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栗原裕一郎の『「ビートルズと日本」熱狂の記録』評:ビートルズ来日前後を追体験できる“大変な本”

2016年05月07日 20:31  リアルサウンド

リアルサウンド

大村 亨『「ビートルズと日本」熱狂の記録 ~新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた「ビートルズ現象」のすべて』

 日本におけるビートルズ現象。あの狂乱を、新聞・雑誌・テレビ・ラジオといったマスメディアがいかに報じたかを細大漏らさず調べ上げた本。ただそれだけの本である。


 「ただそれだけ」とはいうものの、これは実にしんどい作業である。評者も、本や記事を書くときに似たような調査をしばしばやるのでわがことのようにわかるのだけれど、それはそれは、地味で辛気くさくてゴールの見えない、気が遠くなる作業なのだ。


 ビートルズの存在が日本に初めて伝わった1962年4月から、ビートルズ・ブームが収束する1970年12月までの期間における出来事を、マスメディアにおける報道や記事、広告などを1次資料に洗い直し、時系列順に整理している。1962年4月というのは、ビートルズがメジャーデビューする前、ビート・ブラザース名義でバックバンドを務めた、トニー・シェリダン「マイ・ボニー」の日本盤が発売された日である。むろんビートルズもビート・ブラザースも当時はまったくの無名であり何ら注意を払われていなかった。


 新聞14紙、週刊誌18誌、音楽誌5誌、その他の記録にあたったという。音楽誌が5誌というのは少ないように思うかも知れないが、洋楽に関しては『ミュージック・ライフ』が寡占状態だった時代だ。ビートルズ情報についても同様で、というより、ビートルズの単独取材に成功し、日本人としては異例の信頼関係をビートルズ・サイドと築いていた星加ルミ子を擁する『ミュージック・ライフ』は他誌の追随を許さなかった。


 新聞は、朝日、読売、毎日といった大手はもとよりスポーツ紙まで調べている。本書の発刊イベント対談がシンコーミュージックのサイトに上がっている。それによると、大村は最初、大手新聞を調べていたのだが、ビートルズに関する記事はもっぱらスポーツ紙に載っていたことがわかって調べ上げたそうだ。(参考:http://www.shinko-music.co.jp/beatles50/report160402.html)


 スポーツ紙には縮刷版がなく、国会図書館でマイクロフィルムにあたらねばならない。これもやったことのある人ならわかると思うが、フィルムのリールをプロジェクタに装着しクルクル見ていくしかない、のんきだが非常に手間の掛かる作業である。いうまでもないが検索などはできない。ビートルズに関する記述がないか1ページずつ見ていくしかないのだ。「大した内容じゃないし、ま、いいか」とスルーした記事があとで必要になったりしたら、リールを装着し直してまた最初からクルクル、だ。コピーをとるのもちょっと面倒で、まあ、効率や生産性を考えたらとてもやっていられない仕事である。


 作業には5年が要されている。大村の本職はサラリーマンで、休日を作業にあて、朝から晩まで図書館に籠もっていたという。さらに恐るべきことに、本書の作業は、発表のあてもなく、趣味で淡々とやっていたことだったそうだ。


 まさに日曜研究家というか、だからそこ成し遂げられた種類の仕事だろう。これは大変な本である。


・記録を根こそぎアーカイブする


 マスメディアによって記録された"事実"を掘り起こし、得られたデータを比較検討する。必要に応じて後年の資料も参照して、"事実"に対して検証や解説、注釈を加えていく。基本的にはこのプロセスの繰り返しで進んでいく。


 どんな"事実"が発掘・検証されているのか。先ほど示した期間におけるビートルズ現象について、マスメディアが残した"事実"はほぼすべて網羅されているといってよいと思う。それこそデマや風説の類やレコード発売日といった些事から、ビートルズ現象の頂点である来日公演に関する全体像まで、記録として残っているものは根こそぎアーカイブされているようだ。


 レコード発売日なんて、調べるまでもなく確かなデータが整っているだろうと思いきや、そうでもないのだ。


 たとえばビートルズの日本デビューに関して、「プリーズ・プリーズ・ミー」と「抱きしめたい」、どちらが先にシングルとしてリリースされたか、という問題がある。研究され尽くしているように見えるビートルズなのに、この程度のことも実ははっきりしていないのである。


 定説となっているのは、東芝音工は当初「プリーズ・プリーズ・ミー」を第1弾に予定していたが、アメリカのキャピトルが「抱きしめたい」を第1弾シングルとして発売したため、日本もそれにあわせて急遽「抱きしめたい」をリリースしたというものだ。担当ディレクターであった高嶋弘之の証言もある。


 だが、当時の新聞雑誌には、発売後の記事にも「プリーズ・プリーズ・ミー」を第1弾としているものが複数あるのだ。発売日に関しても記載にズレがあり、いくつかの仮説が成立してしまうのだが、それらの説のどれが正しいのか、資料からだけでは裏づけることができない!


 1964年2月5日に「抱きしめたい」が第1弾として発売され、3月5日に「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されたというのがこれまでは定説で、本書も「抱きしめたい」については2月5日説を採っている。しかし「プリーズ・プリーズ・ミー」3月5日説は、資料から明らかに誤りであるという。


 発売中止になった『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ』も不確定な要素を残すレコードである。ビートルズ来日を見込んで企画された日本独自編集のベスト盤で、テスト盤が数枚現存するのだが、79年にビートルズ研究家の故・香月利一が明らかにするまで、このベスト盤は存在すら知られていなかった。


 ビートルズの来日は66年6月。そのためこのベスト盤の企画が立ち発売中止になったのも66年のことだと思われているのだが、それは事実と異なることが示されている。


 企画が動き出したのは64年の暮れで、招聘の交渉が難航するのと連動してこのベスト盤も紆余曲折をたどり、1年半のすったもんだの末に発売中止となった。実際には1年半におよんだ経緯が、66年の来日にまつわる一時のこととして記憶されてしまっているのだ。いわば「記憶の圧縮」である。


 逆に「記憶の拡散」と呼べそうな事象もあって、ビートルズ映画に熱狂した女性ファンがスクリーンに駆け寄ったり破ったりすることが頻繁に起こったように語られるけれど、そんな事件は実はごくわずかしかなかったことが報道を見ていくとわかる。


 ビートルズ来日交渉のディテールや、武道館使用をめぐる攻防戦、来日から離日するまでのてんやわんや、武道館ライブの詳細、ファンたちの動向およびそれに対するホテル側や警察の警備、メンバーたちの動向、メディアの動向、TV放映権を争って起こったいざこざ、チケットの取り扱われ方やチケットをめぐって起こったトラブルなどなどについては、本書のメインといっていい部分であり、特に念入りに検証されている印象である。


 トリビア的知識を仕入れるのにも事欠かない。右翼が執拗にビートルズ来日を阻止しようとしていたこととか、細川隆元・小汀利得(ともに政治評論家)といった偏屈ジジイがくどくどとビートルズをバッシングしていて、それが時の佐藤栄作首相にまで影響を及ぼしていたこととか。


 ビートルズ来日公演とたまたま同じ日程でリサイタルを開く予定だった舟木一夫や朝丘雪路に目をつけて、各マスコミがこぞって対立の構図をでっち上げるなんてこともやられていた。


「舟木一夫がビートルズと正面衝突! "運命の日"に開く初リサイタルの強気と弱気」(『週刊明星』)
「くたばれビートルズ 負けるな、朝丘と舟木 同日出演 リサイタルの前売り好調」(『東京中日新聞』)


 などなど。


 ビートルズ来日騒動直後に岡本喜八が『幸(しあわせ)コメディ キノコの戦い』というTVドラマの脚本を書いていたというのも初めて知った。ググってもヒットゼロである。これは見たい。


「生田大作(伊藤〔雄之助〕)は元軍人で人生は敗戦とともに終わってしまったと思い込んでいる。ある日、大作は妻の松江(丹阿弥〔谷津子〕)と娘のあゆみ(沢ひろこ)が、ビートルズがやってきたとわめいているのをみて、人生にとり残されていくのを感じ、ビートルズのボデーガードになる決心をして家を出る……」


・記録と記憶


 武道館ライブに関する報道で面白いのは、大手新聞がまったくのデタラメを載せていたりすることだ。6月30日の第1回公演について、『東京新聞』は次のように書いた。


「おはこの「プリーズ・プリーズ・ミー」「ヘルプ」そして最後の「ツイスト・アンド・シャウト」まで35分間、工事現場のエアハンマーの真下で、オートバイを乗り回しているような反響音だけ」


 だが、この記事にある曲は、実際にはひとつも演奏されていない。


「本当にライヴを観ていたのかすら疑わしい。事前に配られていたであろう演奏予定曲目を元に"やっつけた"様子が強く感じられる。信じられないが、本当にこれが新聞に載ったのだ」


 メディアが記録として残した"事実"が必ずしも"真実"とは限らないことを示す端的な一例である。


 大村がこの本の意図として強調するのは、「記録と記憶」を摺り合わせて"真実"を残すことの重要性だ。


 記憶というのは、改変されたり捏造されたり失われたりするものである。ビートルズの受容については神話化がほぼ完成していることもあり、リアルタイムに体験した人たちでも記憶が改竄されている可能性は高いだろう。記録によって記憶を補正すること。
 逆に、記録された"事実"が"真実"と限るわけではない。記憶によって記録を修正すること。


 記録を提示することで、ビートルズを体験した人々のうちに眠っている、当事者しか知りようのない記憶を喚起し記録することも期待されている。


「記録は後からでも調査は可能だが、記憶はそうはいかない。そして、悲しいことにその最終期限は迫りつつある。遅かれ早かれ、ビートルズを直接体験した人は世の中からいなくなってしまう。(…)リアルタイム世代の方々は、どんな些細なことでも構わないので後世のためにご自身の体験を残して頂きたく思う」


 記録のアーカイブというと、無味乾燥なデータの羅列のように思われるかもしれないが、読んでいる最中は、まるでビートルズが、今まさに来日する! した! 帰った! みたいな臨場感・没入感があったことを書き添えておこう。序文を寄せている広島の中古レコード屋ジスボーイのオーナー菅田泰治がいみじくも「活字によるドキュメンタリー・フィルム」と評しているように、当時を知らない者が、あのときを追体験できるノンフィクションにもなっている。


 今現在起こる事件についてだって、われわれは、テレビやニュースサイトなどから情報を仕入れ、ツイッターやフェイスブックで他の人たちの感想や意見、論評などを追いかけ、それらの情報を総合するという具合にメディア越しに体験しているわけだ。


 ビートルズ現象についてクロニクルに当時のニュースを読み、雑誌の記事を読み、ファンの声や投書を読むという追体験と、現在の事件を体験する仕方とに、いかほどの違いがあるか。そんなことも思った。


 繰り返すが、これは大変な本である。著者のあてどもなかった発掘の旅が報われんことを。(栗原裕一郎)