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『とと姉ちゃん』第一週で3つの“嘘”が描かれたワケは? 幼少期エピソードのポイントを探る

2016年04月11日 11:12  リアルサウンド

リアルサウンド

『とと姉ちゃん』公式サイト

 連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(NHK)がはじまった。本作は花森安治と共に雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子をモデルとした小橋常子(高畑充希)を主人公とする朝ドラだ。


参考:本日スタート! 期待の朝ドラ『とと姉ちゃん』、初回から軽妙なテンポで滑り出し良好


 昭和三十三年。出版社に戻ってきた常子が、ベビーカーを押す女性たちと入れ違いになる場面から物語ははじまる。印象に残るのは大胆なカメラワークだ。常子を背中越しに追いかけながら、人が多い編集部内部を見せていく姿は臨場感がある。それは舞台が幼少期に移っても同様だ。子どもの視点を意識しているためか、低位置からの撮影が多く、ふつうのドラマよりも空が広く見えて、空間に広がりを感じる。


 『カーネーション』以降、朝ドラの映像レベルは上がっている。日本のテレビドラマは、フィックス(固定)撮影によるバストアップの映像が多く、照明も単調なものとなってしまいがちだが、『とと姉ちゃん』のカメラワークは実に雄弁で、画面が丁寧に作られている。自分たちが暮らす日常をスタイリッシュに撮ろうとする姿はそのまま、「暮しの手帖」のメッセージを映像に落とし込んでいるように感じた。


 近年の朝ドラは、冒頭で物語の山場(あるいは終盤)を見せてから、幼少期を第一週(1~6話)で、描くことが多い。そこで主人公は、今後の生き方に関わる大きな体験をする。本作では父の竹蔵(西島秀俊)の病死がそうだ。


小橋家には竹蔵が決めた家訓がある。
一、朝食は家族皆でとること
一、月に一度、家族皆でお出掛けすること
一、自分の服は、自分でたたむこと


 しかし、竹蔵は取引相手の大迫社長(ラサール石井)の引っ越しを手伝うことになり、おでかけは急遽中止となる。そのことを根に持った三女の美子(川上凜子)は、社長が酔った勢いで父にプレゼントしたピカッツァ(モデルはパブロ・ピカソ)の絵画に墨を塗ってしまう。次女の鞠子(須田琥珀)は、お風呂場で墨を消そうとするが、逆に絵を汚してしまう。常子(内田未来)は上から絵具を塗ってごまかそうとするものの、結局、絵のことは竹蔵に知られてしまう。竹蔵は三人を連れて社長の元に謝りに行く。だが、その絵は実は贋作なのだと社長から言われて、事なきを得る。この場面。普通のドラマだったら、嘘をついたことを、もっと悪いこととして描くのではないだろうか。あるいは、常子たちが正直に謝った誠意が認められるといった展開になるのではないかと思う。


 嘘にまつわるシーンはもう一つある。やがて、竹蔵は結核となり、寝たきりとなる。花見に行けずに桜は散ってしまったが、父に桜を見せてあげたいと思った常子たちは、竹蔵の会社の人たちといっしょに桃色の布を細かく切り刻み、桜が散った木に張り付けて、竹蔵に見せる。竹蔵は桜を見て綺麗だと感動するのだが、このシーンは贋作の絵にまつわるエピソードをより感動的なものに仕上げたものだ。


 そもそも、物語の発端自体、旅行に行く約束を破るという、(結果的に)竹蔵が家族に嘘をついてしまう場面からはじまっている。そこに「贋作」、「布で作った桜の花びら」と嘘にまつわる話が続くのだが、第一週の中で、三回も繰り返されるのは、興味深い。


 竹蔵は、姉妹が「力を合わせて書いた傑作だ」と言って、絵を社長から買い取るのだが、三人が共同制作で“嘘”を作り上げたことが、おそらく雑誌編集者としての原体験となっていくのだろう。「暮しの手帖」の編集長となる花森安治は、戦時中は大政翼賛会の宣伝部に所属し、戦意高揚のスローガンを作ることで戦争に加担した。日本が勝つという“嘘”の物語に加担した花森がどのように描かれるのかは、今後、もっとも注目すべきポイントだろう。


 もう一つの注目すべきポイントは全体に漂うほがらかな雰囲気だ。脚本の西田征史はドラマでは『怪物くん』や『妖怪人間ベム』(ともに日本テレビ系)、アニメでは『TIGER&BUNNY』を手掛けた脚本家だ。元お笑い芸人ということもあってか、思わずにやけてしまうようなキャラクター同士のやりとりを描くことに定評がある。


 本作では小橋家の平凡だが、かけがえのない日常としてそれは描かれている。竹蔵は、「とと(父)の代わりになってほしい」と常子に遺言を残す。竹蔵の死後、強くなろうと常子は葬式でも泣かなかった。しかし、重圧に耐えきれずについに泣き出してしまう。そんな常子を優しく抱きしめる母と、二人を見守る鞠子と美子。


 4月8日に放送された『とと姉ちゃん メイキング』の中で、高畑充希は、常子一人ではなく、三姉妹と母親の「四人でヒロイン」だと、語っている。おそらく、物語は常子が父として家族を一方的に守るのではなく、未熟な四人がお互いに支え合うドラマとなっていくのだろう。常子が家族の前で「ととになる」と宣言した後、「こうして、“なんとなく”とと姉ちゃんは誕生したのです」とナレーションが入る。「なんとなく」という意外な言葉が入ることで、張りつめた緊張感が和らぎ、ほがらかなムードが全体を包む。


 『妖怪人間ベム』に「辛い時ほどチョコレートは甘い」という台詞があるが、つらい現実に立ち向かうためのほがらかさが、本作では描かれている。(成馬零一)