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少女が狼女に“変身”する意味とはーー『獣は月夜に夢を見る』が紡ぐ上質なノルディック・ノワール

2016年04月18日 16:31  リアルサウンド

リアルサウンド

(C) 2014 Alphaville Pictures Copenhagen ApS

 デンマーク出身のヨナス・アレクサンダー・アーンビーによる初長編監督作『獣は月夜に夢を見る』は、2014年度のカンヌ国際映画祭批評家週間から出発し世界各国の映画祭で高い評価を受けたノルディック(北欧)・ノワールである。海沿いの小さな村で父と病気の母と暮らす少女マリーの恐ろしくも悲しい宿命の物語。女性の孤闘の物語という面では、かつて監督のヨナスが美術アシスタントして参加したラース・フォン・トリアー監督作『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の多大な影響が見受けられる。この『獣は月夜に夢を見る』が纏った美しさや洗練に対しての賛辞はすでに多く寄せられているので、ここでは主に本作の「変身」について考えていきたい。以下、ネタバレともなるのでご注意を。


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 すばり『獣は月夜に夢を見る』は“狼女”映画である。主人公のマリーはかつて母親がそうであったように、“狼女”となる運命が決まっている。監督自らが語るように、“狼女”化は「少女が大人の女性へと変貌していく過程」の寓話的表現であり、恋物語つまり性の目覚めも同時進行で描かれていく。


 “狼人間”映画はこれまでも数多く作られているが、大半は“狼男”だ。初の本格的“狼男”映画となったのは1935年『倫敦の人狼』で、41年の『狼男の殺人』でジャンルが確立。80年代にはジョン・ランディス監督『狼男アメリカン』が大ヒットし、以降も『ヴァン・ヘルシング』のようなハリウッド大作でモンスターとして登場したり、もはやおなじみのモンスターキャラクター。対して“狼女”の例はそう多くない。牙で生き血を吸う行為にエロティシズムがあるヴァンパイアに比べて、狼の獰猛なイメージは女性性と結び付きにくい、ということだろうか。


 そもそも、“狼人間”はなぜ生まれたのか。中世ヨーロッパのキリスト教圏では、その権威に逆らった者が“狼人間”の立場に追い込まれた罰を受けたと言う。7年以上もの間、狼のような耳と毛皮をまとわせ、月夜の野原を叫びながらさまよわせるという、とんでもなく恐ろしい刑もあったそうだ。このように宗教社会をはじめとする共同体から排除・追放されることを、そのまま「狼になる」と表現された。また、“狼人間”とは知能障害者や精神錯乱者の解釈だった説もある。加えて、食料の保存状況が悪かった時代に、細菌を摂取し狂ってしまった患者のことを“狼人間”と呼んだこともあるそうだ。いずれにせよヨーロッパでは、日本における“狼”=大神=知的で高貴な神の使いという像とは全く異なった、呪われた獣だったのである。


 本作の“狼人間”はどうだろう。“狼女”と化す宿命を背負った主人公マリー。彼女が働きはじめる水産工場には閉塞感が充満し、人間関係は極めて冷ややかだ。その重々しい空気は町全体に蔓延しており、もしかすると国中、はては世界中にまで到達しているのではないかと思わせられる。そんな状況下で、マリーは同業者からのイジメを受け、家族も町人たちから差別を受けている。これらの描写の陰鬱さはさすがの北欧映画なのだが、ここにはキリスト教的戒律が今なお根強くある社会への不信が根底にあると言えよう。また、同じく“狼女”であるマリーの母親は、車椅子に乗ったまま自ら動くことなく言葉も失った状態である。その悲痛な姿には、“狼人間”=病人のイメージが重なる。これらの設定が、先の“狼男”伝承を強く意識しているのは確実だろう。


 伝統的な寓話性と、閉鎖社会を生き抜こうとする少女の性と死にまつわる悲劇を紡ぎ合わせた本作は、単にノスタルジックな美しさに堕することなく、現代的な切実さをともなう血の通った作品となっている。(嶋田 一)