、だからこそ僕は好きなんです。街が壊れていく様子だって、たとえば望遠の映像で一気に電気が消える演出にもできたし、撃たれた人間があっさり倒れるようにもできた。でも、本作はそこを描くことから逃げていません。僕自身は東日本大震災の時に海外にいたので、東京に戻った時は真っ暗だったんです。徐々に暗くなる過程を知らずに、突然、街が一変したように感じました。今の日本で生きてる多くの人がこの世の中はいつなにが起こるかわからないことを肌身で知っています。そんな日常の中で本気でエンターテイメントをやろうと思ったら、ここまでやる覚悟が必要ということなのかもしれません。


 キャスト陣も、その覚悟に応えていたと感じました。実力のある良い役者さんが揃っているものの、企画によってその良さが潰されてしまうのではないかと心配していたけれど、それぞれの持つ力をすべて引き出しています。良い意味で、芝居をさせていないというか、ちゃんと生きている感じがするんですよね。落ち着いて感情表現をさせるのではなく、本当に走らせて戦わせたりしているから、本気の顔が出ているんですよ。有村さんもカゴに入れて振り回されたりして、これまで培ってきた“有村架純らしさ”を徹底的に剥ぎ取られている。大泉さんもクライマックスでは本当にヒーローの顔になっていて、すごく良かったです。原作の主人公は作者の花沢さんにそっくりで、それは彼が自分自身を投影させて漫画を描いているからなんですけれど、もしかしたら映画の中の大泉さんは、漫画以上に花沢さんの理想像になっていたんじゃないかな。


 漫画原作映画についてもう少し話をすると、最近は『アイアムアヒーロー』以外にも『ちはやふる』などが評価されて、その座組みや制作の流れになにか変化があったと考えている方々も少なくないと思いますが、僕は必ずしもそうではないと思います。おそらく、これまでの漫画原作映画も優れた作品にしようと熱意を持って作られてきて、酷評だった『進撃の巨人』でさえ挑戦的なプロジェクトではあったはずです。作り手は決して安全パイで流そうとはしていない。だけど、うまくいかなかったわけで。ただ、数々の失敗を経て、みんなメジャー大作での戦い方がわかってきたということはいえるかもしれません。それは監督だけじゃなくて、プロデューサーも含めて。


 でも、だからといって今後、日本映画がすごく面白くなるかといったら、そう簡単な話でもないと思います。監督たちはそれぞれ、面白い作品を生み出そうとしていると思いますけれど、いくらでも現場に悪影響でしかない日本映画の仕組みって残っていますから。日本映画が本当に「面白い」と認識されるには、1本や2本当てたくらいではダメなんですよ。90年代の日本映画が海外で評価されていたのは、黒沢清、三池崇史、北野武、阪本順治、青山真治、望月六郎など、面白い映画を作れる環境にある監督が何人もいたからなんです。『アイアムアヒーロー』も『ちはやふる』も実際に見た人の口コミで広がっているのが現代的だな、と思います。キャストや監督への期待よりも、見て面白いかどうか。それはある意味、健全なヒットの仕方なんだと思います。


 正直に言うと、僕自身は日本映画界がどうなろうと別にいいと思っていて。面白い日本映画じゃなくて、面白い映画が観たいだけですから。本気で映画を撮りたい人間は、放っておいても何が何でも作りますしね。ただ、変な慣習はなくなった方が良いと思います。漫画原作じゃなければ企画が動かないとか、内容と全然合っていない主題歌を押し付けられるとか、性をテーマにした作品なのに女優が脱がないとか。海外の映画祭で日本映画のラブシーンとかを観ると、乳首隠してるのとか逆に恥ずかしいですよ。多くの海外映画ではそういうシーンをちゃんと撮っているんだけど、日本ではそうやって隠すのが当たり前のこととして育ってきているから、表現がおざなりになるんでしょうね。これは大きな問題ですよ。カンパニー松尾監督の大作AV『劇場版テレクラキャノンボール』(2013)が話題になったのも、今の日本映画が避けてきた表現に対する反動があったんだと思います。いまの悪しき日本映画は、そういう変なルールのがんじがらめが生み出していると思うので、制作者の側が「これではいけない」と気づくべきだと思います。


 それでも『アイアムアヒーロー』のような映画が作られるのは素晴らしいことだと思います。視野が国内だけに向いてないからきっと海外でも受けると思います。外国にもいるんですよ、ハリウッド的な演出に飽きてる人が。血の流れない映画なんて見たくない!って観客は国籍を問わず一定数必ずいて、ファンタ系の映画祭とか大盛り上がりですから。日本映画はそこを目指すべきだと思います。(松江哲明/取材・構成=松田広宣)