トップへ

押井守が明かす、アニメを見なくなった理由「本当にオヤジが面白がる映画は“デストロイ”」

2016年05月11日 16:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『押井言論 2012-2015』

 押井守のインタビューをまとめた、計656ページにおよぶ書籍『押井言論 2012-2015』が、各所で話題を呼んでいる。押井の有料メールマガジン「世界の半分を怒らせる」にて配信された3年分のインタビューに加筆、修正を加え、アニメーション監督・神山健治との対談なども掲載した本書には、押井の映画論や人生観はもとより、宮崎駿や高畑勲といった同業者への辛辣な批判など、歯に衣着せぬ“押井節”が炸裂している。押井自身が“私信”と位置付けていたメールマガジンを、改めて書籍として出版した経緯から、押井にとっての対談の意義、最近の映画や視聴環境についての考えまで、ざっくばらんに語ってもらった。(編集部)


参考:『ディアスポリス』プロデューサーが語る、ドラマと映画を同時に制作するメリットとその難しさ


■「宮崎吾郎くんは、なんとか挑発しようとしたんだけど乗ってこなくて(笑)」


――『押井言論』が出版されることになった経緯は?


押井守(以下、押井):メルマガの内部でやったインタビューというか対談が2年分ぐらいの量になってたので、それを出しませんか?という話があって。まあ今さら出してもどうなの?とは思ったんだけど、契約した人間しか読んでないし、出してくれるんならもちろん嬉しいので。簡単に言うとそれだけ。メルマガってようするに、言ってみれば私信だから。特定の相手にお手紙を月2回出しますという。だから不特定多数の人間の見る世界じゃないということを前提に、まあ普段しゃべってるような、絶対媒体に載らないような話をしようかなっていうことで始めたので。それをまとめるのは、自分が2年間何をしゃべってきたのかをもう一回読み直すいい機会だし、もしかしたらまともなこと言ってるのか、あるいはたいしたこと言ってないなっていう反省材料になるのか、とにかく確かめられるし。だからいいのかなって思った。


――押井さんの語り口の面白さには以前から定評がありますね。


押井:なんか知らないけど僕の本って、自分でパチパチキーボード叩いて一生懸命書いたものはさっぱり売れないんだけど、しゃべり散らしたものに関してはそれなりに売れてるんで。そういう需要があるのかなっていう。たぶんひとつには、対談という形式が読みやすいということがあると思う。論文みたいに書かれちゃうと、2~3ページ読まないと主旨が取れなかったりとかね。今はそういうの読みたがる人なかなかいないし。まあでも、対談相手による。この本でもいろんな人間としゃべってるんだけど、たとえば辻本(貴則)という、大阪から出てきた映画監督ですけど、たしかにしゃべりやすいもんね。文字に起こしても読みやすい。それはちょっと発見だった。つまり、関西人だからツッコミが多いんですよ。1分もしゃべらせてくれないわけ、必ずツッコミが入るから。そうするとね、文字に起こした時にテンポがすごくいい。短く切れてるから。相手が遠慮してたりすると、2ページぐらいずっと一人でしゃべったりするから、僕は。その逆に、神山(健治)と対談したものを読んだらえらい疲れた。あいつ素直じゃないから。


――神山さんとの対談は、映画『009 RE:CYBORG』を巡ってのもので、テーマもシリアスでしたよね。


押井:まあシリアスということもあるんだけど、元々真面目な男だから。必ず自分のロジックで切り返す。だからなかなか話が先へ進まない。あと微妙に結論が出るのを避けたがるから、どういうつもりかわかんないけど。でも辻本は、別に最初から何も考えてなくて、勢いだけでしゃべってるから。むしろその方がテンポが出て、話題に関しても先に進みやすくなる。思考の回転が早くなるというかね。真面目にじっくり考えながらしゃべればいいってもんでもないなっていうさ。ときどきスッ飛ばさないと、話が先に全然進まないということがあったりする。やっぱりおしゃべりは関西人に限るわ、というのは思った。好評だったしね。それと、この本の大半は居酒屋で山下(卓)や大塚ギチとしゃべったものだけど、話の振り方、適当に話の腰を折ったりとか、合いの手の入れ方がなかなかうまいなっていうか、それは感心した。


――昔にやった対談で、この人とは相性が良かったという人はいたりしましたか?


押井:個人的に面白かったのは、『月刊サイゾー』でやった二世対談。よしもとばななは面白かったですね。やっぱり人間的に面白い人のほうが話は弾むね。でも(宮崎)吾郎くんのときは、なんとか挑発しようとしたんだけど乗ってこなくて(笑)。あんたが刺すしかないじゃんという話をずいぶんしたんだけどさ、乗ってこないんですよ。やっぱり性格的に、親父(宮﨑駿)を見て育ってるからすごく慎重な人なので。親父があれだけの男だとやっぱり息子は慎重な男になるんだっていう典型だから。


■「エヴァは観る価値無いなんて、そんなこと一言も言ってない」


押井:この本を読み返して思ったのは、人の悪口が多いなっていう。ちょっと考えたほうがいいかなとは思ったけど(笑)、でも同時に、人を誉めるのもけっこう好きだし、ずいぶんいろいろ誉めたと思うんだけど。でもそういうふうには思われてないみたいだね。年がら年中悪口を言ってる男だと思われてるみたいだけど。けっこう誉めてるんだよ。


――メルマガ中の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』についての押井さんの発言が、ネット上で話題になったことがありました。


押井:エヴァは観る価値無いなんて、そんなこと一言も言ってないんだからさ。自分にとって観る意味が無いって書いただけで。アニメーションにいわば自意識を持ち込んだのは評価している。やってることは古いけど。ようするに自然主義だから。いろいろ小技を繰り出してるわりにはやってること自体は本質的には古いっていうさ。だから観る意味が無いと思った。何を言ってるかすぐわかっちゃったし。どの辺から引っ張ってきてるのかも、観れば一目瞭然だから。ほとんど全部が引用で作られてることは間違いないので。それであっても、なおかつ、あれだけ大胆不敵に自意識丸出しにして作ってる奴はたしかに今までいなかった。だから誉めてるんだよ。なんで怒るんだよって。明らかに主旨がトンチンカンだったりする。メルマガってさ、頭の部分だけはタダで読めたりするんだよね。でもここから先は有料だ、みたいなさ。たぶん察するに、全部読んでなくてさわりだけ見て怒ってるのかもしれない。


 僕はフェイスブックもツイッターも一切やってないけど、メルマガだけにしようと思ったのはそういうこともあるね。お金を払ってる人間だけが読めるというのは、なかなかいいかなと思ったの。全部読んでないんだったらそもそも口出すなっていう話。私信なんだから。それがそもそもわかってなくてさ。ネットってそういうところ杜撰だよね。2ちゃんねるみたいなものにしても、僕はまったく意味ないと思ってる。あるとすればゲームの攻略法だけ。これはよく見に行くから。


――最近の押井さんは『ドラゴンクエストビルダーズ』にハマってるそうですね(笑)。


押井:どうしてもドツボにハマったときはそれしか手がないから。周りにゲームやる人間いなくなっちゃったし、電話してちょっと聞くわけにはいかないから。ビルダーズはずいぶん助かりましたよ。ただ、今はもう役に立たなくなった。というのは、ビルダーズについては完全に本質からズレてやってるので。いわゆるミッションにまったく関わらず、自分勝手にやってるだけで。YouTubeにユーザーがアップしてる動画も見たけど、自分とは違うなあ、というさ。みんな建物を作りたがるんだよね。でもレゴ遊びじゃないんだし、自分は全然興味ない。


――じゃあどういう遊び方をしてるんですか?


押井:風景を作ってるんですよ。自分が思うような景観に変えていくっていうさ。でっかい廃墟作ってみたり、山を削ってみたりとか。向こうのシルエットが綺麗に出るように手前の山を全部削ったりとか、ようするに土木工事系ですよ。建築じゃないんだよ全然。それをやるゲームとしては本当によくできてる。運河引っ張ったり、草原だったところを全部水没させたりね、そんなようなことですよ。素晴らしい光景が出てくる。プレステ4の描画の凄まじさを存分に味わってる。たいしたもんだよあれ。そういうゲームって今まで全然なかったし、自分には合ってる。自分が思うような世界観、まあ基本的には廃墟だけど、それを思うさま作れる、トンカチ一本で。


――そういう風景を作るゲームっていうのと、映画制作において風景や世界観を作っていく作業というのは、つながるところがあったりするんですか?


押井:直接はないけど、やっぱり綺麗なレイアウトを取りたいとかさ、そういうのは本能的にはあるから。この辺だと夕暮れになったらどういうふうに見えるかな、とかさ。設計図を作らないというか、ビジョンでやってるわけじゃなくて、その場に立ったときの雰囲気で考えるというか。こういう建物が作りたいというわけじゃなくて、この山のてっぺんに立ったときに、あ、こういうふうに変えたらきっと面白いなとかね、そういうことなんですよ。そういう意味で言えば、映画に近いっちゃ近いかもしれない。違うのは、自分が作り出した世界観の中を自在に動き回れるっていうことじゃない? しかも人いないから。水没した庭園の中をスライムが泳いでたりとか、ドラキーがパタパタやってたりとか、なかなかいいなこれ、って。自分の好みの世界ではあるんですよ。人がいないっていうのがいい。無人の世界だよね。


■「宮さん(宮﨑駿)の『千と千尋の神隠し』は、完全に三途の川を渡る映画」


――最近のアニメ界のヒット作だと『おそ松さん』というのがあって。制作が押井さんの古巣のstudioぴえろですが、ご覧になったりはしましたか?


押井:いや観たことはないです。ただそういう噂は聞いてる。ぴえろは元々おそ松くんやってたから、その関係なのかなって思ったけど。まあおそ松さんっていう発想自体は面白いと思ったけどさ。大人になったおそ松たちで、6人兄弟みんなプーだって話を聞いたときに、ああなるほどってさ。そういう発想は面白いなと思った。ただまあ、じゃあ観てみようかってならないよね。というか、ようするに、アニメを観る気分じゃないんですよ。


――他の作品でも最近観たものはないんですか?


押井:ないですねえ。最近これをどうしても観たいと思うのは、アニメに関してだと、ゼロですね。そもそもさ、65歳も過ぎた人間に、若い人が観ているアニメに興味持てっていうほうが無理だよ。アニメに限らず、いま公開されてる内外の映画で、60過ぎたオヤジが価値観持てる映画、観るべき映画ってあると思う? いま作られてる日本映画の大半は、若い観客のために作られてるんで。


――高年齢層向けの映画ということでは、北野武監督の『龍三と七人の子分たち』がありましたね。


押井:あれは僕はね、あんまりシニア向けだって気がしなかったけど。若い人が観たらきっと面白いんだろうけど、実際に60過ぎた人間があれ観て痛快かっていったら、そんなことないと思うよ。たけしが面白がって、若い人のために作ったんだなという気がする。本当にオヤジやジジイが面白がる映画って、ああいうものじゃないと思う。何かっていったら大体想像がつくんだけど。とにかく、デストロイですよ。破壊。オヤジはなかばヤケクソになってるから。どうでもいいと思ってるし。オヤジが感心するようなドラマなんて、そんじょそこらに転がってないから。人生の実相に迫ってるようなすんげえやつとかね、まずないですよ。それだったら歴史関係の本を読んでるほうがはるかに面白い。人間の営為として、スケール大きいし。僕が戦争の本しか読んでないというのはそういうことなんだよね。


 やっぱり映画っていうのはね、基本的には若い人のためのもので。年取った監督が作るものは、あっちの映画。川を渡った向こう側を目指すんですよ。死生観にしか興味ないから。だからアニメ系の監督は必ず作るじゃない。宮さん(宮﨑駿)も『千と千尋の神隠し』を作った。あれは完全に三途の川を渡る映画だからね。高畑(勲)さんも『火垂るの墓』を作った。まあ私もそういう意味で言えば作った、『イノセンス』を。あれは冥土の世界みたいな話だからね、出てくるのは全員幽霊だから。


 スターチャンネルとかCSでやってれば、暇なときは観るけど。サッカーやってなければ。でも今はビルダーズやっててテレビがゲームモニターと化してるから、サッカーすら観なくなっちゃった。自分で映画館に行って観たいと思う映画って、ほとんどないですよ。


――映画を観るインフラとして、映画館に行って観るという形以外にも、テレビ放映だったりとか、あるいは定額制のサブスクリプション・サービスみたいなものも出始めてますが。


押井:配信でしょ。たぶん、そっちに行っちゃうんだろうねきっと。僕はそれでも、年に数回は映画館に行くんですよ。嫌いなんだけど。人混み嫌いだし、シネコンの甘い匂いが大嫌いでさ、ポップコーンの。なぜ行くかっていうと、シニア料金で入れることが判明したので(笑)。1100円で観れるんだ、なるほどってさ。今週も一本観た、『バットマン vs スーパーマン(ジャスティスの誕生)』。楽しく観てきましたよ。1100円だから全然惜しくもなんともないからさ。もちろん一人じゃ行かなくて、適当に知り合いのお姉ちゃんと観に行ったりするんだけどさ。そういう意味だと充分楽しめるし、逆にそういう基準で選んでる。だから007とかね。『スカイフォール』とかなかなか面白かった。でも『スペクター』はまるっきりお話にならないぐらいつまらなかった。だから、誰かと観に行って、帰りにそれを肴に酒呑んで帰ろうかっていう、体験になるんだよ。結局、映画館に行くってことは。


 楽しく時間を過ごしたいということであれば、『アナと雪の女王』で別にいいんじゃない。観たけどさ、テレビで。全然つまんなかったけど(笑)。たしかにあの歌はね、歌ったらスカッとするんだろうね、きっと。あの場で合わせて歌いたいというのはよくわかる。それが許されてる回があるというのを聞いて、ああなるほどそうだよなと思った。最近だと、例の光ってる棒を振り回して、みんなで応援して観るアイドル映画があるとも聞いたけど。それはね、別に新しくもなんともないじゃんってさ。昔、オールナイトでヤクザ映画観て「異議なし!」とか言ってたのと同じじゃんそれって。警官が出てくれば「ナンセンス!」だし、主人公がドスを抜けば「異議なし!」だしさ。やってること一緒だよ。そういう体験を求めて観に行ってるだけだもん、みんな。


――映画をじっくり観たいという人は、映画館ではない別の場所で観てるんでしょうね。


押井:DVD買うか借りるなりしてきたり、録画しておいて観ようとかね。かつての映画館は、若い人がそこであらかじめ人生とか恋愛とかをシミュレーションする世界だったけど、いまは全然お呼びじゃないっていう。ある種の人間にとっては、そういう映画との付き合い方は絶対に必要だから。映画を観てものを考えたり、自分の考えの訓練をしたりだとかさ。僕らは若いころさんざんやったんだけど、それは今でもやってる人はいるはずだよ。映画館じゃなくてTSUTAYAに変わっただけで。で、これからはきっとそれが配信になるでしょ。一番簡単だもん。一回契約すれば何度でも観れるしさ。ハードディスクに貯めこむ意味すらないじゃん、観たいときに観れるんだから。言ってみれば巨大なハードディスクが向こうにあるんだからさ。昔は一生懸命観て覚えてたけどね。忘れまいと思ってギンギンに観てたから、レイアウトやカット割りまで。アニメの監督になったばっかりの頃は、記憶があるうちに帰ってからコンテに切っちゃう。大体レイアウトはこんな感じだったよな、とかさ。ずいぶん勉強になりましたよ。それしか方法がなかったから。映画との関わり方がね、決定的に変わったことは間違いないんですよ。


――そういった映画のインフラとはまた別の話で、映画自体に3D、さらには4D(体感型)の要素が加わりつつあります。


押井:5年ぐらい前、もっと前かな、これから3Dが出てくるから開発をやってくれって言われたことがある。4Kのときも来たし、実際8Kの話も来たから。8Kの話は、NHKでやる予定が流れちゃったけど。3Dのときは、3Dモデルじゃなくていわゆる立体映画ね、サンプルも作ったけど、結局やるに至らなかった。というかそもそも3Dって日本じゃダメでしょきっと、って途中で気がついた。劇映画に全然向かないし。編集できないもん。三池(崇史)さんもやってたけど、さすがわかってらっしゃるっていうさ、奥行き以外で何もやってないよね。奥行き感出すためだけにやってる。カメラをゆっくり動かさないと、カメラ揺るがしたら頭パンクするから、情報が多すぎて。演出の制約がむちゃくちゃ激しい形式だから、劇映画、ましてやアクション映画なんて絶対に無理。


 僕の知り合いが言ってたけど、『アバター』観に行って、3Dメガネを外して全編観たら、予想した通りだったよって。なにが?って訊いたら、戦闘シーンが始まった途端に2Dになったって。(ジェームズ・)キャメロンもわかってるんだよ、やっぱ。あの激しい戦闘シーンを3Dでやったら頭おかしくなる。何が起こってるかわからない。だから戦闘シーンになった途端にただの2Dになってるんですよ。メガネかけてると気が付かない。そういうようなもんだから、成熟する形式ではあり得ないんですよ。


 自分が映画を観に行くときでも、あえて2D版しか観てない。『バットマン vs スーパーマン』もちゃんと2Dで観ました。そのほうがはるかに映画としてはいい体験だから。レイアウトもしっかり観れるし。ああいうアクション系の映画を3Dで観るっていうのは、若い人には刺激があっていいのかもしれないけれど、半分ジジイになったような人間は、刺激なんかどうだっていいんだからさ。綺麗なものを観たいわけ。綺麗なものの中には、戦闘とかアクションも入るんですよ。綺麗な風景を観たいって言ってるわけじゃなくて、いい画を観たいわけだから。(ピロスエ)