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門脇麦、“自己表現”を捨てた演技の強さーー激しいベッドシーンから幽霊役まで演じられる理由

2016年05月12日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015「二重生活」フィルムパートナーズ

 2013年の『チョコラBB』や『東京ガス』のCMで注目を集めて以降、数多くのドラマや映画に出演してきた門脇麦。日本テレビで放送中のドラマ『お迎えデス。』では幽霊役をこなすなど、個性的な役柄を務められる演技力も手伝って、各所から引っ張りだこの状態だ。こうした躍進に繋がったのは、役者という仕事に対する門脇の独特な姿勢も関係しているのではないか。


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 まず、門脇の演技力は誰もが認めるところだろう。その例として挙げたいのが、2014年の映画『愛の渦』で演じた女子大生役である。『愛の渦』は、劇団ポツドール主宰の三浦大輔による戯曲が原作で、裏風俗店の乱交パーティーに集った男女10人の会話劇を通して人間の機微を表現した良作だ。池松壮亮、新井浩文、滝藤賢一など、実力派として鳴らす役者たちが集結したことも話題になった。そのなかで門脇は、激しいセックス・シーンを演じると共に、そのセックスに至るまでの心情を繊細に表現することで存在感を見せつけてくれた。その演技が多くの人に認められ、第88回キネマ旬報ベスト・テンの新人女優賞を獲得したのも記憶に新しい。一方で、同年公開の『シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸』では、刺激を求めて青森から上京する素直な女性・本沢海空を好演し、多彩な演技の引きだしを見せてくれた。上京後も津軽弁が出てしまう海空を演じるその姿は、門脇のチャーミングな側面がうかがえるという意味でも面白かった。


 このように、どんな役でもこなせる柔軟性を発揮できるのはなぜなのか? その秘密は、門脇自身の言葉にあるかもしれない。たとえば、『シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸』公開時のインタビューで門脇は、「昔は「自己表現したい」と思っていたので、常に自分が主体だったんです。だから主観でしか物事を見る事ができなかったんですけど、いまは「みんなで作っている作品に関わっている1人である」と思っているので」と語っている。(参考:cakes 門脇麦インタビュー)いわば自分という主体を前面に出さず、作品ごとに求められる役割をまっとうするのが、門脇にとって“演じる”ということなのだ。そう考えると門脇は、役柄を自分の体に憑依させるシャーマニック型の役者だと言えるが、だからこそどんな役でも躊躇なく演じられるのだろう。


 また、そのインタビューでは他にも、「夢は諦めなければ叶うという考え方は捨てた」「自分は何も持っていない凡人」など、ネガティブに思えなくもない言葉を次々と放っており、初めて読んだときは思わず仰け反ってしまったのをいまでも覚えている。インタビュー時の門脇は21歳だが、この時期の役者といえば、もっと前に出ることで知名度を上げ、ポジティブなパブリックイメージを作ろうとするのが一般的だと思う。しかし門脇は、ドライとも言える客観的姿勢を打ちだすことで、図らずも他の若手役者陣との差別化を実現させている。この客観性も、他の役者とは一味違うと思わせる所以であり、先述した柔軟性の形成に一役買っていると思う。


 仏教には、明確な形をとらないことを意味する“無形(むぎょう)”という言葉があるそうだが、そうした無形の境地に門脇は達しているように見える。ゆえにどんな役柄でもこなせる柔軟性が宿り、その柔軟性に役者としての魅力を見いだした者たちがオファーを出している。これが門脇麦という役者の現況だ。


 そんな門脇は、2016年も絶好調だ。冒頭でも触れた『お迎えデス。』出演をはじめ、『太陽』では神木隆之介とダブル主演を務め、そして6月には初の映画単独主演作品『二重生活』の公開も控えている。特に『二重生活』は、秘密を握ることの興奮に取りつかれる女性・白石珠をどう演じているのか、非常に楽しみだ。当然のことだが、カメラに追い続けられる主演という立場は、否が応でも役者の個性が滲み出てしまうもの。自己表現を抑えることで活躍の場を広げてきた門脇が、そのポリシーを曲げずにどんな新しい表情を見せてくれるのか。いずれにしろ、またひとつ興味深い演技を披露してくれるのは間違いない。(近藤真弥)