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松江哲明が語る、フェイクドキュメンタリードラマ『おこだわり』の挑戦「テレビドラマの“グレーゾーン”を突いていきたい」

2016年05月06日 15:51  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』製作委員会

 松岡茉優と伊藤沙莉が本人役で出演するフェイクドキュメンタリードラマ『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』(テレビ東京)が、その特異な作風で話題となっている。本作は、清野とおるによるコミック『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』を題材に、松岡茉優と伊藤沙莉が「他人にはなかなか理解できないけれど、本人は幸せになれるこだわりをもった人==“おこだわり人(びと)”」へ突撃取材する模様を、虚実の入り混じった視点から切り取った意欲的なドラマだ。監督を務めたのは、『童貞。をプロデュース』(2007年)や『フラッシュバックメモリーズ 3D』(2012年)、『山田孝之の東京都北区赤羽』などの作品で知られるドキュメンタリー作家・松江哲明。最終的に松岡茉優がモーニング娘。'16に加入することもアナウンスされ、その展開にも注目が集まる本作は、どのように作られているのか。監督本人にその手法の狙いや、テレビドラマならではの表現について話を聞いた。


参考:松岡茉優、独特のユーモアをどう発揮する? 『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』への期待


■「ほかのフェイクドキュメンタリーと違うのは、台本に書いてあること以外も撮っているところ」


――『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』は、かなりユニークな切り口のドラマですね。この企画はどんな風に生まれたのですか?


松江哲明(以下、松江):『山田孝之の東京都北区赤羽』の構成を担当した竹村武司さんが、松岡茉優さんのトークバラエティ番組の構成を手がけたときに、「彼女はすごく面白いから、なにか一緒に番組をできないですかね?」と言っていたのがきっかけです。僕も松岡さんとはWOWOWの『シネマの世代』でご一緒して、トークが上手かったのを覚えていたので、ぜひ一緒になにかを作りたいとは考えていました。ただ、松岡さんはドラマの人だし、僕はドキュメンタリーの監督だから、なかなか一緒にやるのは難しい。だけど竹村さんと話していて、清野とおるさんの『その『おこだわり』、俺にもくれよ!!』という漫画を、松岡さんでやったら面白いんじゃないかって閃いて。清野さんの漫画はもともとがノンフィクションだから、ドキュメンタリーの手法とも親和性があるし、清野さんが漫画の中で行っていた取材を松岡さんに実際にやってもらったら、ひとつ形になるんじゃないかと。それで竹村さんとLINEをやり取りしているうちに企画書ができて、すぐテレビ東京に持っていきました。竹村さんがいうには、この企画は絶対にテレ東のあの枠じゃないとできないそうです(笑)。


――『山田孝之の東京都北区赤羽』はドキュメンタリーでしたが、今回はアプローチが異なっていると感じました。


松江:『赤羽』は、山下敦弘監督が山田孝之と過ごした時間を、僕が全12話に構成、編集したもので、そもそもドキュメンタリーなんですよね。一方で『おこだわり』は、もとから脚本がちゃんとあります。番組の冒頭で「このドキュメンタリーはフィクションです」という断りを入れているのですが、それが本作のアプローチなんです。一般的に、ドキュメンタリーは真実を見せるものだと思われていますが、そうではないんですよ。もちろん、劇映画よりも真実の領域は多いけれど、面白いドキュメンタリーは虚実が入り混じっているものなんです。今作は、最初から「嘘」と言い切っていますが、観ているひとが「本当か?」って感じてしまうようなものにしたいと思っています。


ーー伊藤沙莉さんと漫画家の大橋裕之さんのキスシーンは、フィクションとはいえあまりに予想外で驚きました。


松江:ほかのフェイクドキュメンタリーと違うのは、台本に書いてあること以外も撮っているところだと思います。たとえば、「おはようございます」って台詞から番組がスタートするとしたら、そのだいぶ前、現場に歩いてくるところから僕は撮り始めているんです。そうすると役者は、その途中に「今日はどうしよう」とか、世間話をするんですよ。そういう部分をちゃんと撮らないと、あの生っぽい感じは出ないんです。伊藤さんと大橋さんのキスシーンは、台本に「キスをする」とは書いてあるんですけど、その前後の松岡さんとのやり取りなどは本人たちのアドリブです。台本の前後も撮って、面白い映像が撮れたらそれを組み入れつつ、また台本に沿って編集していくという、かなり面倒なことをやっています。3分とか5分のシーンのために、30~40分長回しをしていますね。


――フィクションの中にドキュメンタリーの要素を組み込んでいると。


松江:そうです。台本をつくる段階から、松岡さんと伊藤さんにはできるだけ嘘のない芝居をしてもらえるように、彼女たちには実際の趣味などもリサーチしています。たとえばカラオケの選曲なども、何を歌ったら面白いか、本人たちの意向を汲んで決めました。だからリアリティがあったし、友だちのキスシーンを間近で見てしまった松岡さんの叫び声は間違いなく本物です。


――ふたりは本当に友だちなんですよね。


松江:ええ、松岡さんと伊藤さんは実際に仲が良くて、その関係性を番組でも生かしています。彼女の破天荒なキャラクターは、もちろん竹村さんの創作ですけれど、すごくハマりましたね。自由奔放に場をどんどん壊していく感じは、『元気が出るテレビ』の高田純次さんをイメージしました。清川虹子さんの指輪を食べちゃって、ガムが付いたまま出てくるとか(笑)、かと思えば、東大に受験する男の子に寄り添って涙を流したり。ああいうキャラクターはいま、テレビに必要なんじゃないかと思います。


――ふたりが喧嘩するシーンなどは、友だち同士ならではの生々しさがありますね。


松江:竹村さんは、女の子同士の喧嘩をずっと描きたかったみたいで、最初から脚本にはそういうシーンがありました。僕は女性が怒っているのを見るのが苦手なので、撮っていて心が痛むところもあるのですが(笑)。ただ、ふたりは喧嘩のシーンを撮ったあとは必ず抱き合っていて、すごく素敵だなと思いました。オープニングでは、屋上でふたりがヘッドホンで仲良く音楽を聴いたりしていますが、それは本編では描けないふたりの関係性なんです。


――若干、百合っぽい雰囲気も感じます。


松江:僕は全く知らないカルチャーなんですけれど、そういう風に言ってもらえるのは素直に嬉しいですね。いままでの自分の作品にはなかったものが出てきているということだと思うので。童貞を撮っていた頃を思うと、とても新鮮です(笑)。今回は演技についての演出はしていなくて、基本的にはふたりに任せているんですよ。僕は役者ができるだけ入りやすいように世界をつくるだけで、そこで彼女たちがどうリアクションするかを撮っていきたいと思っています。


■「役者たちが率先して面白いことにチャレンジしていくと、意欲的な作品も増える」


――主演のふたりがセルフプロデュースしている部分も大きいんですね。


松江:役者が自らをプロデュースしていく作品は、もっと増えていいと思います。いまはパブリックイメージありきのキャスティングがあまりに多くて、それだと役者も面白くないですよね。山田孝之が『赤羽』を記録に残したのも、やはり自分をプロデュースしたいという意思があったからだと思いますし。90年代とか00年代初頭の日本映画って、監督の作家性がすごく出ていたんですよ。でも、作家主義が強すぎてお客さんのことをあまり見ていない作品も多かった。その反動から、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)以降の日本映画は、テレビドラマの延長になってしまったり、原作が何万部のベストセラーだったり、いわば数字が見えている作品が増えていった。冒険している作品が減ってしまったんです。一方で、映画における役者の力は、以前よりも強まっています。いまは監督より原作より、どの役者が出るかが企画においてもっとも重視されています。そうなったとき、役者たちが率先して面白いことにチャレンジしていくと、意欲的な作品も増えるんじゃないかなと思います。


――今後、ドラマには斎藤工さんや大倉士門さんも登場しますよね。


松江:1話目は料理番組っぽい感じで、2話目はコントだったじゃないですか。3~4話目では、素人とプロの俳優のアドリブ芸みたいなものを見せたので、5話目からはいよいよ視聴者も知っている著名人を登場させようと。斎藤工さんは原作とは関係なく、実際にすごい“おこだわり”を持っていて、清野さんの漫画に登場していてもおかしくないレベルなんですよ。視聴者が普通に知っているひとが、実はこんな一面を持っているというのを観せつつ、漫画の世界から少しずつ飛躍していこうと。今回は、自分が考えるフェイクドキュメンタリーというものをとことんまでやってみようと思っていて、観るほどにどんどん虚実の境目がわからなくなるような、いろんな仕掛けがあります。たぶん、最終回までずっとどう捉えて良いのかわからない番組になっているんじゃないかな(笑)。


――毎回、カオス感が増していくのも、連続ドラマだからこその表現だと感じています。


松江:ドラマの“見方”そのものを揺さぶるのは、映画よりテレビの方がやりやすいと思いますね。テレビっていうのは基本的にリアルタイムのもので、放送した瞬間が作品の完成なんですね。一方で映画は、すでに完成したものを観ているんです。みんな前評判とかを聞いて観に行ってるわけで、それはすでに過去の作品なんですよ。『おこだわり』は、そういうテレビと映画の違いをとりわけ意識した作品で、だからこそ当初から松岡さんが最終的にモーニング娘。になることを公表しているんです。プロデューサー陣からは当初、それはネタバレになるから言わない方がいいんじゃないかとの意見もありましたが、ドキュメンタリーにはそもそもネタバレがないんです。たとえば亡くなったひとのドキュメンタリーをつくったら、その人生をどう切り取ったとしても最終的にそのひとは亡くなります。つまり、ドキュメンタリーの面白さはそこに流れている時間だったり、登場人物の人間性にあるわけで、物語で勝負はしていない。松岡茉優がどうしてモーニング娘。に入ってしまうのか、毎週いろいろと思いを巡らせながら“追って”もらえたら嬉しいですね。


■「テレビドラマの中ではギリギリのグレーゾーンを突いていきたい」


――『おこだわり』もそうですが、最近の連続ドラマはその形式を活かした良作が多く作られている印象です。


松江:それはやっぱり海外ドラマの影響が大きいと思いますよ。あと、インターネット配信が浸透してきたことも、ドラマの見方を変えていると思います。『赤羽』をAmazon、Netflix、Huluに配信して驚いたのは、視聴者がテレビ放送のときと違う視聴の仕方をしていて、何話も一気に観たりするんですね。そうすると当然、求められるものも変わってくるのかなと。より連続ドラマとしての強度が求められるというか。僕も海外ドラマは好きでよく観ているんですけれど、ビリー・ボブ・ソートンやケビン・スペイシーなどが、映画ではできないような個性あふれる役柄で、じっくりと濃密にキャラクターを見せているんですよ。昨今の映画がなくしてしまった映画らしさが、いまのテレビドラマにはあるのかもしれません。実際、僕もこの企画はそもそも映画にしようとは思わないですからね。大規模でできる作品ではないし、かといって自主映画でやろうとも思わない。松岡さんや伊藤さんのキャラクターを切り取ろうと思ったら、やっぱりテレビドラマが向いています。


――松江監督は、今後もテレビに注力していくのですか。


松江:モノ作りをする以上、常に面白いことをしたいと考えていて、そのフィールドとしてテレビはやりがいがあると感じています。最近は世の中がすごくギスギスしていて、ちょっとしたことですぐに番組にクレームが入ったりするじゃないですか。でも、本当に怒っているひとってどれくらいいるのかなと思うし、視聴者は神様です、みたいな価値観に陥るとやっぱり面白いものは作れないと思うんです。顔の見えないひとの意見に左右されるより、自分が面白いと思うもの、スタッフやキャストの意見の方がずっと信頼できます。僕は表現をつまらなくする流れには抗っていたいし、だからこそテレビドラマの中ではギリギリのグレーゾーンを突いていきたいんです。「このドキュメンタリーはフィクションです」って言っちゃったりしてね。(取材・文=松田広宣)