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中国人の本質を見つめるジャ・ジャンクー監督の視点 大塚シノブ『山河ノスタルジア』推薦レビュー

2016年04月22日 12:41  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

 ジャ・ジャンクーは、中国人の本質を見つめ続けて来た監督だ。映画祭で、ある外国人女性記者が立ち上がり、ジャ・ジャンクー監督作品に向けて放った一言がある。「この映画に描かれている中国は、完全に嘘である」と。そこには必死に働く、中国人労働者の姿が描かれていた。その後、彼女の言葉に対し、ジャ・ジャンクー監督は「悲しいのは、彼女自身、それほどまでに自分の発言を信じているということだ」と言った。私はそれを、なぜ物事を表面的にしか捉えることができないのか、という問いかけととった。表面的なこと、その裏側にあること。自分が信じていることがすべてではないこと。それは国どうこうの問題ではなく、私たちの日常、人間そのものに対する問いかけでもある。


参考:デヴィッド・フィンチャーのターニングポイント、『ハウス・オブ・カード』の画期性について


 ジャ・ジャンクー監督は、中国に生きる庶民にスポットを当て、その人たちの息遣いを巧みに表現する。ことに、その片隅に生きる人間を描くことにかけては秀逸だ。それはドキュメンタリーも多く撮ってきた監督だからこそ、成せる業なのであろう。深く物事を追求し見つめている、そのまなざしに嘘はない。『山河ノスタルジア』は、中国山西省・汾陽とオーストラリアを舞台とし、すっかり物質主義に傾きつつある中国の現状から、その未来を示唆するかのような、スケールの大きな作品となっている。


 ラストのシーン。堰を切ったかのように涙が溢れ出す、という感覚を久々に味わった。すべてはこのラストシーンにある、といっても過言ではないだろう。数あるジャ・ジャンクー監督作品の中で、私が泣いたのはこれが初めてだ。ペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」のリズムにのせて、若者たちが軽快なダンスを始める。それがこの映画の冒頭シーンだ。ともすれば、チープさを感じてしまうようなオープニング。でもまさかそれが、こんなラストに繋がっていようとは。その意図は最後に明かされる。ジャ・ジャンクー監督は、その脳裏にあるものが計り知れないほど驚異の才能に満ちていると、それを観て私は驚愕した。そして、主人公タオを演じるチャオ・タオの表現力が、あまりに繊細なリアリティーを持って人間の感情の襞を描き出しており、圧巻のラストだった。そこには深い郷愁の念が存在する。そして、己と向き合わざるを得なくなるほど、哀愁が増していく。時間の経過というものは、気付かぬうちに我々に何かを与え、何かを奪い去っていくのだということを実感する。山西省・汾陽はジャ・ジャンクー監督の故郷でもある。そこには汾陽という故郷を離れ、活動を続ける監督自身の望郷の念、そして母親への想いも含まれている。


 物語は1999年、2014年、2025年と、時間の経過を追って描かれる。流れゆく時間の中で素朴な若者たちが、それぞれの人生を選択し、変化を遂げていく。それに伴い、変わっていく環境、時代。そして舞台は、中国の田舎町から近未来のオーストラリアへと移る。幼なじみのジンシェン(チャン・イー)との結婚、離婚を経験し、息子と生き別れ、一人故郷に残るタオ。タオの知らない遠い海外で、中国語も話せず、母親の温かみを知らずに成長していく、息子ダオラー(ドン・ズージェン)。


 そこには物質主義に隠された、中国人の内側にある切っても切れない本質も描き出されている。元夫ジンシェンの事業の成功により、富裕層となっていたタオは、田舎在住でありながらも物質的には何不自由なく、表面的にはとても裕福に暮らしている。ただ、大きな家の厨房でたった一人、遠く離れた息子を想い、静かに餃子を作るその姿には、やはり中国庶民が本来持っている、善良で質素で強靭な精神が透けて見える。それは孤独に耐える力であり、人間としての本来の美しさなのだと思う。だがその反面、物質主義化していく大半の中国人が、裕福という光の中で、その素朴さを惨めだと隠したがり、無視している部分でもある。その事実を敢えて露呈させることで、核心部分が際立って伝わって来る。


 現在、物質主義に傾く中国は、映画自体で描かれる文化も、どんどん現代風に形を変えて来ている。それに対し、私は寂しさも覚えている。そんな中、ジャ・ジャンクー監督は、不格好さも含めて、ありのままの中国人の日常というものを見せてくれる。富裕層も多く存在する現代、貧困に喘ぐ人々がどのようにもがき、生活しているかにも、もう一人の幼なじみリャンズー(リャン・ジンドン)を通して触れている。また中国人の習性としてのアバウトさも、この作品で垣間見ることができる。若かりしタオが冷えた自分の弁当を、働く店の売り物である電子レンジをさりげなく使い、客の前で平気で温め始めるというような行為は、日本人としては考えられないであろう。ただ私は個人的に、中国人のこのアバウトさに愛着があり、憎めないところでもある。よそゆき顔でない、そのままの自然な姿を映す。そこにこそ、ジャ・ジャンクー映画の良さがあると私は思う。そして中国の雑多な田舎の街並みに響く、サリー・イップの切なすぎる曲。庶民の生活を見据えた演出が、映画を呼吸するように魅せている。


 ちなみに余談ではあるが、タオを演じたジャ・ジャンクー監督のミューズ、チャオ・タオは、今やジャ・ジャンクー監督の実生活での妻でもある。そして、瑞々しい感性で息子ダオラーを演じたドン・ズージェンは、中国ではかなり著名な敏腕マネージャー・王京花(私も二度ほどお会いしたことがある)の息子である。


 深く物事を見つめる者の胸にこそ、突き刺さるような作品だ。(大塚 シノブ)