中国GPのレース直後に話題を呼んだ、セバスチャン・ベッテルとダニール・クビアトの論戦。ベッテルはクビアトの走りを非難したが、クビアトにペナルティは出なかった。その後、フェラーリが開いた定例の記者会見でマウリツィオ・アリバベーネ代表は「我々にとって理想的だったとはいえないが、あれはレーシングアクシデントだったと思う。責任を誰かひとりになすりつけるのは間違っている。クビアトは彼のレースをしていた。高速で進入してきたことは間違いないけどね。でも、セブ(ベッテル)とキミも彼のポジションにいたら同じことをしたと思う」と語り、騒動が大きくなる気配はない。
実は、クビアトよりも多くのドライバーから非難を受けていたのがニコ・ヒュルケンベルグだった。予選Q2ではタイヤが脱落したことによって、多くのドライバーのアタックを妨害する結果となったが、これはドライバーに責任はない。問題となったのは、決勝でセーフティカー導入時のピットロードでスロー走行したことである。
4周目にセーフティカーが導入されると、スーパーソフトを履いていた上位陣がクビアト、セルジオ・ペレス、ヒュルケンベルグ、カルロス・サインツJr.、ベッテル、ジェンソン・バトン、バルテリ・ボッタス、マックス・フェルスタッペンの順でピットロードへ向かった。このときピットロードでヒュルケンベルグが、かなり遅い速度で走行していたため、直後のサインツJr.とベッテルまでが数珠つなぎとなり、左へ曲がった直後にベッテルが2台まとめてオーバーテイクした。
ピットレーン区間内には制限速度が設けられているが、本コースからピットレーンまでの間のピットロードに制限速度はないため、前車が遅い場合は加速してオーバーテイクすることも可能である。ただし制限速度が設けられてないからといって、不必要にスローダウンすることは認められていない。
発端となったのは2000年代の中盤、同じチームのマシンが2台立て続けにピットインする場合に、あとからピットに向かうマシンが故意にピットロードをスロー走行することで、先にピットインしたチームメイトのマシンを逃がし、自分もチームメイトがピット作業を終えてからピットに入ることで、ロスタイムを最小限にとどめて、チームメイトに続いてコースへ復帰するという「チームプレー」が数多く見られたためだ。
この影響を大きく受けたのが、トロロッソだ。「最初のピットストップのときにピットレーンでフォース・インディアに引っかかって、かなり時間をロスしてしまった。あれがなければ少し上位でフィニッシュできた。今回はペースが良かっただけに本当にくやしい」と、サインツJr.は主張している。ヒュルケンベルグの後ろにいたサインツJr.は、ピットロードでベッテルにオーバーテイクされ、ピット作業を終えてコースに復帰したとき、バトンとボッタスにもポジションを奪われてしまった。怒りがおさまらないのは当然だ。
ヒュルケンベルグの行為は審議にかけられ、レース審議委員会は、スポーティングレギュレーション第27条5項に違反しているとして、5秒のタイムペナルティを科した。
また、セーフティカーが導入される前、ニコ・ロズベルグとクビアトに続く3番手を走行していたペレスは、ヒュルケンベルグの前でピットインを済ませていたにもかかわらず、なぜノーポイントに終わったのか。フォース・インディアでタイヤ&ビークルサイエンス部門シニアエンジニアを務める松崎淳は、こう分析する。
「チェコ(ペレスの愛称)は、18周目の2度目のピットストップ後にコースに戻ったあと、ミディアムタイヤでペースが上がらないバトンの後塵を拝して、ソフトタイヤでのペースを発揮することができず、3ストップ作戦を機能させることができませんでした」
バーレーンGPに続いて、2戦連続でノーポイントに終わったフォース・インディア。中国GPのレース後、彼らに与えられた「2ポイント」はチャンピオンシップポイントではなく、ピットロードを不必要にスロー走行したヒュルケンベルグに科された12カ月有効のペナルティポイントだった。