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GALNERYUSがライブで体現する、クラシカルで新しいヘヴィ・メタル

2016年04月30日 18:01  リアルサウンド

リアルサウンド

GALNERYUS(写真=植田信)

 GALNERYUSのニューアルバム『UNDER THE FORCE OF COURAGE』のリリース・ツアーの最終日、東京・豊洲PIT。ツアー前に、このリアルサウンドのインタビューなどで公言していたように、このライブは2部制になっていて、1部で『UNDER THE FORCE OF COURAGE』を頭から最後まで曲順どおりにやり、2部でそれ以外の過去の曲たちをベストヒット的にプレイする、という内容。


 『UNDER THE FORCE OF COURAGE』が、ガッチガチに高い完成度で構築された、1曲目から8曲目まで使ってひとつの世界、ひとつのメッセージを描くコンセプトアルバムだったので、それを持ってツアーを回るとなると、そのままアルバムどおりやるしかなかったと思われる。前述のインタビューでリーダーのSyu(ギター)は「やってみないとわかんないですね。ちゃんと弾けてやっと0点、それができた上で、そっから表現をできるかどうかですね」と言っていた。


 ゆえに1部は、ツアー最終日とは思えない、まるで初日のようなはりつめた空気が、ステージ上に満ちていた。そしてその空気は、オープニングSEの「PREMONITION」と共にアルバム・コンセプトを伝えるメッセージと映像がスクリーンに映しだされ、メンバーが登場して「THE TIME BEFORE DAWN」でライブがスタートし、アルバム全体を象徴する曲である「THE FORCE OF COURAGE」で1部が終わるまで、フロアに向けても放たれ続けた。あのアルバムが本当に生で再現されているという事実そのものがすごいインパクトを持っている、そんな時間だった。


 そして過去のアンセムがズラッと並んだ2部は、途中のMCでMasatoshi“SHO”Ono(ボーカル)が、「1部とはメンバーの雰囲気が違うと思います」と言って笑いを起こしていたように、ステージの上も下も、その緊張感から開放された空気に変わった。1曲始まるごとにその曲を収録したアルバムのジャケットがステージ後方のスクリーンに映し出され、そのたびにフロアがわき、拳が挙がる。


 アンコールは2回。この日のライブが終わった解放感とツアー自体が終わった解放感と寂しさからか、全員で手をつないで何度もおじぎして5回目には全員でジャンプ、のおなじみのあいさつを、5人が三度も四度もくり返し、ステージが終わった。


 「歌はハイトーン、かつ曲の中で一度は最高音域を目指す」「ドラムはすきあらばツーバス連打をねじこむ」「ギターソロは速く高らかに」というような演奏面・アレンジ面においても、「ベースはネックは高く、ボディは低く構える」「ギターを途中で取り替えない、頭から最後まで1本で通す」などといったようなステージング面においても、GALNERYUSはヘヴィ・メタルの美意識に本当に忠実なバンドだし、頑ななまでにそれらを守り抜いている。ただし、同時に、新しい空気感も確実に持っていることが、ライブだと特によくわかる。


 バンドの創設者であるSyuは、「ヘヴィでうるさい音」の需要をメタルが担っていたのがグランジ/ミクスチャー/ヘヴィロック等にとって替わられた時代である90年代に青春を過ごした世代で、それらの音も浴びてきたが最終的には「グランジ以前」のクラシカルな、言わば「純ヘヴィ・メタル」を選びとったミュージシャンである。が、「純ヘヴィ・メタルを再現する」もしくは「蘇らせる」のではなく「純ヘヴィ・メタルを再現し、純ヘヴィ・メタルのまま進化させる」という志を持ち、それを実行に移しているのだということが、曲のはしばし、プレイのはしばし、ステージングのはしばしから伝わってくる。


 リフ、リード、ソロ、何を弾いてもどこの部分もいちいちキャッチーなギター。「ドラマチック」と「大げさ」の隙間を絶妙にすり抜けるアレンジ全体。「これアニソンファンもいけるんじゃない?」と思わせる瞬間もある歌メロ。もともとメタルとアニソンって遠くないところがあるが、そのことを熟知していて、うまくブレンドしているフシもある。


このツアーファイナル、ワンマンとしては過去最大キャパの豊洲PITで行われたわけだが、バンドの到達地点はまだまだ先にあることを立証する、そんなステージだった。このバンドのクラシカルで新しいヘヴィ・メタルは、もっともっと遠くのリスナーにまで届く可能性を持っている。(兵庫慎司)