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パスピエがバンド“2周目”で突き詰めること「説明に困るような純度の高いものを目指したい」

2016年05月06日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

パスピエ

 パスピエが4月27日に、2016年第一弾シングル『ヨアケマエ』をリリースした。同作の表題曲は、パスピエが武道館公演というひとつの節目を終え、次のステージへと進んでいることを改めて提示するストレートな歌詞や、オリエンタルなメロディー展開とタイトなリズムの絡み合う、パスピエのパブリックイメージをあえて反映したといえる楽曲だ。リアルサウンドでは今回、バンドの中心人物・キーボードの成田ハネダと、パスピエの特徴の一つであるアートワークや歌詞を手がけるボーカルの大胡田なつきにインタビューし、4月6日に発売した『Live at 日本武道館“GOKURAKU”』や『ヨアケマエ』についてのこと、2人が口を揃えて“2周目に入った”と語ったバンドの現状などについて、じっくりと話を訊いた。


・「武道館が終着点ではなく、次の一歩をどう踏み出すか」(成田)


――まずは4月6日に発売した『Live at 日本武道館“GOKURAKU”』の話から聞かせてください。武道館のステージは1年の集大成ということもあって、演出も豪華になっていたほか、各メンバーには機材の変化も見られました。


成田ハネダ(以下、成田):武道館という場所では、色々な特効を使ったり、ライブを盛り上げる上でいろいろな見せ方ができる場所ですが、「パスピエならではのステージ」としてどういうものができるのかを考えて。楽器の魅力や大胡田のステージングなどを存分に表わせたほうが面白いと思ったし、「まずは耳で楽しんでほしい」ということを模索した結果が、機材の増強などに繋がりました。


大胡田(以下、大胡田):私は、楽器とは違って目にハッキリ見えるものではないですが、今までの延長線上にあるものをステージで表現できたという手ごたえはありました。空間全部が集大成というか。端から端まで駆けまわらなくても伝わるのを感じたし、ステージの上で自分が楽しむ余裕が増えたのかもしれません。


――個人的にパスピエのライブは、昨年9月にO-EASTで行なったライブ、つまり『娑婆ラバ』の楽曲をセットリストに加えるようになったときから、大きく見せ方が変わったと感じています。その時のMCでも言っていましたが「考えて聴く」ことがよりできるようになったというか。(参考:パスピエの魅力は、強く太い一本線になったーー間口を広げて成長するバンドの今を分析


成田:そうですね。ただ、それがすべて計算通りということではなくて。『娑婆ラバ』も制作直前までは「ポップネスに溢れたアルバムにしようかな」と考えていたくらいなので。昨年は初めてアニメのタイアップや武道館が決まるなど、自分の中で「外に向けなきゃ、広げなきゃ」という一種の気負いみたいなものがあったんです。ただ、バンドメンバーと話して、自問自答していくうちに「パスピエらしさ」というのは、はたしてそこだけで伝わるのかと考えるようになり、悩みぬいた結果の「淀み」みたいなものがアルバムで全部放出てきた感じがしていて。改めて『娑婆ラバ』を聴いて、「自分たちにおけるポップというのは、こういうことなんだな」と確認できてよかったです。


大胡田:ライブについては、みんなで一緒に騒ぐことも勿論楽しいのですが、「こちらが世界観を見せる」というパフォーマンスを考えるようになりました。『娑婆ラバ』ではメロディーや歌詞に世界観のある曲が沢山生まれたので、そのイメージを途切れさせずに、一曲を通して浸ってもらえるような表現を意識するようになったんです。


ーー大胡田さんの歌でいうと、「花」や「素顔」といったようなボーカルを前面に押し出す楽曲もセットリストに加わりましたからね。


大胡田:今まで、ライブでは「どうしたら感動みたいなものに近い感情を与えられるか」と考えて歌っていたのですが、『裏の裏』に収録した「かざぐるま」あたりから、変な力の入れ方はしなくていいのかもと思うようになったんです。自分の素が前面に表れている曲なら、私が曲に対して感じている気持ちを込めて歌うことで、しっかり伝わるんだと。


――なるほど。そんな武道館を経てリリースするシングル『ヨアケマエ』の表題曲は、外に向きすぎることもなく、等身大のパスピエが“芯”の部分を表現した一曲なのかもしれないと感じました。


成田:武道館が終着点ではなく、そこを終えて次の一歩をどう踏み出そうか考えているなかで「温度感をどれぐらいにするか」というテーマに行き当たりました。やっぱり自分たちの音楽も幅を広げなければいけないし、数あるアーティストの中から、パスピエの「ヨアケマエ」をたまたま聴いてくれた人に「ああ、こういう音楽もあるんだ」と思ってほしくて。これまでは好きな音楽ジャンルのそれぞれ違うメンバーが、色々なところに表情を持たせているバンドとして3、4年やってきましたが、『娑婆ラバ』をリリースするきっかけになった「蜘蛛の糸」や、ロンドンでライブをしたときに改めて感じた“ジャポニズム”と向き合ったとき、ダンスビートをバンドサウンドで演奏しつつ、そこに和のテイストを乗せるのが自分たちの“らしさ”なのかもと感じました。


――たしかに、「ダンスビート+オリエンタルなメロディー」というのは、パスピエを表わすのに多くの人が使っている記号かもしれません。


成田:これまでの曲だと「チャイナタウン」などがそうですよね。和のテイストって、いわゆる和っぽい音階を使えば出せるのですが、それはどのアーティストもトライしていることなので、自分たちはその手法を使わずにどこまでできるのかを追求した1曲ともいえます。オリエンタル感というのはニューウェーヴともリンクするところですし、そういう意味では、これまで築き上げてきたパスピエの音楽像に向き合って、改めてその武器を研ぎ澄まして攻めようという楽曲でもありますね。


――パスピエの“ダンスビート”は、ロックバンドが多用しがちなお祭り感のあるものではなく、どこかヨーロッパのクラブミュージックのような、ある意味で無機質さのあるものですよね。


成田:僕自身、ヨーロッパのバンドやニューウェーヴが大好きということもありますし、アメリカよりも、フランスやイギリスのようなビート感が日本人の気質には合っていると思うんですよ。ライブの反応を見て、改めてそう感じました。


・「当時はちょっとハズすことにカッコよさを感じていた」(成田)


――歌詞に関しては、これまでの楽曲よりもさらに俯瞰したところから表現している印象でした。


大胡田:何と言ったらいいのかわかりませんが、今年は歌詞について、いい言葉や感動的なストーリーにしなくてもいいのかなと思っていて。この歌も「綺麗にまとめるのは一旦置いておこうかな」という気分で、今年の決意表明的なことを書きました。達観しているというか、いまは歩み寄るというモードではないのかもしれません。


――ひとつのストーリーではなく、フレーズとして強い言葉が並んでいるというのはこちらも感じました。サビ頭の<革命は食事のあとで 誰よりスマートに済ませたら>という言葉も、パスピエらしいクールな表現です。


大胡田:今回はストーリーを考えず、サビの一行目に2016年のパスピエを表現するようなフレーズを入れたいというところから書き始めたんです。タイトルの「ヨアケマエ」は成田さんの案ですが、これも歌詞がほとんど出来上がったときに提案してくれたワードで。


成田:今って、世の中の反応が見えやすくなり、手段もどんどん簡略化されているなかで、便利になりすぎていることに疑問を持つ人たちもいますよね。大胡田もおそらくその一人で、この歌詞はそんなもやもや感と世の中が実際に思っていることが整合性を取り合っている内容に映るというか。この歌詞を受け取って奮い立ってほしいというわけではなく、「こういう価値観を提示しますがどう思いますか?」と投げかけて、音楽を通じた会話をしたいだけなんだと思います。


――先ほど成田さんから「研ぎ澄ます」という表現がありましたが、2人は何をもって音楽を「研ぎ澄ます」とするのでしょうか。


成田:“パスピエだからできること”を突き詰めることですかね。時期によりけりですけど、純度を研ぎ澄まし続けることだけが良いことだとは思っていなくて、昨年は「持てる武器をもっと増やしたい」ということで色んなアプローチに挑戦したのですが、今年はそこで得た武器や経験を磨いて、自分たちにできることを追求するべきじゃないかなと。


大胡田:わたしは、“説明に困るようになること”ですね。友達から「パスピエってどんな感じのバンドなの?」と聞かれて薦めるときに、「誰々と誰々の中間っぽくて」と言い表すことができずに「とにかく聞いてもらえればわかるので」と答えなきゃいけない存在になることが、純度の高いものといえるのかもしれないです。


――替えの効かない存在こそが純度の高いものである、ということですか。


大胡田:そうですね、そこを目指していきたいなと思います。


――2曲目「カメレオンの言い種」は、『ONOMIMONO』に収録されていてもおかしくないくらい、初期のパスピエに近い印象を受けました。


成田:『ヨアケマエ』からパスピエを知る人にむけて、面白い部分を感じてもらうために、改めて過去の曲をやるのがいいんじゃないかと思い、結成当時に作った曲を持ってきたものです。『フィーバー』や『MATATABISTEP』のカップリングには置けないけど、自分たちのありのままを洗練させてアップデートした「ヨアケマエ」とこの曲を並べたときに、サウンド感も含めて繋がるものがあると感じていて。「2周目に入ったんだな」という感じがしますね。


大胡田:確かに、2周目感がありますね。


成田:そういう意味では昔のファンにも今から知ってくれる方にも「既視感」のようなものが伝わるといいですね。


――この曲はパスピエのディスコグラフィーにおいても、良い意味で「ポップにしすぎないバランス感」の働いている楽曲だと感じましたが、そんな背景があったんですね。歌詞は当時のものから変更しているのでしょうか?


大胡田:5文字くらいしか変えていないです。


――どこを変えたのか気になりますね。


大胡田:(笑いながら沈黙)


成田:それは言わないんだ(笑)。


大胡田:ちょっと恥ずかしくて変えた箇所なので(笑)。もっと大幅に変えても良かったんですけど、せっかく昔のパスピエ感を残したまま収録するなら、そのまま歌ってみたほうが、言葉の意味合いなども変わってくるかなと思いまして。


――当時はどういうモードで書いたものなんですか。


大胡田:割と自分がやらかしそうなことというか、私のストーリーに近いものだったと思います。いま改めて見返すと、漫画チックというかファンタジーというか、自分からは若干遠い物語のように感じました。


――『カメレオン』という言葉は、当時リスナーを煙に巻いていたパスピエにピッタリの言葉かもしれないなと思いました。


成田:「そういうスタイルがカッコいいよね」と思っていた自分たちが若いと感じてしまいますね(笑)。曲の構成にも表れていますが、当時はちょっとハズすことにカッコよさを感じていましたし、背伸びすることも多かったのですが、いまになってみると、等身大のままで演奏できるようになっているんですよ。


――パスピエは過去曲のサルベージも定期的に行なっていますが、“2周目”といえるタームに入ったことで、より引っ張り上げる曲も増えそうです。


成田:アルバムの場合はコンセプトを決めて、そこにハマる曲を作っていくという流れですが、シングルのカップリングは自由度が高いですし、そこを大事にしないとシングルとしての意味もなくなると思っていて。だからこそカバーにも挑戦しているので、カップリングでは今後も過去曲や新曲は関係なく、どんどん面白い楽曲を収録していきたいですね。もちろん、それは自分だけで判断するものでもなくて、スタッフを含めて良いと思ったものをやっていければと考えています。


・「今年はちょっと『記号的な感じ』にしたい」(大胡田)


――カバーの話が出たので3曲目「金曜日の天使」についても訊きたいのですが、電気グルーヴ、コーネリアスときて、今回は近田春夫&ビブラトーンズ。楽曲のセレクト含め、渋い選出が続きますね。


成田:今年はシングルを含め、表面として見せていく部分では、ある程度やりたいことも固まっているので、そこに対して逆張りしたいという気持ちはあります。それに加え、カバーをするうえで若い世代がやらなさそうなものであり、個人的に良いと思っている曲を再提案したいという取り組みですね。僕らを通じて10代の子がビブラトーンズにハマるとしたら、それは本当に嬉しいことですし。


――確かに、近田さんを通っていない世代にとっては新鮮なのかもしれません。カバーだと、大胡田さんが普段使わないようなフレーズを歌っているのもまた聴きどころですよね。今回だと<メンソールの洋モクが>とか(笑)。


大胡田:「洋モク」はさすがに使わないです(笑)。


成田:でも、当時の尖ってる言葉って面白いよね。


大胡田:良いですよね。パスピエの歌詞にも古文的な、昔風の言葉を入れることはあるんですけど、20~30年前の言葉ってなかなか使いづらいですから。近いけどすごく遠く感じるというか。その言葉をリアルに使っていた人がまだ生きていると、使いにくいですよね。だからこそ、歌っていて楽しいですし、乗り物に乗っているような気持ちになります。


――続いてアートワークにも触れたいのですが、今回はこれまでのシンプルな感じがなくなっていて驚きました。中を開くと劇画調にもなっていて。


大胡田:『Live at 日本武道館“GOKURAKU”』のジャケットを描いたことをきっかけに、白黒にハマり出しまして。『ヨアケマエ』のジャケットに女子高生を描いたのは、歌詞の<革命は食事の後で>を思いついたあと、自分の中で革命的だった時期として高校生時代がそうだったなと思ったので。


――大胡田さんの描くアートワークには、時折セーラー服の少女が登場しますね。


大胡田:私の中で、セーラー服を着ていた時期って“黄金時代”なんですよ。小さいころから着たいと思っていて、大人になった今でも憧れる気持ちがあって。どこへでも行けるし、どこにも行けなかったりするというか。アートワークに関しても、書き込みをしたり色を塗ったりと、『娑婆ラバ』までの作品である程度やりたいことはできたので、『ONOMIMONO』や『わたし開花したわ』のように、2色のみを使うという制約を掛けていた頃の表現に一回戻ろうかなと。成田さんが“2周目”と言っていましたが、私のアートワークに対する考え方もそれに近くて。


――今回は絵のタッチも変わりましたか?


大胡田:白黒を描くうえで漫画っぽい線にしたいなと思って、原稿や下書き、トーン貼りに色塗りまで一通りできるソフトに変えたんです。中面には集中線も描いてみたりと、いまはすごく楽しいんですよ(笑)。


――ただ、背景はこれまでの白塗りからカラフルなものに変更したりと、シンプルな表現には戻りつつも、少し手心を加えているように思えます。


大胡田:はい、今年はちょっと「記号的な感じ」にしたいなと思って。だから女の子も模様のように配置して、すごく意味があるわけじゃないんだけど、意味があるようにしているんです。


――パスピエが得てきた記号性を、ライブの場やフェスにおける30分の出番で表現することについて、成田さんは以前「外向きのセットリストを用意して、フェスミックスCDでより深いところに入ってきてもらう」と発言していました。『娑婆ラバ』や『ヨアケマエ』の楽曲が加わり、今後はどう変化していきそうでしょうか。


成田:まさにメンバーとも話し合っているのですが、フェスに参加はしても、その中に溶け込むのではなく、パスピエはパスピエらしくいたいと思います。『娑婆ラバ』や『ヨアケマエ』の楽曲が加わって、対外的なライブをどうするかというのは、夏以降のテーマになってくるでしょうね。


――今後リリースするであろう楽曲については、どういったテーマを?


成田:曲作りに関しては、個人的に“ミドルテンポなアッパー”をテーマに掲げています。ただ、ミドルテンポといっても、現在のロックバンドの多くがBPM170以上のものをアッパーとしているなかで、その水準から下げる音楽をやっても見劣りせず、かつ新しいものを見せて盛り上げていきたいんです。ただ、盛り上げるにはアッパーな曲を作らないといけなくて、テンポはミドルでもそれっぽく聴こえる曲をと思ったのが「ヨアケマエ」で。その勢いを途切れさせないように、今年はシングルをいっぱい出そうと考えています。


――成田さんは先ほどパスピエが“2周目に入った”と言いましたが、シングルを多くリリースするのは2周目の感覚を掴んでいくという意味合いもありそうですね。


成田:そうですね。改めて自己紹介をしないといけない年だと感じていて。それをするにはアルバムという塊じゃなく、名刺代わりになるシングルを何作も出す必要があるかなと考えているので、期待して待っていてもらえれば嬉しいです。(取材・文=中村拓海)