トップへ

『ゆとりですがなにか』第三話で見えてきた、クドカンドラマのルール

2016年05月08日 11:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『ゆとりですがなにか』公式サイト

 坂間正和(岡田将生)は、山岸ひろむ(太賀)から、パワハラで訴えられそうになるが、なんとか示談となり坂間は一週間の謹慎処分で済んだ。辞めると言った山岸は職場に復帰。パワハラが認定されていたら、坂間は元の部署に戻れなかったため、最悪の事態は回避できたのだが、会社と山岸とのわだかまりは残ったままだった。


参考:“ゆとり世代”という言葉は当事者をどう苦しめている?


 一方、山路一豊(松坂桃李)は教育実習生の坂倉悦子(吉岡里帆)から、生徒の一人が、いじめられているのではないかと相談される。いじめは悦子の勘違いで、事態は事なきを得たが、対応が遅かった山路は他の教員から「鳥の民」で責められる。そこに道下まりぶ(柳楽優弥)が乱入したことで、事態はめちゃくちゃに。山路は「いい教師じゃなくていいから、いい人間になってください」と悦子に説教。「初めて叱られたような気がします」と悦子は感謝して、二人の仲は急接近する。しかし後日、山路の元に、若い男が殴りこんでくる。男は悦子の彼女だと名乗り、山路に詰め寄る。


 一気にドラマらしくなった『ゆとりですがなにか』第三話。緊迫感が続いた先週までに較べて見やすくなったのは、宮藤官九郎が得意とするチンピラ系のまりぶが坂間たちと馴染むようになったからだろう。男三人に、坂間の彼女にして上司の宮下茜(安藤サクラ)、山路に気がある悦子、そして、まりぶが気になっている坂間の妹・ゆとり(島崎遥香)が絡むようになる後半は、男3人×女3人の群像劇という『男女七人秋物語』(TBS系)以降のトレンディドラマのようである。山路と茜がロッククライミング施設で再会して男女の友情が芽生えるのも、実にドラマらしい展開だ。しかも終盤には温泉に浸かる女3人のサービスカットまで登場と、見どころが満載だった。


 まりぶのことを友達じゃない、友達はもっと気を使うものだ、と言う坂間と山路に対して、まりぶは思ったことをズバズバといい「友達じゃないから、言いたいこと言っただけ~」と返すが、遠回しに坂間を励ましているのがわかる。ゆとり第一世代という共通項以外はまったく生活環境や考え方の違う三人がつるんでいる姿はとても魅力的。レンタルおじさん・麻生巌(吉田鋼太郎)との関係もそうだが、単純な言葉に還元できない、なんとなくつるむようになった人間関係を描かせたらクドカンの右に出るものはいないだろう。


 もう一点、見やすくなったのは、作品内のルールが見えてきたからだろう。例えば、『タイガー&ドラゴン』(TBS系)なら落語の演目と物語がリンクしたり、『うぬぼれ刑事』(TBS系)なら、毎回主人公の刑事が好きになった女が犯人だという感じで、クドカンドラマでは、作品内のルールが一話で明示され、そのルールに沿って物語が続いていく。そのため、第一話はルールの説明に費やし、二話以降はそのルールがパターン化することで一話完結のドラマとして楽しむことができる。そのような物語上のパターンが二話までは見えなかったが、ゆとり第一世代の坂間たちがゆとり世代の後輩に説教をして一度は感謝されるが、後でとんでもない事態になるという展開が、今後のパターンになりそうだ。


 それにしても、意外だったのは、山岸が会社を辞めずに職場に復帰したことだ。だが、これは一件落着とは程遠い状態で、今後よりやっかいな状況になっていくことを予感させる。「これだかだらゆとりは」と言ったことを嘲笑と受け取る山岸は、今までクドカンが描いてきた笑いの世界の外側にいる人間だ。「説教」と「笑い」が通じない山岸に対し、坂間がどう向き合っていくのか、注目である。


 また、坂間家の描写も面白くなってきた。会社のエピソードや仲間たちと会う場面に較べると、どういう位置づけなのか若干わかりにくかったが、兄の宗貴(高橋洋)が母・和代(中田喜子)から子作りを求められたり、父の死を坂間家が引きずっているという話が繰り返されているのをみると、宗貴がいかに父の後を継ぐのかという話も、重要になっていくのだろう。まずくて飲めなかった地ビールが一か月熟成させたことで飲めるようになったというエピソードは、本作における坂間たちゆとり第一世代と山岸たちゆとり世代の和解を象徴するエピソードとなるのだろうか?


 最後に、どうしても触れたいのが悦子を演じる吉岡里帆の演技だ。いじめ疑惑から宴会の席に至るまで、悦子はほとんど瞬きをせずに大きく見開いた目で山路や小学校の生徒たちを凝視している。これが休日に坂間の家に山路たちと訪れた時は、穏やかな表情をしていて、ちゃんと瞬きをしていて表情が穏やかになるのだが、この目の演技の落差がとても印象に残る。連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)で田村宜を演じた時も、台詞がない棒立ちの場面でも小芝居をして、物語とは別のところで存在感を示していた。おそらく、演じる役ごとに相当、演技プランを考えるタイプなのだろう。それにしても、日本初の女子大設立に関わり、後に校長となる宜を演じた吉岡が、悦子のような危なっかしい教育実習生を演じているというのは面白い。まったく正反対の役柄だが、この二役だけみても、彼女の女優としての振り幅の広さがよくわかる。(成馬零一)