日本人は、ねたみやすい国民だといわれる。確かに、近所の周りとの生活レベルの差をやたらと気にして、金持ちに嫌悪感を持つ人が多いような気がする。
嫉妬心というのは、自分よりも優れた人に向けられる恥ずかしい感情であるが、それを糧にして頑張るという方向にうまく使えれば、プラスに機能する可能性もある。しかし、ねたみと似てはいるが、より問題の多い精神状態がある。それは「他人の不幸を喜ぶ感情」である。(文:小田切尚登)
徒党を組んで他人の活動を困難にさせる事態は異常だ
これはドイツ語で「シャーデンフロイデ」と呼ばれる(日本語には適当な用語がない)。ねたみがネガティブな感情であるのに対し、これは喜びである。ある研究によると、他人が不幸であることが分かると、おいしい食事をしたのと同様な満足を得られるとのことだ。まさに「人の不幸は蜜の味」である。
例えばスポーツ選手が、自分のライバルが失敗することで、自分の立場が相対的に改善するという話であれば、それを喜ぶのも当然であろう。しかし、自分にとって何の関係もない人が失敗したとしても、それでも嬉しくなるのが人情らしい。
人はタレントの不倫の発覚や離婚など、当事者以外にはどうでも良い他人の不幸に興味を抱き、密かに喜びを噛みしめる。自分よりも優位にいる人に近づきたいと思うのではなく、その人をその高い地位から引きずり降ろして憂さを晴らそう、という邪悪な気持である。
これは褒められたものでなく、自分には何のメリットもないことであるが、それが人間の心理と言うものなのであれば、批判しても仕方がないことかもしれない。
しかし、ちょっとしたことを口実にして一般人がネットで徒党を組んで特定の有名人を糾弾し、その有名人が活動するのを困難にさせる、というような事態が起きている。こうなると明らかに異常であり、いじめである。仕方がない、などと達観しているべきではない。
政治が重要な課題を議論する時間が、どんどん奪われている
いじめをしている張本人が一番悪いことは間違いないが、傍らで面白がって見ている人々も同罪だ。何故このようにエスカレートするかというと、他人が苦しめば苦しむほど、自分の喜びが増すからである。
そして、自分に自信がなく劣等感を持つ人ほどその傾向が強くなる。自分ひとりで表立って有名人の批判などとてもできないが、匿名で大人数の中に埋もれれば、上から目線でふるまうことができる。ろくでもない話だ。
これが芸能界の問題だけであれば、大した話ではないかもしれない。しかし実は同様な話が政治にも大きく影響を与えている。
このところ永田町では、政治家の失言や不倫、あるいはガソリン代の請求のような話がやたらと問題となっている。政治家の不正を糾弾することは必要ではあるものの、人々の注目が些末な事象ばかりに向かってしまい、外交や経済、社会保障などの重要な課題に議論を費やす時間がどんどん奪われているように見える。
これも人々が、政治家の困る姿を見て溜飲を下げようとしていることがその背景にある。マスコミもそれを増幅するような報道を続けるし、政治家もそれを分かっているので、それを互いに糾弾し続ける、ということになっている。
ドイツ人は、ユダヤ人が苦しむことに喜びを感じていた?
サイエンティフィック・アメリカ誌2010年11月号は、他人の不幸を喜ぶ感情がファシストやテロリストに利用されている可能性を指摘している。第二次大戦中のドイツでホロコーストのようなひどい行為が国内で大した反対を受けなかったのは、多くのドイツ人が、ユダヤ人が苦しむことに対して喜びを感じていたからではないかという主張だ。
当時、ビジネスその他で成功する人の多かったユダヤ人に対して嫌悪感が醸成されており、多くのドイツ人がユダヤ人差別を暗黙裡に支持していた。
他人の不幸を喜ぶことは自分にとって何のメリットもないばかりか、国家をも揺るがすような恐ろしい可能性をも秘めている。人の不幸は蜜の味かもしれないが、それを味わうのはひっそり自分の心の中にとどめておくべきだろう。
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