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攻めのモノブライト! 未来を感じる意欲作『Bright Ground Music』はなぜ“刺さる”のか?

2016年05月06日 18:01  リアルサウンド

リアルサウンド

モノブライト

・2015年6月にドラマー瀧谷翼が脱退し、同じメンバーでバンドを続けるという理想が終わってしまったことで、バンドの形にこだわらずに曲を作り、アレンジをしようという考えになった。


・その一方で、自分たちのルーツである90年代の洋楽の影響を、アレンジ等にストレートに出した。


・このアルバムは、「日常を歌う」という意味でのフォークミュージックである、日常で感じる善と悪、真実と嘘を並べたアルバムである、と桃野陽介は認識している。


・だから、伝えたいことを遠回しに伝えたりひねって表現したりすることをやめて直球にした。


・その結果、すべての曲が、書いた自分に刺さってくることを歌っているアルバムになった。だから聴く人にも刺さる可能性がある、そして人によってはかなり痛い刺さり方をしそうなので、この曲たちとまっすぐ向き合うんじゃなくて、BGMくらいの距離をとって聴いた方がいいですよ、という意味合いもあって、略すと「BGM」になる『Bright Ground Music』というタイトルを付けた。


 というのが、再スタートを切ったモノブライトのニューアルバム『Bright Ground Music』に関して、本人たちが発言していたり、書いていたりすることであり、アルバムを聴けば理解できるし、得心もするが、ただ、最後に関しては、必ずしもそうは思わない。


 どんどん刺さればいいじゃないか、と思う。痛くていいじゃないか、と思う。というか、そういうものを求めて音楽を聴く人にこそ、届くべきアルバムなんじゃないかと思う。

 このアルバムの3曲目の「こころ」があまりにもよかったので、前にこのリアルサウンドでも書かせていただいたが(こちらです http://realsound.jp/2016/04/post-7080.html)、このほかも、やはり、聴き手に刺さる曲たちが並んでいる。公式サイトにアップされている桃野の楽曲ひとこと紹介によると、歌舞伎町のホストを見て思いついたり、自分が見た夢が元になっていたりと、曲を書く最初のとっかかりになった動機はバラバラなようだが、「こころ」と同じように、心の奥の奥までぐいぐい入ってくる曲ばかりだ。


 自分が常識だと思っていたり、疑いなく信じていたり、あたりまえの前提として認識していたことを、根本からグラグラ揺さぶってくる。それらの常識や前提をいったんゼロにし、改めて問い直す。その結果、それまでの自分のものの見方や認識の仕方や考え方のある部分を変えてくれる、というか、変えてしまう。


 このアルバムの曲たちがもたらしてくれるのはそういうものだ。って、それ普通じゃん、そもそもロックってそういうもんじゃん、と言われそうだ。そうだ。ロックってそういうもんだから好きになったはずなのに、そういう感覚をロックから受け取るという経験を、しばらくしていなかったんだな、ということに、このアルバムを聴いて気がついた、という話だ。

 ただ、そんなふうに、聴き手にヘヴィーなものをつきつけてくる作品でありながら……いや、「だから」なのかもしれないが、音楽としての聴き心地のよさを最優先にして作られているフシもある。


 いかにアッパーに盛り上がれるかとか、いかに高いテンションを伝えられるか、みたいなことはあまり重要視されていない。なるべく平熱に、なるべく淡々と、素敵なアレンジだったり、心地いいリズムだったり、美しいメロディだったりを伝えてくる、そういうアルバムになっている。だからかまえずに聴けるし、飽きずに聴けるし、「ちょっと今はこういう気分じゃないから聴けない」みたいなことがない。「なんとなく聴く」ことと「じっくり聴く」ことの間のハードルがない。ただし、先に書いたように、じっくり聴いたら最後、そのたびにグサグサでグラグラなことになる。

 このアルバムがリリースされて以降、メンバーたちが「日本武道館を目指したい」というような発言をしているのを、ラジオや雑誌で知った。ここまで僕が書いたようなアルバムである『Bright Ground Music』を作ることができたから、そう考えるようになったのではないか、と思う。


 もっともクリアに今のモノブライトが表れたものであり、もっとも敷居が低くて普遍性の高いものであり、でも同時にもっとも濃くてヒリヒリするものを作ることができた。それを広く、遠くまで問うてみたくなったのではないか。


 確かに、このアルバムは、そんなふうに聴かれるのにふさわしいスケール感を持っている。(文=兵庫慎司)