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二階堂ふみ主演『蜜のあわれ』が描く、エロスとタナトスの相克ーー石井岳龍監督の新境地を探る

2016年04月01日 14:22  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015『蜜のあわれ』製作委員会

「おじさんも人間の女たちがもう相手にしてくれないので、とうとう金魚と寝ることになった」(室生犀星『蜜のあわれ』)


 石井岳龍監督の最新作『蜜のあわれ』は、明治~昭和期に活躍した詩人・作家の室生犀星が晩年(1959年。発表当時69歳)に発表した同名小説の映画化である。叙情的な作風として知られる室生作品の映画化といえば成瀬巳喜男、今井正といった名匠によって何度もリメイクされた家族ドラマの名作『あにいもうと』が思い浮かぶが(個人的には秋吉久美子が主演した1976年今井正版が印象深い)、この作品はまったく趣が異なる。金魚の化身である少女・赤井赤子と、70歳になる老作家・上山、そしてかって作家を愛していた女性・田村ゆり子の幽霊、という3者の三角関係を描くエロティックで奇想天外な幻想小説なのである。しかもこの作品は全編が登場人物の会話のみで成り立つという前衛的手法の小説でもある。地の文がないことで、作品世界の中の客観性が担保されない。金魚の化身である「あたい」が、蘇った女性の幽霊がどういう姿形なのか、わからない。起こっている出来事も、登場人物の断片的な会話の中からくみ取るしかない。すべては読み手の想像力に委ねられるのである。これを映像化するのは極めて難事業であることは容易に察しがつく。


 実際、映画が始まってしばらくは、小説を読んで自分なりに漠然と思い描いていた金魚の化身像と、実際に映像として登場する赤子(二階堂ふみ)がうまく一致せず、さまざまに凝らされる映画的な演出や映像イメージも、微妙な違和感となって映る。だが物語が進むにつれ気にならなくなり、むしろ作品に引き込まれてしまうのは、ひとつに二階堂ふみのコケティッシュで奔放な魅力と、その類い希な肉体のまろやかな厚みと身体表現にある。高校生の時に原作を読んで以来この役を演じるのを熱望していたというが、一旦映画を目にすれば、この役は二階堂以外ありえないと、誰もが思うはずだ。


 そしてもうひとつは港岳彦による脚本である。原作は作家と金魚の、駄菓子のように舌足らずで甘く饒舌で、やや冗長な会話をうまくエディットし、エロティックな部分を拡大して、さらに原作にはないエピソードや芥川龍之介の幽霊(高良健吾。好演)を登場させるなどの工夫を凝らして、妄想を現実を往還しながら、映画全体にうまくメリハリとダイナムズムをつけている。


 さらに撮影の笠松則通(『ユメノ銀河』(1997年)以来の、石井監督とのコンビ)による映像も大きい。デジタルカメラ全盛の時代にあえて35ミリ・フィルムで撮ったという、赤を基調とした濃厚な色彩感覚と、どこかくすんだような温かみのあるヴィジュアルは、さながら昭和の日本映画黄金期のような奥深い美しさがあり、これはぜひ映画館の大画面で見たい。最近では井上陽水、スガシカオ、清春などを手がけた森俊之のノスタルジックな音楽もいい。


 そして石井岳龍監督による、ワイプを多用したオーソドックスな演出と、ミュージカルやダンス、ファンタジーの技法を、時にユーモアをまじえ融合した、いわば伝統美とモダニズムが同居する作品作りの妙。監督の技術力の高さを感じる。そして『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市 BURST CITY』『ソレダケ/that's it』といった激烈でテンションの高いアクション~ロック映画のイメージも強い監督にとって、これは新境地の作品であるに違いない。リアルサウンドのインタビューによれば(参考:『爆裂都市』から『ソレダケ』へーー石井岳龍監督が再びロック映画に向かった理由)、依頼があっての今回の作品ということだが、石井監督はこの奇妙な原作から、老いていくことの悲しさや恐れ、若さや性への妄執、死を前にした孤独といったテーマを読み取りクローズ・アップすることで、もうすぐ還暦を迎える自らの境遇を重ね合わせたのかもしれない。


 「人間は七十になっても、生きているあいだ、性慾も、感覚も豊富にあるもんなんだよ、それを正直に言い現わすか、匿しているかの違いがあるだけだ」」(室生犀星『蜜のあわれ』)


 若くはち切れそうな金魚の化身と、19年間寝たきりの妻を抱え、目はかすみ、耳は遠くなり、男の機能を失い、否応なく忍び寄る老いの影に怯える作家(大杉漣。適役)の残酷な対比。性は若さの、生の証であるという強い思い。エロスとタナトスの相克。そこに若き日に親交があった芥川龍之介の幽霊が絡んで、老作家が長年抱えてきた葛藤や苦悩までもが明らかにされる。終盤の老作家の慟哭が身につまされる年配の観客は多いだろう。


 前述の通り、石井監督にとって本作は「頼まれ仕事」のひとつということになるのかもしれないが、頼まれ仕事であるからこそ、作家の本質が色濃く表れることもある。依頼元からの「お題」はきっかけに過ぎない。『水の中の八月』(1995)『ユメの銀河』(1997)といった作品での女性性、『シャニダールの花』(2013)での絢爛とした色彩感覚といったものが、本作には存分に生かされているのである。


 なお同じ室生犀星の小説『火の魚』は、『蜜のあわれ』の単行本の表紙製作を巡る室生と装幀家の女性の物語であり、2009年に原田芳雄と尾野真千子の出演でドラマ化されている。こちらもかなりの傑作だ。DVD化もされているので、興味がある方はぜひ。(小野島大)