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シネコンは“単館系/ミニシアター系”の受け皿となり得るか? 『グランドフィナーレ』上映を考える

2016年04月20日 16:21  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第3回は“単館系/ミニシアター系作品”について。


参考:デヴィッド・フィンチャーのターニングポイント、『ハウス・オブ・カード』の画期性について


 パオロ・ソレンティーノ作品を観ると、これが20年前だったらなあ、と感じずにはいられません。独創的な美しい映像でうっとりさせて、エモーショナルなドラマで感情をくすぐりながらも、ほどよくポエティックで難解。ソレンティーノ作品はかつての「単館系/ミニシアター系」作品のヒットに求められた資質を見事に備えています。『グレート・ビューティ 追憶のローマ』や4月16日に公開された最新作『グランドフィナーレ』はとりわけ。おひとり様シネフィルはもちろんのこと、カルチャー好きカップルのデートにも最適。年配ベテラン勢の心も掴み、さぞかし劇場は賑わったことでしょう。


 2016年が始まって間もなく、ひっそりと渋谷シネマライズが閉館しました。いわゆるミニシアター文化の象徴的存在のひとつであったことは紛いなく、個人的にはさすがにもうここまで来た以上「単館系/ミニシアター系作品」という呼び名は廃止すべきじゃないかと思っているくらいです。濃い映画ファンにとっては周知のことでしょうが、もう何年も前からその呼び名は実質を失っています。例えば『グランドフィナーレ』を4月16日から同時公開する劇場は日本全国で20館です。このうち、そのジャンル的呼び名の括りにふさわしい劇場はいくつあるでしょう? 答えは6館です。残りの14館はシネコンなのです。広義にとらえたとしても、単館でもミニシアターでもない劇場が3分の2を占めている作品をそう呼ぶのは、無理があるように思えます。
 
 単に映画館の都合だけで言わせていただければ、実は単館系作品はシネコンでこそ、上映に向いているように思います。まず1つ、失敗のリスクが低いこと。その作品の成否がその期間の劇場の収入とイコールになってしまうミニシアターと違って、シネコンは大作がドカンとヒットしていてくれれば、収入は確保できます。極論を言えばさほど入らなくても良いのです。なぜなら、大作だけではなく良質な小品を好む映画ファンに「ウチはこういうのも上映するんです」とアピールできる、それだけでも十分メリットがあるのです。大きな作品だけを観る方は多いですが、小さな作品だけを観る方は少ないからです。なので、近隣他館との差別化が図れます。


 次に、ミニシアターに“敷居の高さ”を感じる方や、そもそも小さな作品の上映情報に触れるチャンネルをもっていないようなライトな映画ファンに予告編やポスター、チラシで訴求することができます。これは大きい。『スター・ウォーズ フォースの覚醒』に興奮した方や、『家族はつらいよ』で笑っていただいた方に、次はまた違った視点で人生について思い巡らせてみてはいかがでしょうと、そっと『グランドフィナーレ』をご提案する。こういうことはシネコンが得意とすることです。


 最後に、上映設備の問題です。こればっかりは一概には言えませんが、一般的には、ミニシアターとシネコンでは上映のクオリティが違います。映像面においても、音響面においても、座席にしても、やはりシネコンの方が質が高いことが多いと思います。とりわけ音楽モノは、ミニシアターを神殿のようにあがめている僕でも、シネコンのクオリティで観たいなあと感じることが多いです。


 …と、このように書いてきて、それをひっくり返すようなことを言いますが、シネコンで今のところ単館系作品の興行が成立しているのは、実は「単館系/ミニシアター系作品」という名前がまだ生きているからです。そこにブランド力がまだ残っているからです。他館との差別化が図れる、としたらまさにこの理由です。すでに醸成されたファンや価値が存在しているからなのです。


 シネコンに決定的に欠けているもの。それはシネフィルの「優越感」を満たし得ない空間であることです。ミシュラン3つ星のシェフの料理は、ショッピングモールのフードコートで提供されてもその実力を発揮できるでしょうか? 人間は何かを絶対的に計る装置ではありません。それを味わう場所や支払ったコスト、他者の評価やそのレシピに秘められた物語によって、受け止め方はまるで変わってしまうものです。壁ドン恋愛映画を見終わった女子中高生が、キャッキャ、ギャハハと騒いでいるロビーで、映画が始まる前に読もうとバッグに入れてきた純文学のページを繰れるでしょうか? それは難しいかも知れませんが、もし『グランドフィナーレ』をご覧になられる時に限って言えば、その嬌声は偶然にも作品理解を深めてくれるかも知れません。何しろ原題は『YOUTH(若さ)』です(笑)。


 シネコンは、ミニシアターに匹敵する「カルチャー空間」を創り得るか? これはシネコンにとってひとつのテーマになりえます。例えばいくつかのシネコンが挑戦して、特別な高級シアターや豪華座席を設けていますが、それは成功しているでしょうか? またその方向性は正しいでしょうか? 大作と並べることで、小さな規模の作品の間口を広げられるのは、ぱっと聴くとメリットしかないように思えますが、敷居が高いことこそ、その作品の価値そのものであるということもあります。ここから見えてくるのは、映画館の“売り物”は“映画”ではない、ということです。“映画”は製作会社や配給会社の“売り物”であって、映画館が売るべきものは、実は“空間”や“文脈”なのです。“文脈”とは、いい意味でも悪い意味でも、入りやすさや入りにくさだったり、劇場の考え方や様々な提供サービスや作品チョイスだったり、歴史があったり新しかったりという“背景”のことです。器で料理が変わるように、映画もまた、観る劇場で変わるのです。


 ここのところは掘ったらまだまだ深いので、またの機会に詳しくやりましょう。
 You ain't heard nothin' yet!(お楽しみは、これからだ)  
(遠山武志)