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SPEEDSTAR RECORDSレーベル長、小野朗氏インタビュー「メジャーレーベルとして、タコツボの臨界を超えていく」

2016年04月17日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

SPEEDSTAR RECORDS小野朗氏

 音楽文化を取り巻く環境の変化をテーマに、キーパーソンに今後のあり方を聞くインタビューシリーズ。第5回目に登場するのは、ビクターエンタテインメント・SPEEDSTAR RECORDSレーベル長の小野朗氏。同レーベルは1992年の設立以降、サザンオールスターズをはじめとする大物アーティストを輩出してきた、日本屈指の名門レーベルだ。2010年にレーベル長の就任した小野氏は、ロックに強みを持つ同レーベルの豊かな音楽的資産をどう受け継ぎ、さらには、激変するシーンやビジネス環境にどう立ち向かってきたのか。同氏がSPEEDSTAR RECORDSで初めて担当したTHE MAD CAPSULE MARKETSとの逸話から、昨年末にリリースされた星野源『YELLOW DANCER』が大ヒットを記録した背景、レーベルの運営理念と今後の展開まで、じっくりと話を聞いた。


・SPEEDSTARはアーティスト本位のレーベル


ーーSPEEDSTAR RECORDSは、小野さんがレーベル長に就任した2010年以降、より幅広い世代のアーティストが活躍している印象があります。サザンオールスターズや矢野顕子、くるり、斉藤和義など確固たる地位を築いたアーティストが着実に作品を発表する一方、藤原さくらや雨のパレードなど、今後のシーンを担っていく新人アーティストも続々と登場しています。レーベルの運営方針を伺うにあたって、まずはビクターエンタテインメントでのキャリアを振り返っていただけますか。


小野朗(以下、小野):初任地は仙台でした。当時は仙台ブランチがあって、そこの宣伝になったんです。エリアプロモーターとして東北6県を担当しました。各地のFM局、テレビ局、タウン誌を中心としたプロモーションを2年担当して、その2年目がSPEEDSTAR専門のエリア担当だったんです。1年目は洋楽とかアイドルとか。当時はInvitation(1978年4月設立。かつて、高橋真梨子やBUCK-TICK、サザンオールスターズ、THE MAD CAPSULE MARKETSらが所属)というレーベルがありましたので、Invitationのアーティストも担当して、初めて自分一人でキャンペーンを仕切ったのがTHE MAD CAPSULE MARKETSだったんですよね。94年にリリースした『PARK』の時ですね。96年にSPEEDSTARに異動になり、翌97年にMADのアーティスト担当になって、シングル『MIDI SURF』の初回限定盤にチョロQを付けたり、キューブリックを作ったり……。今も上田剛士はソロユニット・AA=(エー・エー・イコール)としてSPEEDSTARで活動していますが、MADと上田からは、多くのことを学びました。彼に叩き上げられたようなところはありますね。


ーー小野さんが担当された97年、THE MAD CAPSULE MARKETSは「SXSW」に出演するなど、海外での活動も多くなってきました。音楽性もパンク的なサウンドから、デジタルロックへと変化した時期でもありましたね。


小野:担当して初めて関わったアルバムが『DIGIDOGHEADLOCK』(1997年9月リリース)でそのアルバムからデジタルハードコアが確立されましたね。ビジュアルのイメージも大きく変わって、そこからMADの快進撃が始まりました。他に担当したアーティストでは、つじあやの、WINO、トルネード竜巻などなど。2006年からはサザンオールスターズも担当しました。リリースとしてはシングル『DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~』が最初で、初仕事は桑田(佳祐)さんの50歳の誕生日パーティーのスタッフだったことを覚えています。桑田さんは先日還暦を迎えたので、担当してから丸10年になりますね。


ーーなるほど。サザンオールスターズに関しては、ひとつひとつのプロジェクトも大きな規模になると思いますが、その関わり方において、他のアーティストと違いはありますか。


小野:関わっている人数は大規模ですけど、基本的には僕は宣伝マンだと思っているので、基本的な精神は変わらないと思います。SPEEDSTARはアーティスト本位のレーベルだと考えているので、重要なのはアーティストから発せられた音楽をどうやって、いちばんいい形で伝えるか。当たり前ですがそれが宣伝の仕事だと思うんですよね。脚色をするにしても、伝わりやすくするためであって。この考え方は、レーベル設立当初から一貫しています。


ーーレーベル長となってからも、その考え方は変わらないものでしょうか。


小野:そうですね。アーティスト本位であることは変えるつもりはないし、変えてはいけないと思っています。そういう意味でも、私は「SPEEDSTARでは、こういう音楽をやっています」ということを明文化しないようにしているんです。言葉にした瞬間に、幅が限定されてそれよりも小さくなるしかないと思っているので。スタッフ全員でSPEEDSTARはどういう音楽、アーティストが必要なのかということを常に自問自答しながら形を作り続けたい。そんななかで、その時に好調なアーティストがレーベルのある意味で象徴になると思うんです。それが昨年は星野源だったし、斉藤和義が第2のブレイクを果たしたり、くるりやレミオロメン、UAが生まれた時期もあったし、ジャンルは様々ですが、結果としてSPEEDSTARとしてのイメージをしっかり残せている。アーティスト本位という部分は、高垣(健/レーベル創始者で、サザンオールスターズを発掘・育成したことで知られる)さんの打ち出したものが大きいと思っています。


ーーSPEEDSTARに所属しているアーティストはヒットを生み出しながら、しっかりとキャリアを積み重ねている印象があります。


小野:そこはやっぱり桑田佳祐さんの存在が大きいと思うんですよね。桑田さんは自分の音楽活動を決して途切れることなくやって、常に新しいものを生み出している。どんどん、どんどん新しい仕事をしていきたいというモチベーションを失わないんです。そしてメガヒットを生む。そんな桑田さんの音楽に対する姿勢が、範になっているところはあるのではないでしょうか。


・星野源は、自分のポジショニングを別のカメラから見ている


ーー先ほど挙がった星野源さんは昨年12月にリリースした『YELLOW DANCER』がヒットを記録していますが、このヒットに関して小野さんはどのように分析していますか。


小野:洞察力というか、自分のポジショニングを別のカメラからしっかりと見ているというところが鋭いと思っています。「今自分が、ここでどういう発言をすることによって、誰がどう反応をするだろうか」というのをすごく考えている。確か2~3年前に彼と話していたことで、「自分は70’Sないし80’Sくらいのブラックミュージックがもともと好きで、分かりやすく言うとマイケルみたいなことを、J-POPの文脈の中でやるというのはアリじゃないかと思っているんだ」みたいな話をされたことがあって。彼の中では、ある種の計算があったんでしょうね。シングル『SUN』ができる少し前に日本でもマーク・ロンソンがヒットしたり、ファレル(・ウィリアムズ)が受け入れられて、その時にはもう確信に変わったということを言っていたように思います。その前には「桜の森」という曲を作った時点でのお客さんの反応や、そういう洋楽の状況から確信的に、『YELLOW DANCER』を作り上げたんだと思う。要所要所で彼が今やろうとしていることを聞いていたから、その洞察力はやはりすごいなと思いました。そして「さらに多くのリスナーにアピールするんだ」というマスへの方向と、彼独特のマニアックな方向と絶妙のバランスを保つ彼の自己プロデュース力を、僕たちはそのバランスを間違えないように、アピールしていかないといけないと考えています。


ーー現在の音楽市場では、ユーザーがセグメント化=タコツボ化しているのはよく指摘されるとおりです。それを踏まえ、細分化された需要層をしっかり狙っていくという考え方もまた有力ですが、SPEEDSTARの場合は、星野源さんやサザンオールスターズなどの届け先として、国民的というか、広く大衆を想定しているように見えます。


小野:「タコツボを狙う」ということは、ロジカルに考えられると思える反面、そこで終わってしまうという懸念がつきまといます。メジャーのレーベルとしては、その臨界、閾値を超えるということをずっと狙い続けなければいけないと思うんです。例えば1月にアルバム『THE LAST』をリリースしたスガ(シカオ)さん。アルバムの制作時には意識的に「今までとは違うところにはみ出していくんだ」という強い意志を持ち、今までの“スガシカオ流ポップス”というものは、とにかく一旦置いておくんだと言っていました。SPEEDSTARで一緒にまたメジャーでやろうと思ってくれた以上は、その意思にきっちり付き合いたいと思っていましたね。その結果として、『THE LAST』は大きな反響を得ることができました。「でも現状に満足するのではなく、次はどうするんだ、もっと売るためにはどうしたらいいんだ」というチャレンジはやめたくないですね。


ーーそんな中、今年デビューした雨のパレードは興味深いバンドです。リアルサウンドでインタビュー(雨のパレード・福永浩平、バンドシーン刷新への所信表明「僕らが思いっ切りパンチを入れないと」)を掲載した時も大きな反響がありましたが、彼らは明らかにマスを指向してますね。


小野:3月2日にアルバム『New generation』をリリースしましたが、すごく評判が良いです。インディでの実績がほとんどなかった状態で、デビューアルバムが今5000枚くらい。スタートダッシュとしてはすごくいい感じだし、彼らは貪欲なので楽しみですね。今年は新人アーティストをどう売り出していくかを中心に考えたいなと思っているんです。雨のパレードや藤原さくらなど、出てきているアーティストをきっちり軌道に乗せる。それから次の世代のアーティストを探そうぜ、と今年は言い続けようと。シーンとしてもポストフェスのような音楽性を持つバンドも増えてきていて、最近の若手が作る音楽シーンも面白いですよね。できる限り、今の時代のシーンともコミットしていけるようにしていきたいです。


・アーティストと同じ方向を向けたときに何かが起きる


ーー音楽ジャンルが多様化する中で、「ロック」を掲げてきたSPEEDSTARのレーベルのあり方も変化していきそうでしょうか。


小野:変わっていかざるを得ないと思います。アーティスト自身も自らで発信していける時代ですし、その上でレーベルとしてはアーティストとしっかり話し合う。何度も何度も話し合って、楽曲制作や露出方法の精度高めていく。それでアーティストと同じ方向を向けたときに何かが起きると思いますので。


ーーここまで伺ってきたような考えに至ったのは、小野さんご自身の音楽遍歴によるものでしょうか。


小野:そうかもしれませんね。僕はロックから音楽に入ったわけではないんです。子供の頃からクラシック音楽を習っていて、高校3年生までピアノを弾いていました。音楽シーンとして記憶にあるのは、確か小学校2年生のときにYMOがデビューしたこと。その時からポピュラーミュージック、歌謡曲を聴くようになり、一方でマイケル・ジャクソンなんかも聴いていました。自分では高校に軽音部に入って、いろいろなバンドのコピーをしてみたり。大学時代にはバンドブームも起こっていたし、大学では周りにジャズを聴いている人間がいたり、ブラックミュージック、ダンスミュージックにも興味が出てきて、常に多様な音楽に囲まれていたなと。それで自ずとレコード会社を目指す、みたいな感じでしたから。


ーーそして2015年からは、新たな取り組みとして、ストリートダンスとライブバンドを融合させたエンターテインメント「WEFUNK」をスタートさせました。


小野:1月にZepp Tokyoで「WEFUNK WORLD FSESTIVAL vol.1」というイベントを開催しましたが、しっかり事業として軌道に乗せたいなと考えています。いわゆるレーベル事業とダンス事業が、SPEEDSTARの大きな柱となるようにしたいと。教育のカリキュラムにダンスが入るようになったり、早稲田大学と慶応大学のストリートダンスのサークルだけで所属している人数が2000、3000人いたり、ダンス人口は非常に大きくなっている。だけど、音楽とダンスには実は壁があるんですよね。それをまずは生のバンド演奏をバックに踊るWEFUNKという参加型のイベントを通して、音楽とダンスを身体的に感じてもらって、面白さを提示していく。それから「J-POPナイト」みたいに、J-POPの楽曲だけのバンド演奏で踊るというイベントも企画中です。これまでのWEFUNKにもJ-POPの楽曲でパフォーマンスするチームがいくつか出ていましたが、かなり盛り上がる。いろいろな可能性を描きつつ、行政ともタッグを組んでという将来的なビジョンも考えています。


ーーその他にはどんなことを考えていますか?


小野:個人的な希望だと、合唱も面白そうだなと思っています。『表参道高校合唱部!』(TBS系)というドラマが好きで毎週観ていたんですけど、レーベルの事業として合唱もアリだなと。そういうアイデアを実現するためにも、レーベルとして今年は新人アーティストに力を入れつつ、WEFUNKも軌道に乗せていきたいですね。


(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛/撮影=三橋優美子)