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坂本龍一が語る、映画『レヴェナント』の本質 「“自然の視点”こそが本当のテーマ」

2016年04月21日 19:01  リアルサウンド

リアルサウンド

坂本龍一

 日本を代表する音楽家・坂本龍一が音楽を手掛けた映画『レヴェナント・蘇えりし者』が4月22日より全国公開される。本作は、狩猟中に瀕死の重傷を負い、荒野にひとり取り残されたハンターのヒュー・グラスが、最愛の息子を殺した仲間へ復讐するために大自然を生き抜いていくサバイバル映画。本年度のアカデミー賞では、主演のレオナルド・ディカプリオが悲願の主演男優賞を獲得し、監督のアレハンドロ・G・イニャリトゥが2年連続2度目の監督賞、撮影監督のエマニュエル・ルベツキが3年連続3度目の撮影賞を受賞した。病気療養のため、音楽活動を休止していた坂本にとっては、昨年公開された『母と暮らせば』に並ぶ復帰作となる。「自然」や「孤独」をテーマにした本作に、療養中だった坂本はどう向き合い、音を作り上げていったのか。制作過程の状況や、映画音楽についての考え方について話を聞いた。


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■「負の感情が“強い生命力”に繋がるというのはなかなか面白い」


ーー本作からは「自然と人間の戦い」、あるいは「先住民族と開拓者の戦い」「人間の生命の神秘性」など、様々なテーマを感じることができます。音楽を手がける際にどんなことを意識したのか教えてください。


坂本龍一(以下、坂本):僕は初めてこの作品を見たときから主役は「自然」だと思っていました。壮大な自然の中に、人間の復讐という非常に小さなドラマがある。劇中でヒュー・グラス(ディカプリオ)は、瀕死の重傷を負いながらも、何百キロも旅をしてフィッツジェラルド(トム・ハーディ)に復讐を成し遂げますが、最後は虚しい感情にとらわれて終わってしまう。ヨーロッパやアメリカのいくつかの評論家から、この作品は復讐を目的としたシンプルなストーリーと評されているように、復讐もドラマの核のひとつだとは思います。しかし、それよりももっと大きい、人間を掌の上で見ているような「自然の視点」こそが本当のテーマだと僕は感じていたので、音楽に関しても特にそこを意識しています。


ーー療養中に今回のオファーがあったということですが、主人公ヒュー・グラスの懸命に生きようとする姿勢に対して、なにか思うところはありましたか?


坂本:依頼を受けた時は、まだ体調が半分くらいしか回復していない時期だったので、体調を回復させることと、この映画を完成させることを並行して行う必要がありました。やはり、それはすごくきつかったです。映画についていえば、僕自身は療養中にあまりそう感じなかったものの、負の感情が“強い生命力”に繋がるというのはなかなか面白い。トム・ハーディーが演じていたフィッツジェラルドも、一見悪党に見えるが実はそうではない。彼は彼なりに、過酷な自然の中でプラグマティックに生きようとしているだけで。そういう部分が、本作を単純な善悪の戦いではなく、もう少し複雑なテーマにしているのだと思います。


ーー音楽を制作する際にイニャリトゥ監督とはどんなやりとりを?


坂本:本来であれば、クリント・イーストウッドやチャールズ・チャップリンみたいに、必要としている映画音楽を自分で作れてしまうのが一番良いでしょう。ただ、それが困難なため僕らに依頼するわけで、僕らの役目は彼らが作ろうとしているものを、できる限り忠実に実現してあげることだと思っています。ですから、彼が何を望んでいるのか、やりとりの中から反応を見ながら想像していく必要がありました。イニャリトゥからは最初の段階で全体の方向性は聞いていたのですが、音楽を口で表現するのはどこの国でも難しく、彼自身も音で表現することはできないので、そこに翻訳作業が発生します。イニャリトゥの要望に近い既成の音楽を聴いてみたり、彼が提案してくる音楽に対して僕がこういう方がいいのではないか、と意見を交換し合うこともありました。しかし、人の気持ちは当然理解し難いものなので、何度も言葉を交わし、実際に音を聞かせ、密にやりとりを重ねていきました。


ーー電子音と楽器の生音をあわせて使っているのが印象的でした。


坂本:普通の楽器の音と電子音を融合させてほしい、というのは監督からの強い要望でした。それに、音と音の“間”を積極的に表現として取り入れたり、音楽とも言えないような最小限の音の動きを作っていくことも、最初から最後まで一貫していますね。広大な雪原の中にぽつんと取り残された時の孤独感や無力感、緊張感なども音楽のテーマになっていました。おそらく実際に広い雪原の中に身を置くと、無音が周囲を包み、自分の息や心臓の鼓動だけが聞こえてくるような状況になると思います。そんな音の空間が劇中でも作られていたので、音楽もそれに寄り添うような形にしていきました。ディカプリオの荒い息づかいや風のざわめきを映画音楽の一部として扱い、その中で最小限の音楽がゆったりとした間を持って切れ切れに聞こえるくらいのものをつくりたい、というのが監督と私がやりたかったことです。もしここに情緒的でメロディアスな音楽が付いていても合わなかったでしょうね。


ーーポップスと映画音楽では、作る際にどんな違いがありますか。


坂本:目的が違うのでそれぞれ大きく異なりますが、強いて言うのであればポップスは制限がある中で作っていますよね。たとえば、時間は長くて5分程度でまとめてあったり、大体の曲にはメロディと歌が付いていたり、なんとなく決まった形式があります。僕が過去に手掛けた曲のように、器楽曲でもポップスのように売れることも稀にありますが、今のところノイズだけの音楽などがポップスとして成立することは難しい。一方、映画音楽は映画ありきなので幅広い可能性があります。ジャンルに関係なく、古今東西の音楽を使うことが可能な上、ノイズだけやほぼ無音ということもあり得ますし、こうしなければならない、というルールが一切ありません。そう考えると、はるかにポップスの方がルールに縛られているな、と随分前から感じていました。ただ、実際の音作りでは、同じリズムマシンやプラグインを使っていくので、似通っているところはずいぶん多いと思います。


■「僕らの予想を越えた楽しみ方をしてくれるのも面白い」


ーー作曲は、ある程度完成した映像を観てから始めたのでしょうか?


坂本:本当は完成した映像を観て作るのが理想的ですが、今回は作品がどんどん変化していく中で作曲しました。コンピューターのOSにたとえると、バージョン0から始まって、最終的には8.5くらいまでいったのですが、その間に新しい場面が付け加えられたり、順番が入れ替わったり、場面が消えたりするわけです。仮に作り終えた音楽だったとしても、映像にあわせて再度調整する必要があるので、その調整と新たに生み出す作業を同時に行っていました。調整に手間をかけていたら、新しい音楽を作るための時間がなくなってしまうこともあって……よくあることですが、今回も大変な作業でしたね。


ーー最後に、坂本さん自身の映画の楽しみ方やコツを教えてください。


坂本:映画の楽しみ方は自由なものであって、どんな楽しみ方をしてもらっても良いと思います。こうした方が良いということは言えないし、むしろ僕も教えてもらいたいですね(笑)。たとえば、ずっと目をつむって観ても良いし、ずっと耳を塞いで観ても良い。僕らの予想を越えた楽しみ方をしてくれるのも面白いと思います。ただ、スクリーンに映っているものだけが映画ではなく、映っていないところに何百人ものスタッフがいて、ありとあらゆる技術が使われている。もしカメラに興味があるのであれば、映像のつながりやカメラの動きを観察したり、物語に興味があれば脚本の書き方を考えてもいい。そのほかにも、音や演技などに着目するのもいいでしょう。それを統括するのが監督で、すべてを理解しながら、アイデアを出しながらリードしていく。ものすごい知識と総合的な能力が求められる役割なので、そこを考えながら見るのも楽しいのでは。僕も『シェルタリング・スカイ』という映画の音楽を作っていた時、ふとカメラの動きを追いかけるようになって、そこから映画がまったく別のものに見えるようになった。寄りや引きのカットひとつにしても、そこには映像監督と監督による独特の決断があって、どのタイミングにどのくらいの時間をかけて、どのアングルから撮っていくのか、すべての動きに意思が込められていて偶然はない。そこには実に深い哲学を感じることができるから、映画を読み解くのは奥深いものだと僕は思います。(取材・文=泉夏音)