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『とと姉ちゃん』五週目で描かれた「嘘と本当」の意味ーー誰かの代わりを演じることの優しさ

2016年05月09日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『とと姉ちゃん』公式サイト

 次女・鞠子(相楽樹)の制服が行方不明となった。制服を捜す常子(高畑充希)は、森田屋の一人娘・富江(川栄李奈)の部屋の前で制服のボタンを見つける。制服を着てみたいと思った富江は、こっそり鞠子の制服を着ようとしたところ、裾が破けてしまい、直そうとしたがうまく行かずに困っていた。真相を知った常子は、富江のために、みんなには内緒で青柳商店にあるミシンを滝子に借りて制服を縫う。しかし、青柳清(大野拓郎)がミシンのことを喋ってしまい、森田屋の人々に知られてしまう。


参考:『とと姉ちゃん』慌ただしい展開となった四週目 高畑充希は常子の不安をどう演じた?


 富江のことを謝る宗吉(ピエール瀧)たちに対して、常子は、富江といっしょに制服を着て遊びに行く許可をもらう。しかし富江は家にある糠床をかき回していないことが気になって、すぐに戻ってきてしまう。森田屋の家業を継ぐことに迷いがない富江の姿を見た常子は、祖母の滝子(大地真央)に「常子はどうなりたいんだい?」と言われたことを気にするようになる。


 その数日後、常子は神社で星野武蔵(坂口健太郎)と出会う。研究に精を出すあまりに貧血で倒れそうだった星野を、森田屋に連れていく常子。はじめは押し売りを怪しまれた星野だが、帝大生だとわかり、みんなから暖かく迎えられ、ご飯をごちそうになる。星野は国内初の植物を捜していたのだが、常子が青柳商店でキノコの新種を見つけたという話をきっかけに国内初の植物を発見。翌日、森田屋の人々は星野を祝おうと準備をしていたが、鞠子が見つけた新聞で、その植物がすでに発見されていたことを知ってしまう。


 朝ドラは一日15分を月~土まで放送する週六話という構成だが、この時間配分をどう使うかは脚本家のセンスが問われるところだろう。例えば今週なら「とと姉、新種を発見する」というように、一週間単位でタイトルがついてるため、大抵の脚本家は一週間一話という使い方をするのだが、『とと姉ちゃん』では3話+3話という二本立てに近い構成が多く、今週も「富江の制服の話」と、「星野の新種発見にまつわる騒動」の二部構成になっている。


 この二つのエピソードは違う物語でありながら、同じテーマを描いている。富江のエピソードでは、娘を心配する宗吉たちの姿が描かれ、星野の新種発見のエピソードでは田舎の両親に親孝行をしたいという星野の気持ちが描かれる。そしてこの2つの物語の向こう側には母の君子(木村多江)と祖母の青柳滝子(大地真央)に仲良くなってほしいという娘の常子の気持ちが描かれており、君子と滝子の対立と和解の物語は、来週に持ち越される。


 その意味で、今回は子どもの将来を入口とした親子の物語を重層的に描いていたと言えるが、こういった親子の物語を描く際に用いられたのが、第一週のピカッツアの贋作騒動以降、繰り返し描かれている「嘘と本当」をめぐる問いかけだ。富江のエピソードでは、みんなには内緒で制服をこっそり戻しておこうか。という常子に対して、正直に言おうとする富江の姿が描かれる。逆に、星野のエピソードでは、星野を傷つけないために、何とか新種がすでに発見されていることを隠そうとする常子たちの姿が描かれる。


 「嘘と本当」をめぐる心理的葛藤を、ここまで繰り返し描いているのを見ていると、嫌でもそこに過剰な意味を見出してしまう。「嘘と本当」というモチーフは人間描写においては「身代わり」という形で描かれている。その最たるものが、常子が亡くなった父の竹蔵(西島秀俊)に変わって、小橋家のとと(父)として振舞おうとしていることだろう。滝子に「(将来は)どうしたいんだい?」と言われた常子は、自分がどう生きるなんて考えたことがなかったと言うが、今後は少しずつ自分の人生と向き合うようになっていくのだろうか?


 また、常子が青柳商店にあるミシンを使おうとして若旦那の清にこっそり頼む場面で、君子と滝子の不仲を知らされた清は「そっか。実の娘でもそうなんだ。養子の私がわかりあうなんて、到底無理な話なのかなぁ」とつぶやく。今まで軽薄なお調子モノに見えた清が一瞬だけ見せる、養子ゆえの寂しそうな姿は妙に印象に残る。


 一方、星野の名前は武蔵(たけぞう)という、常子の父・竹蔵(西島秀俊)と同じ読み方だ。もしかしたら、帝大生で理屈っぽく説明する星野の存在は、常子にとっては恋人というよりは、父の変わりなのかもしれない。結局、武蔵がこぼした水を、長谷川(浜野謙太)が新聞紙で拭こうとして記事は見つかってしまい、ショックのあまり星野は気絶してしまう。そんな星野を励ますために、星野が飛騨高山出身だと知った常子は、おふくろの味を再現しようとして赤味噌のみそ汁を作ってあげる。星野は「これは、母のと同じだ」と言って喜ぶ。つまり、ここでは逆に星野の母親の代わりを常子は演じているのだ。


 本作では誰かが誰かの代わりを演じること、つまり、身代わり(偽物)として振舞うことが、人の優しさとして表現されている。(成馬零一)