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AL、メンバー全員インタビュー!「ALの音楽を鳴らすためには、この4人がベストだと思った」

2016年04月07日 17:11  リアルサウンド

リアルサウンド

AL(写真=堀 清英)

 小山田壮平(Vo、G)、長澤知之(Vo、G)、藤原寛(B、Cho)、後藤大樹(Dr、Cho)の4人で本格的に音楽活動をはじめたALが、4月13日に全13曲収録のファーストアルバム『心の中の色紙』をリリースする。今回リアルサウンドではメンバー全員を迎え、初インタビューを敢行。それぞれの出会いから現体制に至るまでの経緯を中心に話を訊いた。インタビュアーは、各人のこれまでの音楽活動はもちろん、小山田・長澤が2011年にALとして初ライブを行った頃より彼らの活動を見守ってきた宇野維正氏。(編集部)


(関連:ALはバンドとして現在進行形で進化を遂げている アルバムリリース目前ライブを分析


■「壮平のことを初めて認識したのは、共通の友人を通じて」(長澤)


――このインタビューの露出はファーストアルバム『心の中の色紙』がリリースされる直前を予定しているのですが、実は取材をしているタイミングではこれが初インタビューということになるんですよね?


長澤知之(Vo、Gt):そうなんですよ(笑)。


――ALのライブは長澤くんと小山田くんが二人でやっていた時期から、ほぼ全部見てきていて。まぁ、それだけ期待値も上がりきっていたんですけど、完成したアルバムをいち早く聴かせてもらって、その期待を大きく超えてきてびっくりしているところです。


小山田壮平(Vo、Gt):よしっ!


長澤:アハハハハハ!


――で、今日は藤原くん、後藤くんも含めてメンバー4人全員に揃ってもらっているわけですけど、なにしろこれまでメディアに出ることもなかったので、読者の中にはこのALというバンドがどういう経緯で始まって、どういう経緯でバンドになって今に至るのか、よく知らない人もたくさんいると思うんですよ。なので、まずは長澤くんと小山田くんが出会ったところから、時代を遡って丁寧に訊いていきたいと思っていて。


藤原寛(Ba、Cho):了解です。


後藤大樹(Dr、Cho):全然問題ないです(笑)。


――長澤くんのデビューが2006年、andymoriのデビューが2007年と、ほぼ同期デビューなわけですけど、実はもうその頃から二人は知り合いだったんですよね。


長澤:壮平のことを初めて認識したのは、共通の友人のSを通じてで。デビュー前にやってたバンドのメンバーなんですけど。


小山田:まだ地元(福岡)にいた頃、夏祭りのテーマソングに応募したことがあるんですよ。中州で弾き語りをしてたら、応募しないかって声をかけられて。で、その同じコンテストに当時Sのやってたバンドも出てて、その時に知り合って。


――そのSって人が重要人物だというのはわかってきました(笑)。


小山田:で、大学に入るために上京したら、Sから電話がかかってきたんです。確か、「俺はデヴィッド・ボウイのようなロックスターになる。そのために東京に行くから、しばらく家に泊めてくれ」と。それでウチに居候するようになった彼が、「音楽をやってる友達がいるんだ」って聴かせてくれたのが、知之の曲で。それからもう、知之の音楽がずっと大好きで。


――その時点で、長澤くんはデビューしてたの?


小山田:デビューする前。で、しばらくしてデビューするって聞いて、最初のインディーズ盤(2005年9月にリリースされた『長澤知之』)を聴いて……本当になんていうか……心酔して。


長澤:当時、四谷天窓でライブをやった時に来てくれたんですよ。Sの友達だって聞いても、壮平の事は知らない人だったから最初は遠ざけてたんですけど(笑)。でも、それからしばらく経って、大阪のイベントで一緒になって。


小山田:ミナミホイールだった。


――あ、じゃあ、その時にはもうandymoriで?


長澤:そう。もう壮平はバンドをやってて、それで楽屋にandymoriの3人が来てくれて、そこで初めてちゃんと話をして、その時にCD(2008年10月にリリースされた『アンディとロックとベンガルトラとウィスキー』)もくれたんですけど、それ見て「悪いジャケットだな」って。


――悪いジャケット!?


長澤:自分の好きなデザインじゃなかったんですよ。で、聴かないで、ずっとほったらかしにしてた。


――ひどい(笑)。でも、ミュージシャン同士では実はよくある話ですよね(笑)。


長澤:でも、しばらくしてから、ふと聴いてみたんですよ。そしたら、「おっ、いいな!」って思って。andymoriのライブのスケジュールを調べて、下北沢のBasement Barまでライブを見に行ったんだけど、もう全部終わってて。


――ダメですね(笑)。


長澤:でも、中に入ったらちょうど壮平がカウンターのところに出てきてて。


小山田:「おぉ! 長澤ちゃんやん!」って(笑)。


長澤:そこからですね。一緒に飲みに行ったりするようになったのは。


――っていうことは、デビューの年のミナミホイールの時点で、藤原くんも後藤くんも長澤くんには会ってるんですね。


藤原:そうですね。


後藤:会ってはいますね。その頃は、まだあんまり話したりはしてなかったけど。


――そう考えると、今回ALとして初めて作品が出るわけだけど、ここまで長い道のりだったってことですね。


小山田:うん。


■「自分がやりたいことと、できること、その二つを考えた時、そこにはALしかなかった」(小山田)


――長澤くんと小山田くんで一緒に曲を書くようになったのは?


小山田:二人で飲んだ最初の日。その時にできたのが、今回のアルバムのタイトルにもなっている「心の中の色紙」で。だから、andymoriとしてファーストEPを出してすぐにはもう一緒に作った曲があった。知之は、ちょうどその頃、『EXISTAR』(2009年)を作ってて。


――初ライブは2011年5月の渋谷B.Y.Gでした。


長澤:どういう気持ちでライブをやろうってことになったのか、実はあんまり覚えてないんですよね。単純に曲を作っているうちに、ライブもやってみたいねって話になったんだと思う。でも、お互い別でやってる自分の音楽があったから、ALに関しては仕事にはしたくないっていう思いはあった。遊びの延長みたいなノリだったと思う。


――その2人での初ライブから数えて5年。こうして4人でALを名乗って、初めての作品をリリースするわけですけど。まず、長澤くんはソロとしてのキャリアをこれまで歩んできたわけじゃないですか。ALというバンドの自分の中での位置付けは、今、どういうものなんだろう?


長澤:自分にとってALというのは完全に趣味で、壮平と一緒に音楽をやってることがただ楽しくて、それだけで幸せだったんだけど。それが変化するきっかけとなったのが、andymoriが解散することを発表した直後の2013年の夏に壮平が川にダイブして、入院したじゃないですか。その時に、手紙をもらったんですよ。


小山田:「ALをやりたい」ってことを手紙に書いて。病室で。


長澤:一緒にやったら楽しいことになるに違いないっていうのは、もうわかっていたから。妄想としては自分でもいろいろ考えてたんだけど、その手紙をもらって、本気でやってみようかって気持ちになって。


小山田:俺の中では、andymoriを解散するって決意した時点で、ALのことを本気で考えるようになったんですよ。その前から知之に「ALをやりたい」ってことは何回も伝えていたんだけど、その時に改めて「本気でやりたい」って思って、それを手紙に書いて。入院してると何もすることがないから、どうしても自分と向き合うことになるじゃないですか。そこで出た結論が、自分の中ではALだった。


――その時にはもうandymoriが解散することは決まっていたわけだけど、ソロでやろうっていう気持ちはなかったの?


小山田:ソロでやるってことはまったく考えてなかった。andymoriを解散するって決めた後は、もうALのことしか頭になかった。


――小山田くんがそこまで思ったのは、ALで音楽をやることが自分の音楽家人生にとって絶対に必要なことだと思ったから? それとも、単純に一番楽しく音楽ができると思ったから?


小山田:自分にとって、人生を賭けて何かやるってことと、それが楽しめるかっていうことは、完全に同じとは言わないけど、ほとんど一緒のことなんですよ。自分が生きていて、これからこの世界に何を残せるかって考えた時に、自分にとって最大限のことができる場所がALだと思った。自分がやりたいことと、できること、その二つを考えた時、そこにはALしかなかった。


■「知之の曲は昔から聴いていて、『一緒にやったらどんなことになるんだろう?』って想像していた」(藤原)


――藤原くんは、andymoriが解散してしばらくしてから、そこに合流していくことになるわけですけど。正直、最初はどういう気持ちだったんですか?


藤原:ALをバンドのかたちでやりたいってことになって、そこで声をかけてくれたってことは、自分を友達としてだけではなくベーシストとして見てくれたってことだから、それは単純に光栄なことでしたね。自分には、素敵なバンドの中でいつも一生懸命ベースを弾いていたいって気持ちしかなくって。だから、ALに誘われたら、それを断る理由は何もなかった。知之の曲は昔から聴いていて、『一緒にやったらどんなことになるんだろう?』って想像していたから。


――2014年にandymoriが解散した後、小山田くんはSparkling Recordsというレーベルを立ち上げたじゃないですか。その中に後藤くんの名前はあったけど、藤原くんの名前はなかったから、その時は疎遠になったんじゃないかと思ったんだけど(笑)。


小山田:今もない(笑)。


藤原:レーベルに名前だけあるっていうのがよくわからなかったんですよ(笑)。バンドのメンバーとして誘われるというのとは違うから。自分はベーシストだから、バンドに誘われるっていうと、ピンとくるんだけど。


――後藤くんは、2010年の時点でandymoriを脱退していて。そこから今回のALまでに小山田くんとの関係性だけでも外側から見ると長いブランクがあるわけですが。今回こうしてまた一緒にやるようになった経緯を教えてもらえますか?


後藤:2010年にandymoriを辞めて、その後も「バンドは続いてるな」って思って眺めてたんだけど、さっきも話に出たように、この人(小山田)がダイブをされまして(笑)。


――そこは避けて通れないわけですね(笑)。


後藤:その時点で、自分は音楽を続けてはいたけど、ドラムはもうやめてたんですよ。でも、彼がダイブをしたまさにその日に、神聖かまってちゃんのの子くんから連絡があって、「今度自分が出すソロアルバムでドラムを叩いてくれないか?」って言われたんですよ。壮平のその話と、ドラマーとしての久々のオファー、その二つは関係ないんだけど、それがまったく同じタイミングで自分のところにきたことで、なんだか運命みたいに感じちゃって。きっと、彼がダイブをしてなかったら、そのドラマーとしてのオファーも引き受けてなかったと思うんですよね。


――あぁ、そうなんだ。


後藤:うん。で、その後に、たまたま壮平が自分のうちの近くに引っ越してきたんですよ。それで、近くの公園で久々に二人で一緒に飲んだりするようになって。


小山田:まだ療養中だった頃に、自転車で来てくれて、公園で一緒に飲んだよね。それはすごく覚えてる。


後藤:そういうことがあって、そこから今回の話につながっていって。


小山田:知之の「回送」(2011年『JUNKLIFE』収録曲)が好きだとか、そういう話もその時してたよね。


後藤:うん。


■「昔と比べて、もっと人と一緒に音楽を作ってるっていう実感がある」(後藤)


――長澤くんと小山田くんの中でALがただの遊びではなく、ライブも定期的にやって、作品も出すってことになった時には、それはバンドというかたちをとるのは必然だったんですか?


長澤:いろんな話はしてたんですよ。飲んでる時に、酔っ払いの妄想で9人編成とか10人編成とかにしてもおもしろいよね、とか。でも、現実的にやるってなった時に、それがこうして4人編成のバンドになるっていうのは、自然のことだった。


小山田:うん。


長澤:自分としては、やるならバンドっていうのはずっとあったんだけど、まぁ、俺はソロでやってるし、壮平はandymoriという3人組のバンドでやってるし、はいはいはいって(笑)。その3人とやるなんて当時は思ってもみなかったけど。


――結果としては、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングみたいなことになるわけですからね。世の中、何が起こるかまったくわからない。


長澤:すみません、そのたとえ、全然わからないです(笑)。


――えっ? メチャクチャ的確なたとえだと思うんだけど(笑)。長澤くんがニール・ヤングで。


長澤:自分としては、最初はチャゲ&飛鳥みたいな気持ちだったんだけど。


――適当なこと言ってませんか?


全員:ハハハハハハ。


――ALとして作品を出すってなった時に、シングルやミニアルバムではなくて、最初からフルアルバムだろうっていうイメージは、4人とも共有していた?


藤原:話し合ってとかじゃないけれど、俺は個人的にandymoriの頃から、制作に入るっていうことは、つまりアルバムを作るっていうことだっていうのが意識としてあって。だから、当たり前の感じだったんだけど。


小山田:単純にいっぱい曲もあったしね。


――最初からフルアルバムを出すことで、本気を示したかったというのもある?


小山田:あぁ、それもあるかもしれない。


――で、ここで鳴っている音は、当たり前だけど長澤くんのソロ作品の音ともまったく違うし、この4人中3人が鳴らしていた初期andymoriの音ともまったく違う。まず、プレーヤーとしての観点から、そこの点について訊いてみたいんだけど。


後藤:最近よく言われるんですよ。ドラムのスタイルが変わったって。でも、andymoriの時はその時に自分が信じていたことをやっていただけで、ALに関しては今の自分がやれることをやってるだけで。自分としては、ドラムに向かってる気持ちは変わってないんですよ。でも、あの時よりも「ちゃんとバンドをやってる」という実感はあります。andymoriを脱退した後も、ずっとバンドをやりたいと思っていたから。必死になって目の前のドラムを叩いていただけの昔と比べて、もっと人と一緒に音楽を作ってるっていう実感があって。3人じゃなくて、4人っていうバランスがいいのかもしれないですね(笑)。


――3人って、独特の関係性ですからね。


後藤:うん。2と1に簡単に分かれちゃったりもするし(笑)。


藤原:知之の書いた曲はずっと自分も好きで聴いてたんですよ。でも、その時にはそこで自分だったらこういうベースを弾いてとかは考えたことはなくて。で、今回こうして一緒にやることになったのは嬉しいことだったんだけど、結局、大樹の言うように、プレーヤーとして一生懸命やってるだけで。もしこれまでと違いがあるとしたら、よりメンバー同士が歩み寄っているというところはあるかもしれない。細かいところまで突き詰めて、ちゃんとバンドとして音を鳴らしているという感覚はありますね。


■「このバンドは時間が経てば経つほど良くなるんじゃないかって、はっきりと今思える」(長澤)


――ALの今回のアルバムは、本当にバンドのサウンド、バンドの作品になっていて。長澤くんと小山田くんが二人でやってた時期からずっとライブを見てきて、今回のアルバムにも入っている曲を聴いてきた自分には、すごく新鮮だったんですよ。「あぁ、バンドだなぁ」って。


長澤:こういう取材も新鮮ですね。福岡時代にもバンドは組んでたけど、その頃はインタビューなんてなかったから。


――手持ち無沙汰?


長澤:他の人が喋ってる時は黙ってていいんだって(笑)。でも、今、大樹も寛も言ってくれたように、お互いケアし合って、いい感じでバンドのアンサンブルもできてきてると思います。もちろん、まだ組んだばかりだから未熟なところもあるけれど、アルバムの制作を終えて、このバンドは時間が経てば経つほど良くなるんじゃないかって、はっきりと今思えるから。


小山田:最終的にこの4人でやるって決めた時に、何が決め手だったかっていうと、それは「音楽にとって何が一番いいか」ってことだったんですよ。知之にしてみれば、過去にバンドを一緒にやっていた3人とやるっていうのは、それなりにストレスを感じるところもあったと思うんだけど、それでもALの音楽を鳴らすためには、この4人がベストだと思ったからで。アルバムを作り終えて思うのは、やっぱりそれは間違いじゃなかったってことで。


――そのことは、この素晴らしい作品でちゃんと証明できたと思います。


小山田:うん。


――アルバムを聴いていると、「この曲は長澤くんが書いたっぽいな」とか「この曲は小山田くんが書いたっぽいな」っていうのがもちろんあるんだけど、クレジットはすべて共作になってます。これは、レノン&マッカートニー的な美意識もあってってことなのかな?


長澤:いや、実際に共作なんですよ。アレンジも含めて4人で作り上げたもので、100パーセント誰かの曲というのは1曲もない。


小山田:自分一人じゃ書けない曲、自分じゃ思いつかないコード進行、リズム、歌詞というのを、自分がやっている、それも「自分のものだ」って思えるというのは一人のミュージシャンとしてとても嬉しいことで。自分はジャニス・ジョップリンのように歌えないし、ジミ・ヘンドリックスのようにギターは弾けないけど、そういうものを素晴らしいと思ってこれまで生きてきた。それに近いような感覚が、このALというバンドにはあって。自分の中からは出てこないものだけど、確かにこれは自分が大好きで、そこには自分のものだと思えるものがある。「そうそう、自分がやりたかったのはこういうことだったんだよ!」っていうのをバンドでやれるというのは、とても幸せな経験ですね。


長澤:例えば、壮平が野原を駆け回るような詞を書いて、俺は部屋に籠って窓から外を眺めているような詞を書く。そこで美しいと思うものは違っていても、お互いが美しいと思うものを想像できるし、それを尊重しあうことができる。そういう関係性の中で、それを音楽にしていくのはとても楽しいんですよね。その人が美しいと思うものを、自分にはまったく想像できない人もいるだろうし、そういう人とは曲を共作することはできないだろうけど、壮平はそうじゃないから。


――お互いが見ている風景もそれを見ている時の気持ちも違うけど、その風景や気持ちが想像できるってことですね。なるほど。


長澤:そう。だから、自分にとって壮平と一緒に音楽をやるのは、最初はただ楽しいことだったんですよ。ただ、こうして4人でバンドを組んで作品を出すとなると、いろいろ責任も負わなくちゃいけないから(笑)。でも、やってみたらやっぱり楽しかったですね。


――一つだけ気になるのはね、今回こうして話を訊いてきてよくわかったように、この『心の中の色紙』というアルバムは長澤くんと小山田くんの出会いを発端とすると、とても長い時間を経て生まれた作品でもあるわけだけど、バンドとしての「瞬間の煌めき」を封じ込めたような作品でもあると思ったんですよ。


藤原:「瞬間の煌めき」っていうのは、どこか儚い感じってこと?


小山田:きっとね、「これ一枚で終わるんやないと?」と思ってるんですよ(笑)。


藤原:あぁ、そういうことか(笑)。


――そうストレートに言うのも語弊があるから、詩的な言葉にして質問してみたんだけど(笑)。


藤原:でも、「瞬間の煌めき」って言われて、嫌な感じは全然しない。むしろ、素敵な言葉なんで嬉しいですね。今回アルバムをレコーディングしてみて、手ごたえはすごくあったから、自分は続けていきたいと思ってますけど(笑)。


小山田:うん。「瞬間の煌めき」と言われたら、その通りだと思う。昔からあった曲もあるけれど、今このタイミングで、この4人で、自分たちが一番いいと思うかたちでレコーディングした作品で。あまり後先考えずに作ったものだから。


――後先考えずにっていう意味では、小山田くんの場合はずっとそうだったとも言えるしね。


小山田:(笑)。でも、心の中で思うのは、ずっとこのバンドを続けていくことができたら幸せだなってこと。ただ、未来のことはわからないからね。その時点で、一番自分がいいと思うことをやっていくしかないから。


後藤:俺は自分の実感でしか話せないんだけど。andymoriでは、自分は最初の2枚のアルバムに関わってきて、もちろん当時やってることには確信があったんだけど、作った後、あんまり作品を聴き返すことはなかったんですよね。でも、ALの今回のアルバムは完成してもうしばらく経ってますけど、結構よく聴いてるんですよ(笑)。自分も昔よりリラックスして音楽をやれているし、この感じのまま、この先も作品を作っていけたらいいなって。


長澤:自分の中では、「長澤知之」は解散したわけではないんですよ。でも、今はこのALに集中していて、このバンドを続けたいと思っている。未来のことはわからないから何も約束はできないけれど、今はそう思ってます(笑)。