トップへ

巨匠エルマンノ・オルミ監督が伝承する戦争の記憶 80歳を越えて『緑はよみがえる』手がけた背景

2016年04月26日 16:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『緑はよみがえる』

 ヨーロッパの街並みを歩くと戦争記念碑を目にする。季節を問わず花束や花輪が供えられたその碑は、第二次大戦よりも、第一次大戦に関するものである場合が多く、近代兵器を用いたこの戦いがいかに当時の人々の心に巨大な喪失をもたらしたのかをまざまざと思い起こさせる。


参考:『パープル・レイン』『バットマン』『ハッピーフィート』……プリンスと映画の関わりを振り返る


 イタリアの巨匠エルマンノ・オルミが紡ぐ『緑はよみがえる』もまた、言うなれば、そういった街なかに佇む記念碑のような映画だ。規模はそれほど大きくない。だが、旅の途中でふと足を止め、その記念碑に書かれてある文言を眺めながら思いを馳せるような、つかの間の追慕を体験させてくれる。


 舞台はイタリアの激戦地となったアジアーゴ高原。一面の銀世界に包まれたこの地では、かつてイタリア軍とオーストリア軍が、耳を澄ませれば互いの話し声が漏れ聞こえるほどの至近距離に塹壕を築き、互いに銃口を向け合っていた。ここでのたった一晩の出来事を、オルミは様々な情感を織り交ぜながら、抑制されたタッチで描き出している。本作は開戦から100年目となる2014年に本国で公開され、完成披露試写では大統領も出席するなど、文字通りの記念碑的な位置付けとして受け止められることとなった。


■戦場の細部が、情感を伝える


 映画は時に詩的だ。美しく浮かんだ月。つかの間の休戦状態の中、イタリア側の塹壕に一人の兵士が立ち故郷の民謡を高らかに歌い上げる。すると敵軍の塹壕からも「いいぞ!イタリア人」「見事な歌声だ!」と拍手と賛辞が贈られる。


 だが、戦況はたった一晩のうちに変化する。司令部による無謀な命令に身を投じる兵士たち。一人、また一人と命を落とす。やがて静寂を切り裂いて敵軍からの砲撃が始まり、塹壕の岩肌に耳をあてるとコツコツと掘り進める音が聞こえてくる。おそらく敵はこうやって穴を掘り進め、やがては地雷でこちらを木っ端微塵に吹き飛ばすつもりなのだろう。


 そんな色彩を失われた絶望的状況の中だからこそ、オルミはあえて情景の細部を丁寧に描きこむ。すきま風と共にカサカサと動くタバコの空き箱。丸めたパン屑に駆け寄る一匹のネズミ。煮立ったお湯にうごめく茶葉。ベッドに横たわった時、ちょうど目線の位置にくる、愛する者たちの写真。抑制された状況の中、遺された細部のみが、記憶や感情を伝える唯一の術となる。


■80歳を超えて生み出された渾身の一作


 1931年生まれのオルミは、現在84歳。これまで幾度か引退宣言ともおぼしき発言をしたことでも知られるが、少なくとも彼は、前作『楽園からの旅人』(11)に続く新作『緑はよみがえる』に、80歳を過ぎて着手し始めたことになる。その原動力は一体どこからくるのか。何が彼を本作へと向かわせたのか。


 理由の一つとなるのが彼の父親の記憶である。というのも本作は、オルミがかつて幼い頃に父親から聞いた戦争体験をもとに構成されているのだ。84歳のオルミが「幼い頃」というくらいだから、きっと耳にしたのは80年近く前なのだろう。その語り継がれた記憶、そして父の表情や涙を、オルミは長期間にわたってずっと胸のうちに宿し続けて生きてきたことになる。


 そして今は亡き父から受け継いだこの話を、今度は自分の口からその子供たちや孫たちへと伝えるかのように、万感の思いを込めて本作を紡ぎ上げた。それをサポートしたのはプロデューサーの娘と、撮影監督の息子。まさに映画一家として知られるオルミ・ファミリーらしい伝承風景と言えよう。


■代表作『木靴の樹』との連続性


 オルミについて語るとき、胸に必ず蘇るのが『木靴の樹』(78)だ。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した本作は、19世紀の終わり、北イタリアのロンバルディア州にあるベルガモに暮らす貧しい農民の物語。過酷な日常の中にもささやかな喜びがあり、出演者は現地の農民ばかり。確かな土の匂いが香りたってくるような一作である。


 中でも印象深い表情を見せるのが、幼き少年だ。親は教会の司祭に勧められて子供を学校へと通わせる。片道6キロの道のりを木靴でトコトコと行く。やがて木靴が壊れ、父は地主の目を盗んでポプラの木を切り倒し、息子のために木靴をこしらえる。それが皮肉な結末を招くとは知らずに・・・。


 このオルミの名声を世界的に知らしめた作品のことを考えていると、興味深いことに気づかされる。仮に19世紀末の農村で暮らすこの可愛らしい少年がそのまま成長したとすると、『緑はよみがえる』が描く1917年にはまさに塹壕で戦争の狂気に飲み込まれる兵士らと同じ年代になるのである。


 現に、第一次大戦では多くの農民出身者が従軍したという。イタリアという国が併せ持つ一つの記憶として、『木靴の樹』と『緑はよみがえる』は全く切り離された物語とは決して言いきれない。塹壕で死と隣り合わせに佇む兵士が手紙に「母さん・・・」と書き記す時、私にはどうしても『木靴の樹』に登場した、優しくも力強い肝っ玉母さんたちのことが思い出されてやまなかった。


■緑はよみがえり、記憶は受け継がれる


 『緑はよみがえる』の中でとりわけ印象深いシーンに、満月の明かりに照らされた一本のカラマツの木が黄金色の色に染まり、そしてやがて爆撃とともに一気に燃え上がる描写がある。本作といい、『木靴の樹』といい、たった一本の樹が観客の胸に切々と訴えかけてくるものは大きい。オルミはおそらくその効果を誰よりもよく知る表現者だ。


そして映画の最後、一人の兵士が語る。


「やがて戦争は終わり、ここには緑がよみがえる。ここで起きたこと、耐え忍んだことは何も残らない。信じる者すらいなくなる」


 失われても再生する自然の力強さ。と同時に、語り継ぐことの重要性を切々と訴えかけてくる言葉である。


 そのキャリアをドキュメンタリー監督としてスタートさせ、70年代には都会を離れ自然と共にある暮らしを好んだオルミ。彼にとって本作は単なる戦争映画を超えた、まさに記憶の伝承装置。語り継ぐこと、記憶(記録)することにこだわり続け、ようやくたどりついた境地とも言えるのかもしれない。(牛津厚信)