大学のキャンパスは、まもなく新入生の初々しい笑顔があふれるころだ。しかしそれとは裏腹に、学費の支払いが大変であるという声が、このところ各所で聞こえてくる。教育にはカネがかかるのだから、誰かがその費用を負担しなければならないのだが。
もしも学生自身が払うべきでないとすると、誰が払うのか。カネの出どころとしては、本人以外には寄付金か税金しかない。「本人の負担を減らせ」というのは「寄付金か税金のどちらかに肩代わりさせろ」と言っているのに等しい。(文:小田切尚登)
寄付金制度の充実が「授業料の高騰」に拍車かけるアメリカ
まず寄付金の可能性を考えてみよう。例えばアメリカだと年収2万ドル(約224万円:1ドル=112円として)の人は所得税を払わなくていいが、そういう人でも平均月1万円くらいは寄付をしている。
ましてや高額所得者が多額の寄付をしているのは、日本でも報道されている。日本でもみんながもっと寄付をするようになれば、事態は多少なりとも好転するのかもしれないが、他人に寄付を強制できるわけではないので当座の解決策にはならない。
それにアメリカでは様々な寄付金制度の充実が、かえって授業料の高騰に拍車をかけているというマイナス面も指摘されている。
寄付金がダメだとすると、残りは税金しかない。しかしこれにも問題が多い。現在、日本人の約半数が4年制の大学に進学しており、卒業までに数百万円、場合によっては1000万円を超える金を費やしている。
もちろん、それによって得られるものは大きい。専門的知識はもちろん、大卒という肩書が得られるし、収入の上昇も見込まれる。生涯賃金は大卒のほうが、高卒よりも5000万円も多いというデータもある(ユースフル労働統計2015)。
ただ、このような人のために税金を投入するのは「より恵まれない人がより恵まれた人に補助金を与える」ことになりはしないか。
あと3600億円あれば「国立大学の学費無償化」実現できるが
大学に通うことは、経済学における「人的資本(ヒューマン・キャピタル)への投資」であり、自分の価値が高まるということだ。多くの人が高い学費を払ってでも大学に入るのは、このためである。
したがって、大学に行かなかった人からすると「大学の学費を税金で負担するのは当然だ」というような意見には、納得できない面があると思う。
ただし、税金の投下が正当化できる場合もありうるだろう。たとえば優秀な医師や研究者、エンジニアを教育することには公益性があり、多くの人が恩恵を受けられることが期待できる。このような学生たちに税金を使うことには、国民のコンセンサスが比較的得やすいのではないだろうか。
ちなみに2014年度の国立大学の予算を見ると、授業料収入が総額3682億円であるのに対し、1兆123億円もの運営費交付金すなわち税金の投下があった。これは逆に言うと、日本でも国民の総意があれば、3682億円を追加的に財政支出することで、国立大学の学費をタダにすることも可能ということである。
事実、ヨーロッパの多くの国では、大学の学費は実質無料だ。日本でも全面無償化までいかなくても、医師や研究者、エンジニアなど公益性の高いコースに限ることも考えられる。
学費ローンの返済は、多くの人が思うほど大変ではない?
とはいえ現状でも国立大学の授業料は年53万5800円と比較的安く、上記の分野ではすでに実質的な減免が行われている。私立大学と今以上に差がつくことになり、国民が納得するかどうか。結局、授業料を他人に払わせるようなうまい話は、すぐには実現できなさそうだ。
ところで私はいま、夜間の社会人私立大学院で教えているが、多くの学生は昼間フルタイムで仕事を終えてから大学に通っている。自分で働いて学費を払い、仕事外の限られた時間で必死に学ぶ学生を見ると頭が下がる。自分で学費を払うことほど、人を真剣に学ばせることはないという気にもさせられる。
学費ローンの返済も、多くの人が思っているほど大変ではない。日本学生支援機構の貸与奨学金を例にとると、返済は最大20年で、4年間でよほど高額の借り入れでもしない限り月1万数千円程度返済すればよい。今は低金利なので金利の負担も非常に小さい。返済が困難な場合は、減額返済や返済期限猶予といった制度もある。
家庭の事情で高校、大学で学費を借り、卒業後に低賃金の仕事にしか就けなくて返済に困る不幸なケースが報じられているが、順調に返済できている人も多くいる(日本学生支援機構の奨学金の返済率は、大学、短大のほか専修学校を加えても91%)。今は各自のニーズやライフスタイルによって、いろんな学び方が可能な時代だ。各自に最も合った方法で、できるだけ多くの人に大学で学んでもらえることを切に望む次第である。
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