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「アイドルと年齢」の捉え方に変化の兆し? 乃木坂46・橋本奈々未の発言をきっかけにシーンの成熟を探る

2016年04月18日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ハルジオンが咲く頃(Type-B)(DVD付) 』

 乃木坂46の14枚目シングル『ハルジオンが咲く頃』は、グループからの卒業を表明している深川麻衣をセンターポジションに据えた、彼女へのはなむけとなる作品だ。アイドルグループのメンバーの卒業は通常、大きなニュースあるいはファンに衝撃を与えるような出来事として受け止められる。『ハルジオンが咲く頃』もまた、深川の卒業をリリースの一大テーマに掲げ、フロントメンバーの卒業に大きな意味を持たせている。


 ただし、この『ハルジオンが咲く頃』収録のコンテンツの中では逆に、卒業をことさらに特別なものとはとらえない価値観が提示されてもいる。同シングルのType-A盤に付属するDVDに収められているのは、卒業する深川をテーマにしたドキュメンタリー「永遠はないから」である。乃木坂46の映像作品を多く手がけてきた湯浅弘章が監督するこのドキュメンタリー内で、深川の卒業に際してメンバーの橋本奈々未が示すのは、メンバーの卒業が「衝撃的な出来事ではない」という視点だ。


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 結成当初から18歳以上だった私たちの年代から上のメンバーは、入った瞬間から、「何年(※グループに)いると思う?」っていう話をしたり、わりとずっと身近に卒業っていうものがあり続けながらきたので、あらたまって「私、ここらへんで卒業しようと思ってるんだ」っていう話がとても衝撃に感じるかというと、実はそうではないというところがあって。(略)だからなんか、それは自分が(※卒業を)するっていう形でも、他のメンバーがしていくっていう形でも、それがイベントとして起こりえるじゃなく、いつか流れで起こることだっていうふうに捉えているので、衝撃とかびっくりとか、「嘘でしょ?」とかそういう感情じゃなくて。「ああ、決めたんだね」っていうか、「あ、具体的になったんだ」みたいな。(『ハルジオンが咲く頃(Type-A)』付属DVDより)


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 ここで橋本は、乃木坂46結成時点でグループ内の「大人メンバー」としての立場にあった橋本自身や深川、白石麻衣、松村沙友理、衛藤美彩らを念頭に置いて語っている。ただし、アイドルグループが長年継続して存在することが当たり前になった時代にあって、この卒業についての捉え方はより普遍的なものであるはずだ。長い年数をかけてグループが成熟していく事例が増えたことで、個々のグループにもアイドルというジャンル全体にも、それまでとは異質の歴史の厚みが生じてきた。同時に、個々のメンバーもまた、グループに長年所属することが当たり前になることで、橋本が語るような年齢やキャリアとの向き合い方は、他の多くのアイドルたちにとっても自分ごとの問題関心になってくる。重要なのは、橋本は年齢を意識しつつも、アイドルであること/アイドルでなくなることを、あくまで人生の一プロセスとしてフラットに捉え、「アイドルの年齢」に過剰な意味を読み込まないスタンスを提示しているということだ。


 もちろん、グループに何年所属しているかが即座に関心事になるのは、アイドルというジャンルが比較的若年層によって担われるものという認識がはっきり橋本の内にあるためだ。アイドルが現状、若年層によって担われるジャンルであることで、「大人メンバー」とそれより年下の「若手」とでは、必然的に立場が分かたれる。それはひとつのアイドルグループが長年存在することが当たり前になり、それにつれて個人がアイドルというジャンル内で活動しうる期間が延びた今日でも、基本的には変わらない。そのうえで橋本の言葉は、アイドルである期間もそうでなくなった先の期間も、どちらに価値の軽重があるわけでもなく、等しく一個人のライフコースの各段階として存在しているという、本来ごく当然のはずのことをあらためて示唆している。


 ここで想起されるのは、アイドルというジャンルにおいて、しばしば「年上いじり」がライブのMCなどトークの場面でおなじみの光景になっていることだ。若手メンバーが年上メンバーのが「年上である」ことを話のネタにすることや、年上メンバー自身が時に「自虐」のようなスタイルで自己言及することは、アイドルのMCにとってひとつの常套になっている。もちろん、先の橋本の発言がそうであるように、主に若年層によって担われているジャンルの実践者である以上、年齢と自身の立ち位置とを結びつけて語ることは不自然な行動ではないし、同じジャンル内にいる他者のキャリアを意識して観察することは重要でもある。あやういとすれば、「若手」か「大人」かという立場の違いをトークのテーマにすることが、年長であることをからかうような振る舞いによって、いつしか「若さこそを価値と見なす」ような語りへと接続されてしまう場合である。


 年上であることをからかうような一幕は、一方で旧態依然とした抑圧を生みやすいものだが、また同時にそれは、ジャンルを問わず以前からよく親しまれてしまっている会話の一パターンでもある。こうした年齢に関するやりとりは、「笑い」を起こすためのスタンダードなトークとして多用されやすい。もちろん、パフォーマーとしてMCの経験値を積むうえではスタンダードな笑いのパターンを使用しながら語りに慣れていくことは必須だし、年齢にまつわるトークはそのためのツールとして活用されている面がある。ただし、そうした会話の反復によって、「若さこそを価値と見なす」ことがそのままムードとして根づいてしまうと、このジャンルにとってあまりポジティブな実りにはならない。所属年数を重ねてキャリアを積むことが、からかいや軽視の対象に近づくことと同義になってしまえば、それはすべてのアイドルにとって、やがて等しく抑圧として作用することになる。というよりも、「若さこそを価値と見なす」考え方は、ステージに立つ人間であるなしにかかわらず、皆に生きづらさをもたらす。


 今日のアイドルシーンは、それぞれのやり方で自己をいかにプロデュースしてみせるかが鍵になり、主体的な立ち振る舞いが際立つ人物が支持を集める傾向にある。それはアイドル個々が自身の言動を受け手に伝えるための場を無数に手にしたために可能になったことだ。だとすれば、それは彼女たちがさまざまな場所で紡ぐ言説が、このジャンルのムードを方向づけうるということでもある。先述したように「年上をいじる」やりとりは以前からよくある会話の一パターンとして反復されやすいし、受け手であるアイドルファンも、アイドルというジャンルのファンである以上、ステージ上の人々が「アイドルである」時期の姿にこそ注目しやすい。けれども、やがてすべての人を抑圧していくような風潮に、アイドル自身が付き合い続ける必要もない。この時、人が年齢を重ねていくというごく自然なプロセスの扱い方について、深川のドキュメンタリーおよび「大人メンバー」たる橋本の言葉は示唆に富んでいる。アイドルであろうとアイドルでなくなろうと、責任をもってその人生を背負い続けるのは彼女たち自身にほかならない。「加齢」に対するステレオタイプなイメージをアイドル自身の言葉で更新できるのならば、それはこのジャンルの実践者のみならず受け手にとっても、風通しのよいものになるはずだ。(香月孝史)