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川村元気が語る“トラブル・イズ・マイ・ビジネス”の精神「厄介ごとに右往左往するのが企画の本質」

2016年04月17日 10:21  リアルサウンド

リアルサウンド

川村元気

 スペースシャワーTVの高根順次プロデューサーによるインタビュー連載「映画業界のキーマン直撃!!」第4回には、『電車男』、『デトロイト・メタル・シティ』、『告白』、『悪人』、『モテキ』、『バケモノの子』、『バクマン。』など、数々の大ヒット邦画を手がけてきた映画プロデューサー・川村元気氏が登場。その独自の企画術を“ハリウッドの巨匠たちとの空想会議”の中で繰り広げる新感覚の読み物『超企画会議』(KADOKAWA)を4月21日(木)に上梓する氏に、同書にも書かれている企画術から、これまで手がけてきた作品の裏話、さらには自身の仕事論まで、高根氏が切り込んだ。(編集部)


参考:映画『バクマン。』に溢れる、マンガへのリスペクトーー松谷創一郎がその意義を考察


■「風呂敷が小さいとそれなりのものにしかならない」


ーー『超企画会議』は、もしスティーヴン・スピルバーグやクエンティン・タランティーノといった巨匠たちと企画会議をしたら……という川村さんの“空想”を、読み物として仕上げた新しい感覚の本です。この形式にしたのはなぜでしょう。


川村:この本は、映画雑誌『シアターカルチャーマガジンT.』で行っていた連載をまとめたもので、実は僕にとって初めての文筆仕事なんです。2012年10月に小説『世界から猫が消えたなら』を刊行していますが、連載はそれより前、2011年12月から始めています。企画術やアイデア発想法などを書いて欲しいとの依頼でしたが、どうも自分の考え方を直截的に本にするのは抵抗があって。それは僕が映画人として、大事なことはストーリーに乗せて伝えなければいけないと教わってきたからだと思います。そこで、自分の考え方やモノ作りの仕方を、エンタテインメントのかたちで伝えられればと、空想会議という形を採りました。『世界から猫が消えたなら』は、自分の哲学や人生の捉え方を小説という形で描いたものだったので、『超企画会議』とは双子のような関係性でした。


ーーこの本では、冒頭から、ウディ・アレンと『モテキ』を作ったら?などという企画会議から始まります。ある日突然、ハリウッドの巨匠からオファーが来て、現地に飛んで直接会って話をする……といった空想が繰り広げられていきます。実際に企画を立案するときも同じようにライトな感覚からスタートするんですか?


川村:実際もこんな感じです(笑)。たとえば大根仁監督と『バクマン。』を作ったときは、「大根さん、『まんが道』好きでしょう? マンガ家の話を伊丹十三監督の『マルサの女』みたいにハウツーものとしてやったら、すごく面白いと思うんですよ」みたいな過去の傑作との比較からスタートして、大根監督が「マンガ家がマンガ描いてるだけじゃ画にならないから、難しいよ」と返してきたら、ふたりで話し合いながら「マンガを描いているシーンを『マトリックス』みたいなアクション映像で表現したら面白いね!」という具体的なイメージを共有していくんです。ラストシーンは、『キッズ・リターン』みたいに、ふたりの少年が敗北からなにかを学んで、再び歩み始める感じにしよう、とか。


ーーさまざまな作品の例を挙げながら、企画をブラッシュアップしていくわけですね。


川村:クエンティン・タランティーノじゃないですけど、オマージュやサンプリングを積み重ねていくうちに、オリジナリティのあるアイデアに繋がるイメージです。ただ、楽しい雑談から入って、最初は最高うまくいったときの景色を空想するのですが、その後はちゃんと現実を見なければいけないので、辛いことがたくさん待っている(笑)。最悪の事態も常にイメージしていますね。今回の『超企画会議』はその「最高の空想」の方をまとめた本です。


ーー良きにつけ悪しきにつけ、イメージをしっかり持つのが大切だと。


川村:頭の中でどれくらい大きなところまで考えられるかは重要ですね。風呂敷が小さいとそれなりのものにしかならない気がします。それともうひとつ重要なのは、とにかく徹底的に調べ物をすること。『バクマン。』を手がけたときは、マンガ家を何人も取材しましたし、新しい監督と仕事をするときは、その監督の過去の仕事を徹底的に調べます。当然ながら、“トップクリエーターは1日にして成らず”なわけで。たとえばソフィア・コッポラは、女優として叩かれて地獄を見て、他の業界に行って写真やファッションに携わって、その後に映画に戻ってきている。その経歴が彼女の作家性に繋がっています。ジェームス・キャメロンにせよデヴィッド・フィンチャーにせよ、キャリアの中から独自の方法論が培われているんです。そのあたりのクリエイターズ・ストーリーも『超企画会議』では書き込みました。だから僕はそれを丁寧にトレースしたうえで、まだやっていないことを考えたり、ポテンシャルを活かすなら本当はこうした方がより面白い作品が作れるんじゃないかと考えたりします。僕は現場力もないし、コミュニケーション能力もそれほどない人間なので、そのぶん丁寧に調べることは重視してきました。


■「厄介ごとも面白いと思えなければ、映画なんて作れません」


ーー『電車男』(2005)のときは、どんなイメージからスタートして、どういう調べ物をしたのでしょうか。


川村:当時僕は25歳のペーペーだったので、せめて考えることだけは先輩より多くやろうと思いました。そのころが一番、『超企画会議』的な空想に時間を使っていたと思います。まず秋葉原の街を映像化するという発想が、最初にありました。当時、ソフィア・コッポラが『ロスト・イン・トラストレーション』(2003)で、新宿の街をすごく綺麗に撮っていて、とても驚いたし、悔しかったんですね。振り返ってみればヴィム・ヴェンダースの『東京画』(1985)も、東京を面白く撮っていた。じゃあビジュアル的にユニークな秋葉原を美術的な舞台として使ったら、なにか面白いものが撮れるのではないか、というのがそもそもの発想です。そこで東京を舞台とした映画を徹底的に調べて、加えて、当時はインターネットを題材にした映画もなかったので、その要素も入れることにしました。インターネットの声が個人の人生にどう影響を与えるのかをビジュアル化するために、その歴史も含めてかなりリサーチしています。かつ、王道のロマンティックコメディーとして仕上げたかったので、チャップリンの『街の灯』(1931)とかビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』のような、手が届かない高嶺の花との恋を頑張って成就させるダメ男の話の構造がどう成り立っているのかも、いろいろと調べました。秋葉原とインターネットとロマンティックコメディー、その三つを組み合わせてできたのが『電車男』で、散々調べたうえで、その組み合わせが見えたときに、どうにか勝負できる映画になったのではないかと、自分では考えています。『超企画会議』ではハリウッドスターのマシ・オカさんと、実際に「電車男をハリウッドで作ったら?」という企画会議をして、巻末に収録させてもらいました。


ーーただ、そこまでイメージしても予想外のことは起こりますよね。


川村:頭の中で散々いろいろなパターンのシミュレーションをして、「まあ、これかな」って“諦め”のような感覚で、正解に近いと考えた道を選んでいくのですが、出来上がったときに愕然とすることはあります。『告白』(2010)を最初に観た時は正直、「えらい当たらなそうな映画を作っちゃったな」って思いました。画面が暗い映画は当たらないというのは通説で、しかも鑑賞後の後味もよくない。どうしたものかと考えて、ポスターだけはポップにしようと、ショッキングピンクを基調にしたんです。最初、宣伝マンはポカーンとしていましたけど面白がってくれて(笑)。でも、結果的にはそれがうまくいったみたいです。


ーー暗い作品ながら、ちゃんとヒットに繋がった。


川村:デヴィッド・フィンチャーの『セブン』(1995)や『バトル・ロワイアル』(2001)がヒットしていたように、たまに暗い作品が当たることもあるんです。最初からそれを狙っていたところもあるけれど、できあがったら予想以上に暗くて(笑)。映画を作るときも、小説を書くときも、常に自己否定しながら進めていくのですが、これはさすがに当たらないと思っていました。だから、ポジティブなのは最初だけで、あとはネガティブに考えて、予想外のトラブルが起こったらそれを収拾するために、いろいろと策を打っていくというやり方ですね。映画に携わることは、“トラブル・イズ・マイ・ビジネス”って言葉があるくらい、予想外の出来事の連続なんです。


ーーそれはよくわかります、思いもしないことばかり起きますね(笑)。


川村:才能がある映画監督ほど、とんでもない人たちで(笑)、彼らと仕事をすることが面白い、厄介ごとも面白いと思えなければ、映画なんて作れません。そこで右往左往することこそが、企画の本質なんです。『超企画会議』では、そのトーンをなんとか伝えたいと考えていました。ピンチの時こそ思いがけない代案が出るものだし、しかもそれは散々予習しているからこそ出せるもの。“予想”と違う展開になるのは常だけれど、そういうときこそ“予習”が活きてくる可能性もある。


ーーちなみに本では、主にハリウッド映画のプロデューサーが持つ、映画の最終的な編集権である“ファイナルカット権”についても触れられています。川村さんはこれを行使したことはありますか?


川村:全くないです。個人的には、ファイナルカット権を契約書に入れなければいけないハリウッドのルールは良くないと思っていて。なぜなら、プロデューサーと監督が企画段階からきちんと内容を詰めていれば、最後に意見が決定的にズレることはないと考えているからです。実際、監督と徹底的に揉めて、ストップしたことなんてありません。それに数学をやっているわけじゃないから、どちらかが絶対に正解だとは思わないんですよ。僕は脚本や編集も手がけているけれど、自分では余計だと思う部分が面白味になることもあるから、ちゃんと監督と意見を共有しながら進めるようにしています。ハリウッドでは時々、プロデューサーと監督が揉めた挙句、ディレクターズカットが作られることがありますが、そういうのって面白くなった試しがないんですよね。『ブレードランナー』『グランブルー』だって、もとの方が面白いわけで。映画ってそこが不思議なところで、監督が納得できるものが面白いとは限らない。お互いにそこをちゃんと共有していないから、揉めるんだと思います。


ーーでは、日本の映画界はどんな問題を抱えていると考えていますか?


川村:特に問題を抱えているとは考えていないし、僕から提言することは特にないです。それは作り手が言うことじゃないですからね。僕らは、生み出す作品自体にチカラがあると信じて、一つひとつを頑張って作るだけです。映画界に良い流れを作るには、良い作品を生み出すしかない。


ーー仮に、幾らでもお金を使っても良いから好きな作品を撮って良いと言われたら?


川村:予算がないと思いながら作るのが幸せなタイプなので、なんとも(笑)。『超企画会議』にも書いたように、ジェームス・キャメロンはあれほど多額の予算を使って映画を作っているのに、いつもお金がないって文句を言ってるんですよ。映画って、常に予算不足なんです。昔、先輩から、「10億円の制作費の映画も、1000万円の制作費の映画も、最後はいつも“あと500万円あれば”とか言ってるもんだ」って教わったんですけれど、本当にそうだなって。とにかく企画者としては、作品に見合った予算を出してくれる人に、納得してもらえる企画を立てるだけです。


■「ひとから勧められて上手くハマるのが、良い仕事なのかもしれない」


ーー川村さんは映画の仕事以外にも、小説を書いたり、対談集を出したりと、多方面で活躍しています。ほかに挑戦したいことは?


川村:自分にとってよくわからないことに、常に挑戦していたいですね。『超企画会議』と同日に、『理系に学ぶ』という養老孟司さん、若田光一さん、佐藤雅彦さんなど理系の方々との対話集も出すのですが、なぜその企画をやろうと思ったかというと、僕自身が文系人間で、数学とか物理ができないタイプだったからです。社会人になって、「これでようやく理系と関わらなくて済む」と考えていたんですけれど、世界に目を向けるとスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグが映画の主役になる時代で。いまはもうアーティストではなく、理系の人々が世界の主役なんだと考えて、一度そこを学び直そうと。


ーーなにか発見はありましたか?


川村:ドワンゴの川上量生さんが、「人間には主体性なんかない」と仰っていたのが印象的でした。サルだろうがゾウだろうが、主体性のある動物なんていないわけだから、人間だけが主体性を持っていると考えるのはおかしいと。もともと人間なんて、自分からはなんにもやりたくない生き物だというんです。すごく腑に落ちるところがあって、僕自身も映画以外の仕事は、編集者から勧められて始めているんです。でも、それは悪いことではなくて、誰かに「あなたはこういうことをやった方が良い」と勧められて、それがうまくハマるのが、実はいちばん良い仕事なのかもしれないと感じています。なぜかというと、僕自身がプロデュースをするとき、同じようなことをしているからです。


ーー人から自分の新しい資質を発見してもらうには、なにが必要でしょうか。


川村:少なくとも、TwitterやFacebookでなにかを発信していても、難しいとは思います。本当に僕に会いたい人なんてごく僅かだと思うけれど、そういう人はSNSではなくて、頑張って電話番号や住所を突き止めて連絡をしてくるか、なんとかして直接会いに来てくれるはずです。ちょっとハードルが高いけれど、本気ならそれぐらいのことはする。そういう人でなければ、一緒に仕事をしても面白いものができるとは思わないんです。僕自身は映画や小説だけでいっぱいいっぱいなので、TwitterやFacebookでなにかを発信したりできないんです。でも、ちゃんと真面目に自分の仕事と向き合っているうちに、誰かが見つけてくれて、「川村にこういうことをさせたら面白そうだ」って思ってくれたら良いなと思って、映画を作り、小説を書いています。(川村元気/高根順次)