2016年04月01日 15:22 リアルサウンド
4月27日に相対性理論としてはひさびさのフルアルバム『天声ジングル』の発表を控えたやくしまるえつこが、Yakushimaru Experiment名義による即興・朗読・数字を扱う実験コンセプトアルバム『Flying Tentacles』を、坂本龍一主宰レーベル<commmons>10周年記念作品としてリリースする。作家・円城塔とのコラボレーション作品「タンパク質みたいに」や、夏目漱石(骨格から復元されたモンタージュ音声)との時空を超えた朗読共演「思い出すことなど」をはじめ、6曲の実験的な楽曲が収録されているが、中でも注目なのが一曲目を飾っている「光と光と光と光の記録」である。
これはやくしまるえつこのdimtakt、ドラびでおのレーザーギター、伊東篤宏のOPTRON、ドリタのスライムシンセサイザーという、それぞれが光を放つオリジナル楽器を持ち寄って行なった即興セッションを音源化したもの。すでにそのセッション映像のショートバージョンがYouTubeにアップされ、幻想的であり、破壊的でもある空間が大きな話題を呼んでいる。とはいえ、おそらくは「dimtaktって何?」「OPTRONって何?」という方が多いかと思うので、ここでは各楽器とその演奏方法について解説をしてみようと思う。
やくしまるえつこのオリジナル楽器dimtaktは、センサーを内蔵し、位置、向ける方位、傾きなどを把握して、それに応じて音が鳴り、光を放つという自称「9次元楽器」。その名の通り、ほの暗い光を指揮するかのような演奏時のビジュアルは鮮烈で、やくしまるはすでにアルバム『RADIO ONSEN EUTOPIA』やシングル『X次元へようこそ/絶対ムッシュ制』といったソロ作でも、この楽器を用いている。開発したのはPerfume関連の作品でも知られるクリエイティブ集団Rhizomatiksの真鍋大度。やくしまるとは過去に生体データをリアルタイムで公開するウェブコンテンツ「YAKUSHIMARU BODY HACK」や、プロジェクションマッピングを用いた映像作品「ルル」などを手掛けているが、ここでもやくしまるの先鋭的かつポップなキャラクターを見事「楽器化」してみせたと言えよう。
ドラびでおが演奏するレーザーギターは、音とレーザー光線をシンクロ、およびコントロールできるギター型のデバイス。ドラびでおはかつてドラム演奏と映像を同期させたアバンギャルドなメディアアートを展開していたが、2012年にドクターストップがかかり、ドラマーを引退している。しかし、その後山本製作所の電子デバイス開発部門tkrworksと共同開発した映像と音をリアルタイムでリミックスできる自作楽器DORAnomeを用いた活動をスタートさせ、その映像をレーザー光線に置き換えたDORAnome3がレーザーギターなのである。ちなみに、「レーザーギター」というアイデア自体は世界中で試されているようで、2014年には赤西仁が「Mi Amor」のMVでまったく別のレーザーギターを使っているが、インパクトという点ではドラびでおのレーザーギターがダントツであるように思う。
美術家の伊東篤宏は90年代より蛍光灯を素材としたインスタレーションを制作し、98年に蛍光灯の放電ノイズを拾って出力する「音具」としてOPTRONを開発・命名。当初は遠隔操作するものであったが、徐々に楽器化が進んで手持ちの形態になり、コラボレーションの幅が大きく広がると、数々の個展やソロ・パフォーマンスを開催してきた。2003年にはドラマーとの2ピースバンドOptrumを結成し、これまでに佐々木敦主宰の<HEADZ>より2枚のアルバムをリリース。現代美術側から音および音楽へのアプローチを続ける伊東およびOPTRONの存在は、dimtaktの直接的なルーツであると言えよう。
『第18回メディア芸術祭』エンターテイメント部門で新人賞を獲得したスライムシンセサイザーは、スライムを触ること、または形を変形させることによって音が変わる不定形のシンセサイザー。音を生み出すこと、音を変化させることに特化しているため、これまでのシンセサイザーのように音階を出すことにこだわらず、リズムボックスとしての側面が強いという。開発者の一人であるメディアアーティストのドリタは、ファッションデザイナーのヌケメ率いるドローンバンド・ヌケメバンドのメンバーでもあり、スライムシンセサイザーを用いた独自のパフォーマンスを行っている。
伊東篤宏はかつてOPTRONについてのインタビューで「作為的で判り易い〈神秘性〉みたいなものからは、できる限り離れたいと心がけています」と語っている。音楽は技術と共に進化する。これは紛れもない事実であり、「光と光と光と光の記録」が提示しているのも、決して「神秘性」などではなく、ここから作られるであろう音楽の未来の姿なのだ。(金子厚武)