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ハードコアパンクバンド・DEATH SIDE、熱狂のNY公演をボーカルISHIYAがセルフレポート

2016年05月10日 14:01  リアルサウンド

リアルサウンド

DEATH SIDE・ISHIYA(Vo.)

 筆者がボーカルをしているハードコアパンクバンド・DEATH SIDEは、1995年に解散したが、2015年から再びライブをやっている。2010年のシークレットライブ以来だ。


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 きっかけは、2007年に他界したDEATH SIDEのギタリストであるCHELSEAの命日に、毎年行なわれている追悼ライブでの演奏。その後もオファーがあり、2015年10月に川崎クラブチッタ「KAPPUNK」、同12月に渋谷EGGMAN「CHAOS U.K Japan tour」の計3回、日本国内でライブを行なった。


 そして、2016年には海外でのライブが次々と決定しており、その第一弾として4月16~17日にはアメリカ・ニューヨークで演奏した。そのセルフレポートを書いていきたいと思う。


 日本国内のライブでは、CHELSEAにとってギターの師匠でもあり友人のHIROSHI(ASYLUM、東京ホームランセンター、ex.ゲンドウミサイル、ex.THE TRASH)と、CHELSEAの最初の弟子でもあるORI(PILE DRIVER、ex.MAD CONFLUX)のふたりが、ツインギターで演奏してくれた。海外からオファーが来たとき、メンバーで話し合い「やる」と決めると、HIROSHIは「日本ではCHELSEAの師匠ということで俺がやるのはいいけど、海外でやるならばハードコアの人間がいいんじゃないか? もし、誰もいなければ俺がやるけど」と言ってくれた。たしかにHIROSHIの言うことにも一理あると思い、その意見を尊重し、ほかの人間にオファーをすることにした。


 おそらくHIROSHIは、海外ハードコアリスナーの感覚と、自分が再現するギターの違いを考慮したうえで、そう言ってくれたのだと思う。HIROSHIの音感は素晴らしく、さすがCHELSEAの師匠というだけあり、細かなギターソロや、被せ部分の音階や弾き方など、ギタリストでもなかなかわからない部分まで完璧に再現してくれていた。しかし、海外でのライブ経験は無く、ハードコアの楽曲でギターを弾いたのも初めてだった。


 そして、何人か候補が上がった中で、函館のMUSTANG、CRUDEでギターを弾く弁慶が良いだろうということになった。弁慶のギターはMASUTANG、CRUDEのライブを何度も観ていて間違いないことはわかっていた。CHELSEAのギターの影響を受けたと思われる独自のギターサウンドやテクニックは、DEATH SIDEファンであれば誰もが納得行く人選だと思う。人間性も素晴らしく、海外でのライブ経験も豊富で、DEATH SIDEのライブを海外でやるにあたりうってつけと言える人間だ。そこで弁慶にオファーしたところ、快く引き受けてくれ、今回のニューヨークのライブでのDEATH SIDEのメンバーは、ISHIYA(Vo.)、MUKA-CHIN(Dr.)、YOU(Ba.)、ORI(Gu.)、弁慶(Gu.)の5人となった。


 当初ニューヨークでのライブは4月16日のみという話だったが、驚くことに発売から数時間で700枚のチケットがソールドアウトとなったため、翌日に急遽、追加ライブを行うことが決まった。ニューヨーク・マンハッタンにあるLe Poisson rougeというクラブが会場だ。2日目は日本のハードコアを代表するバンド・鉄アレイとの共演になる。


 鉄アレイとDEATH SIDEは、1988年から続くシリーズGIG「BURNING SPIRITS」を立ち上げたバンドであり、盟友である。その2バンドがニューヨークのど真ん中でライブができるとは感慨もひとしおだ。嬉しいことに2日間ともにチケットはソールドアウトとなり、海外での期待の高さを感じた。「日本のハードコアをしっかりと伝えなくてはならない」と、緊張感も高まった。


 アメリカの入国は厳しいため、4月15日には現地に到着するよう、メンバーは3組にわかれて渡米した。無事入国はできたものの、ギター2本の部品に貝と象牙が使用されていたため、税関で止まったままだという。恐らく翌日のライブには間に合うとのことだが、明日にならなければわからない。楽器を送るとかなり費用がかかるので、毎回現地で借りるのだが、今回はギタリスト2人ともに、自分のギターでやりたいとのことだった。しかし、結局ライブには間に合わず、現地でギターを借りることとなった。


 15日の時点ではまだ届くかどうか微妙なところだったので、気を取り直しほかに送った荷物をチェックし終わると、オーガナイザーのDANが「今夜ライブが行なわれる。そこに先に到着している鉄アレイやアメリカの友人たちもくるので、合流しよう」と提案した。


 しかし、部屋に残りゆっくりしようと思ったのも束の間、筆者が活動しているもうひとつのバンド・FORWARDで2014年にアメリカツアーを行なった際に、ニューヨークで世話になった友人Andy Animalが迎えに来てくれ、ブルックリン観光に行くこととなった。


 ニューヨークという街は、マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクスなどの区にわかれており、今回滞在した場所は、ブルックリンにほど近いクイーンズという区だった。ブルックリンをドライブしながら、地元の人間しかわからないベーグル店やバーなどに行き、そろそろほかのメンバーも到着するかと思い確認してみると、夜9時以降の到着のようだ。それをAndyに告げると「今夜はMDCのライブとANTHRAXのライブもあるが、どちらかに行くか?」と聞かれたので、「MDCに行く!」と即答した。


 MDCというバンドは、1980年にはすでに活動していた、アメリカを代表するハードコアパンクバンドだ。未だ来日しておらず、筆者がどうしても観たいバンドのひとつだった。そのMDCが観れるなんて、なんと素晴らしいニューヨークの始まりだろう。会場に到着すると、ちょうどMDCが始まるころで、ステージの後ろにはMDCの旗が飾られ、メンバーがセッティングの最中。弁慶はフィンランドのプンタラフェスティバルというイベントで、MDCと共演したことがあるらしく、その時も素晴らしかったと言っている。わくわくしながら待っていると、ヴォーカルのDave Dictorが登場して観客に話し始める。ライブが始まると名曲のオンパレード! Andyも「Welcome N.Y.C」と嬉しそうだ。このクラブでのパンクバンドのライブを観て欲しかったようだ。


 MDCがライブを行ったブルックリンの「THE GRAND VICTORY」というクラブは、古くから活動するパンクバンドがニューヨークを訪れた際にライブをする老舗クラブらしく、PETER AND THE TEST TUBE BABIESやTHE AVENGERSなども、この4月にライブを行なったという。


 ライブが終わるとMDCのメンバーなどと歓談し、ほかのDEATH SIDEのメンバーも到着している時間なので、合流場所であるクラブに向かうのかと思いきや、Andy行きつけのバーをハシゴすることに。プエルトリコバーではプエルトリカンのおばちゃんと踊らされた。こうした場所は、普通の観光や単独の旅行ではなかなか行けるものではない。Andyが連れていってくれるバーは、本当に地元の人間だけが集まるようなところばかりで、非常にリアルなニューヨーク・ブルックリンを堪能できた。こういった経験ができるのもバンドでツアーに行く醍醐味である。


 そうしてやっと合流場所であるクラブTHE ACHERONに到着すると、DEATH SIDEのメンバーや鉄アレイとも合流し、ニューヨークでの再会を祝した。


 このTHE ACHERONというクラブは、マンハッタンにあったCBGB’SやKNITTING FACTORYといったパンクバンド御用達のクラブが閉店や移店したために、いわゆるアンダーグラウンドハードコアシーンでアメリカツアーをするバンドなどが、ニューヨークでライブをする場所になっているようだ。事実筆者のバンド・FORWARDが2014年にニューヨークを訪れた際にも、THE ACHERONでライブを行った。今回の鉄アレイのアメリカツアーの最終日もここで行うそうである。バーが併設されているが、そこのバーテンダーもパンクスで、言ってみればパンクバーのようなところである。ライブがあるときなどはパンクスでごったがえしている。そこでもまたAndyに近所のバーに連れていかれたのだが、全く違った雰囲気で、ニューヨークの懐の深さを感じる。


 THE ACHERONがある周辺はブルックリンの裏通りで、一般観光客ではなかなか行かないような場所に思える。実際、そこから歩いて1ブロックほど行ったバーに向かう途中も、いつ銃声が聞こえてきてもおかしくないような雰囲気であった。弁慶と2人で「これは撃たれるやつじゃないのか? 絶対にはぐれないようにしよう」と緊張して歩いていたのだが、Andyはいたずらでかんしゃく玉のようなものを投げつけ、銃声に近い音をさせたりしていた。おちゃめにもほどがあるニューヨーカーの友人の案内で、ディープなニューヨークを堪能できた。滞在先に戻ったあとも、時差ボケもあるのかライブへの興奮もあるのか、朝方までメンバーだけで飲みながら、翌日のことを話していた。


 明日は1980年代から続く日本のハードコアの代表として呼ばれているライブだ。マンハッタンでライブをやることが少なくなってきている近年、今回DEATH SIDEがマンハッタンの中心部といえる場所の大きなクラブでライブを行なえるというのは、それだけ期待されているということだろう。気を引き締めて明日に備えなくてはならない。


 どんなことがあろうとも、日本のハードコアの魂を伝える。他界してしまったギタリストCHELSEAをメンバー全員が心に思いながら、彼の魂と共にCHELSEAのつくった曲を演奏する。きっとCHELSEAも一緒にニューヨークに来て見守ってくれているだろう。


 ライブ当日、時差ボケで睡眠不足のまま起き出し、ギターの到着の確認をするが、月曜になるとのこと。ギタリストの2人には不安要素だが、バックアップギターを用意してくれているとのことなので、会場に向かう。会場のLe Poisson rougeは、マンハッタン南部のソーホー地区のあたりで、普段はパンクスなど集まらない場所のようだ。古くはボブ・ディランやヴィレッジ・ピープルなどがライブをやっていたクラブで、今ではイギー・ポップやパティ・スミスなどがライブを行なっている。


 会場の広さは、700人収容というだけあってかなり広めのつくりだ。非常に観やすいつくりになっていて、併設されたバーも広く、会場内にもバーコーナーがある大きなクラブだ。ここに2日間、DEATH SIDEを目当てに観客が押し寄せるかと思うと気合いも入ってくる。バックアップギターも何本かある中から選べたようで、良いギターが借りられたようだ。ギタリストの2人も気持ちを切り替えてくれ、やっとライブの準備が整った。サウンドチェックも問題なく終了し、あとはスタッフ、エンジニアを含めた会場にいる人間全員にDEATH SIDEを、CHELSEAを、日本のハードコアを伝えるだけだ。


 このLe Poisson rougeというクラブは、さすがビッグバンドがやっているクラブだけあって、セキュリティがしっかりしていた。会場入口から客席と楽屋の入口がわかれており、楽屋入口や会場外などにも屈強な黒人セキュリティが配備されている。荷物の心配もなく、ワケのわからない客が楽屋に出入りして煩わされることもなく、ライブに集中できる環境だった。


 会場外のスケジュールの看板には2日間ともSOLD OUTと書いてあるのだが、それでもチケットを求めに来る観客がいるようで、さらにSOLD OUTの貼紙がされた。会場にはまだ時間があるというのに観客が集まり始め、入口付近では、何人ものセキュリティが忙しそうにしている。会場内が全面禁煙のためタバコは外で吸うのだが、ライブ中も終わったあとも、タバコを吸う人間、並ぶ客、一般通行人と、会場の前はかなり混沌としていた。こういった光景は、日本のライブハウスでも見かけるが、ゼキュリティの人数と厳しさには雲泥の差があるように感じる。有無を言わせぬ毅然としたセキュリティの態度には、プロフェッショナルが溢れ出ていた。そうでないとマンハッタンでのセキュリティは勤まらないのだろう。


 オールエイジSHOWであるためかどうかわからないが、ライブのスタートはPM6時と早いが、ライブ序盤に出演するバンドは短めのセットで、恐らく15分ほどの演奏時間だったのではないだろうか。ライブも中盤に差しかかる時間になると、会場内も観客が溢れ出してきてバーで酒を買うのにも一苦労するような状態になってきた。ギタリストの2人は緊張感も高まってきていて、MUKA-CHINとYOUの2人もいい感じで気合いがみなぎっている。


 鉄アレイのメンバーも来てくれ、いよいよライブが始まった。ステージに上がるともの凄い歓声で迎えていれてくれた。会場の隅々まで見渡すと超満員の状態の観客が全員こちらを見ている。1曲目からステージダイビングの嵐で、客席もあり得ないぐらいの盛り上がりを見せる。


 ギタリストの2人も、緊張はしていたがかなりの素晴らしい演奏とパフォーマンスを見せてくれ、ベースとドラムのリズム隊もガッチリとかみ合い最高の演奏ができたのではないだろうか。筆者もしっかりと想いを伝えることができた手応えがあった。


 最後の曲が終わっても歓声は止まず、アンコールが鳴り響き、アンコールの曲を始めた途端に、またもやステージダイビングの嵐。アンコールの最後の曲が終わっても歓声は鳴り止まず、再度のアンコールがかかっていたが、この日はこれで終了。本番ではステージ上の音も素晴らしく、観ていた観客に後から聞いた話では、後半からは外の音もかなり良くなってきて、素晴らしいライブだったと言ってくれた。終わった後にも色んな観客から様々な嬉しい反応があり、大成功に終わった初日のライブだった。


 ライブ終了後に飯を食いに行き、その後THE ACHERONへ少し顔を出してから滞在先に帰ったのだが、ORIと弁慶の2人は朝方近くまで飲んでいたらしい。筆者は早めに就寝したため、ライブ2日目は午前中に目が覚めた。


 するとAndyから連絡が来ておりRAMONESミュージアムがやっているので行かないかとのこと。ちょうど到着した4月15日がジョーイ・ラモーンの命日だったため、行くことにした。ステージのセッティングや数々のTシャツやポスター、就労ビザの写真では見たことの無いジョーイ・ラモーンのサングラスのない顔の写真などがあり、ニューヨークでのRAMONSの愛され方がよくわかる展示だった。


 その後、滞在先に戻り、Andyはショーン・レノンとのスタジオがあるとのことでライブに来られないため、再会を誓い別れた。タイトなスケジュールのため時間がない中、Andyは本当に色々なニューヨークを見せてくれた。心からニューヨークを愛する本当のニューヨーカーと友人になれたことは、筆者の人生の宝である。こういった友人を持てたことを心から幸せに思う。


 2日目のライブは、盟友・鉄アレイと共演だ。これぞ日本のハードコアだというものを、海外で表現できる滅多に無い機会だ。DEATH SIDEは前日にライブをやっているため、メンバーも皆、初日よりもリラックスしている感じがする。会場に到着すると鉄アレイがサウンドチェックの最中だ。今日はDEATH SIDEはサウンドチェックがないので、メンバーと共に近所の散策に出かけた。


 会場近くがソーホーという地区で、様々なアーティストが路上で絵を売っていたり、その場で描いたりしている。ギャラリーなども多く、非常にアーティスティックな街で、日本にはない雰囲気を感じられた。しかし、やはりパンクスがこのあたりにくることが珍しいのか、髪の毛を立てている筆者は好奇の目で見られるような場面もあった。とはいえ、少ない時間ながらもマンハッタンを散策できて、束の間の観光気分にも浸れた。


 鉄アレイとDEATH SIDEではじめた「BURNING SPIRITS」というGIGは、現在筆者のバンド・FORWARDが中心となって続けている。海外では「BURNING SPIRITS HARD CORE」と言われ、一種のジャンルのように捉えられている節もある。その創始者バンドが揃ってやってくるということもあってか、昨日よりも観客の出足が早く、入口付近にはすでに行列ができており、セキュリティも早々と観客整理に追われている。


 開場すると、昨日よりも早めに観客が集まり始め、2番目のバンドあたりですでに客席は人で溢れかえっている。前日チケットを変えなかった観客も多いため、また違う友人とも再会し、気分も盛り上がってくる。


 そして、いよいよ鉄アレイの演奏が始まる。始まる前にはかなりの緊張感が見られた鉄アレイのメンバーだったが、素晴らしいライブをやってくれた。鉄アレイはバンド名が日本語のため、海外ではあまり認識されていないとの話も聞いていたが、彼等にとってそんなことは全く関係ない。事実、鉄アレイを知らない観客も、ステージが始まるとどんどんのめり込んで行く様子が手に取るようにわかる。筆者としては「見たか! これが日本のハードコアだ!」という感情でいっぱいになった。


 鉄アレイは、かなり素晴らしいバンドなのだ。筆者とは30年来になる付き合いであり、20年以上日本のハードコアシーンの中心バンドとして活動している。何度も鉄アレイを観て涙した筆者だが、このニューヨークでのライブを観て、またもや感激のあまり涙腺が緩んだ。日本のハードコアを、BURNING SPIRITSを、ニューヨークの中心に焼き付ける日がやってくるなど、想像できなかったことである。今までバンドを続けてきて、今までライブをやってきて、本当によかったと心から感じた瞬間だった。


 そしてDEATH SIDEの出番がやってきた。前日の緊張感とはまた違い、リラックスしていたこともあると思うが、前回とは異なるライブの感じとなった。観客の盛り上がりは負けず劣らずもの凄く、セットリストの違いもあり、前日来てくれた観客も楽しんでくれたようだ。ライブ中にMCで、アメリカのビールである「IPAをくれ!」と言ったところ、ステージ上はIPAだらけになり、観客からはIPAコールが起こるなど非常に楽しいライブとなった。


 アンコールの最後の曲では、CHELSEAと一緒にやっていたときの思いが爆発し、併設されたバーや客席の隅々まで行き歌った。マイクのコードが届かないので、一人ひとりに生声で歌い伝えた。スピーカーから声が聞こえてこない上に、ステージ上にヴォーカルの姿が無い。これはライブパフフォーマンスとしては、賛否両論があると思う。しかしこれは、筆者がCHELSEAとやっていた頃から現在にいたるまで日本でやってきたスタイルだ。パンクとは一体なにかを問いたい。観客にも、読者にも、自分自身へも。


 今回、DEATH SIDEをやろうと思ったのは、他界したギタリストCHELSEAの命日に、毎年行なわれる追悼ライブで演奏するためだった。しかし、スタジオでリハーサルを重ねるごとにCHELSEAのつくる楽曲の素晴らしさを改めて感じ、「これは、世の中に残していかなくてはいけないんじゃないか」と思うに至った。それほど素晴らしい楽曲であるとともに、CHELSEAの生きた証が残せるのはDEATH SIDEしかないと感じた。


 その思いに答えてくれたメンバー、特にギターのORIと弁慶がいなければ、CHELSEAの思いも楽曲も、ちゃんと伝えることはできなかっただろう。この2人のギタリストはギターテクニックもさることながら、CHELSEAに対する深い愛情があるため、まだDEATH SIDEを観たことのない観客も感動してくれたのだと思う。彼ら2人には心から感謝する。本当にありがとう。


 今年、DEATH SIDEは7月にヨーロッパのチェコで開催されるOBSCENE EXTREME FESという大規模フェスと、9月にイギリス・ロンドンでライブを行なう。そこではどういう形のライブパフォーマンスになるかはわからないが、愛する日本のハードコアを伝えてくるつもりだ。このメンバーが世界で大暴れしてくるのを、DEATH SIDEがジャパニーズハードコアを世界に伝えてくるのを、CHELSEAの魂とともに見守っていて欲しい。


 最後にこのライブをオーガナイズしてくれたDan Oestreich、運転など様々な世話をしてくれたSpinach、ニューヨークを案内してくれたAndy Animal、そしてこの2日間のライブに来てくれた観客のみんなに心からの感謝を送る。本当にありがとう。それではまた、どこかで会おう。(ISHIYA)