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マンガ原作映画の新たな金字塔! 『ちはやふる』はどうしてこんなに「最高!」なのか?

2016年03月31日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ちはやふる-上の句-』(c)2016映画「ちはやふる」製作委員会 (c)末次由紀/講談社

 1998年公開の『踊る大捜査線 THE MOVIE』から口火を切ったテレビドラマ映画ブームもすっかり落ち着いて、今や実写日本映画の興行面における新たな大黒柱となっているのがマンガ原作映画。ちなみに昨年の年間興収ランキングのトップ40のうち実写日本映画は14本。で、その14本のうち実に9本(『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』、『映画 暗殺教室』、『ヒロイン失格』、『ストロボ・エッジ』、『寄生獣』、『アオハライド』、『バクマン。』、『海街diary』、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』)までもがマンガ原作を実写化した作品だった。好むと好まざるとにかかわらず、この国で製作される実写作品のマーケットの半分以上がマンガ原作作品なのである。テレビドラマ映画ブームの時と同様、映画好きの間にはそうした現実を嘆く声も上がっているが、ここまで状況が進行している以上、その中から良作を探し当てること、さらには全体の底上げ(それはイコール日本映画の底上げとなる)を願うことの方が建設的態度と言うべきだろう。


参考:『僕だけがいない街』vs『ちはやふる』戦争勃発! 「ティーン向けコミック原作映画、春の陣」の勝者は?


 というわけで、『ちはやふる』である。前編『ちはやふる -上の句-』は現在公開中(後編『ちはやふる -下の句-』は4月29日公開)。本来ならもっと早くレビューすべきだったが、「『上の句』と『下の句』、続けて観られるタイミングで試写を観たいなぁ」などと呑気に考えている間に(最近日本映画で流行りの前編&後編は、続けて観ると日中ほぼ丸一日潰れてしまうのでなかなかスケジュールが合わせるのが大変なんですよ)『上の句』の試写を観逃してしまい、公開後に劇場で『上の句』を観たわけだけど、度肝を抜かれましたね。どのくらい度肝を抜かれたって、レイトショーで『上の句』を観た後、ほとんど寝ずに興奮状態のまま翌朝一目散に『下の句』の試写に駆けつけるほど。で、『下の句』は『上の句』のさらに輪をかけて見事な出来映え! もちろん事前に『上の句』を観ておくことはマストだけど、ある意味、別の映画のように素晴らしかった。前編、後編に分けた日本映画界における近年流行りの公開スタイルには、マーケティング的な都合が見え隠れしている作品も多いが、少なくとも『ちはやふる』に関しては作劇的な理由からも、演出的な理由からも、前編と後編に分けた必然性しかない、「二部作映画はこう作れ!」という見本のような作品だった。


 『上の句』はまず、女優・広瀬すず17歳の魅力を余すことなく真空パックした完璧なアイドル映画だ。ここまで無敵のアイドル映画は、薬師丸ひろ子や原田知世が出てきたばかりの往年の角川映画以来観たことがないほど。と同時に、東宝映画の歴史を振り返って言うなら、本作はまさに『七人の侍』の前編なのだ。高校に入学すると同時に「競技かるた部」創設を目指して部員集めに奔走する綾瀬千早(広瀬すず)は、さしずめ島田勘兵衛(志村喬)といったところ。で、「七人の侍」ならぬ個性も実力もバラバラな「五人の部員」が結束して、最初の戦へと向かっていくのが『上の句』。世界中の娯楽映画に多大なる影響を与えてきた『七人の侍』の末裔とも言うべき作品が、この2010年代に同じ東宝映画から生まれた事実に思わず身震いしてしまった。


 で、主人公の宿敵となる若宮詩暢(松岡茉優)が登場する『下の句』。こっちはもはやアイドル映画ではなく、もう完璧な青春映画。『上の句』で競技かるたや各登場人物の説明をすませていることもあって、ここではもうひたすら登場人物たちの身体と想いが風を切って疾走していく。「風を切る」。そう、『上の句』にもいくつか「風」にまつわる印象的なシーンはあったが(競技かるたでかるたを取る、その所作自体が「風を切る」こととほぼ同義であることにも注目してほしい)、『下の句』においてはどんなに鈍感な観客であっても、登場人物たちの前髪を優しく揺らす風、全力疾走、自転車、静かに揺れる風鈴、壊れた扇風機、空に浮かんだ雲の動きと、いたるところで「風の描写」がなされていることに気づくはずだ。マンガを実写映画化する上で、マンガでは表現しきれないもの。それを突き詰めた一例が、この「風の描写」なのだろう。これまで他のマンガ原作映画の作り手たちは、このような映画的表現をどれほどちゃんと「突き詰める」作業をしてきただろうか? 『ちはやふる』は、その答えを鮮やかに示してみせる。


 監督の小泉徳宏は、前作『カノジョは嘘を愛しすぎている』でもマンガ原作を見事なバランス感覚で実写映画化してみせたこのジャンルにおけるエキスパートだが、本作『ちはやふる』によってマンガ原作映画監督の完全なトップランナーになったと言っていいだろう。『カノ嘘』も『ちはやふる』も、言うまでもなく原作は少女マンガであり、マンガ原作の中でも特に少女マンガ原作は恋愛に特化された作品として映画化されることが多く、また効率よくヒットにも結びついている。もちろん、『ちはやふる』でも恋愛感情は登場人物たちの大きな動機となっていて、登場人物たちのそれぞれの想いはとても切ないものとして胸を打つ。しかし重要なのは、そこで恋愛が成就するかどうかというところに物語のフォーカスが当たっていないことだ。むしろ、思春期の当事者が最も振り回されることになる恋愛感情の先にある、それを超越する「何か」を『ちはやふる』は描こうとしていて、実際に描き切ってみせる。


 そういえば、映画『カノ嘘』の顛末もそうだった。小泉監督は、少女マンガ原作映画のメインストリームに立っていながら、そのオルタナティブであり続けているのだ。おそらく、今回の圧倒的な出来映えの『ちはやふる』を観た多くの製作側の関係者からは、あらゆるジャンルの魅力的な企画がたくさん持ち込まれるだろうが、願わくは、現在の実写日本映画を代表するこのジャンルの改革者として今後も作品を撮り続けてほしい。(宇野維正)