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多部未華子はコメディエンヌの才能を開花させた 『あやしい彼女』での熱演を分析

2016年03月28日 17:52  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「あやカノ」製作委員会 (c)2014 CJ E&M CORPORATION

 この春公開される映画『あやしい彼女』で、多部未華子が演じるのは、見た目は20歳だが、中身は73歳という、文字通り“あやしい”ヒロインだ。これまでもテレビドラマや映画で、可愛いだけでなく、ちょっとクセのある個性的なキャラクターを数多く演じてきた彼女が、本作で本格的なコメディエンヌとしての実力と魅力が一気に炸裂した。


参考:松井玲奈は新世代コメディエンヌになれるのか? 清楚イメージ覆す“弾けた演技”を考察


 2014年に韓国で公開され大ヒットを記録し、後に中国でもリメイクされた『あやしい彼女』。毒舌老婆が突然美しく若返り、失われた青春を取り戻すという基本設定はそのままに、日本版ではところどころにアレンジを加えている。東京の下町を舞台にした人情コメディというテイストで、老若男女に親しみやすい設定になった。なかでも最大の変更点が、倍賞美津子が演じる73歳の主人公・カツの子供を、韓国版での男性大学教授から、小林聡美が演じるシングルマザーの雑誌編集者に変えた事だ。この変更が『あやしい彼女』の日本版に深みと感動を与え、更に多部未華子の演技にも多大な影響を与えることになる。


 身体が20歳で中身が73歳という強烈なキャラクターを演じるにあたり、多部は数々の松竹喜劇や、重厚な人間ドラマで名をはせた昭和の名女優の演技を、自分の出番が無い時も撮影現場でじっと観察していたという。73歳になりきるため、倍賞の演技のタイミング、仕草、台詞の言い回しを、自分の演技に反映させるために吸収していたのだ。


 その涙ぐましい努力の甲斐もあって、白髪交じりのおばさんパーマで73歳のファッションのまま、身体だけが20歳に戻ったカツを演じている多部の、“後姿と台詞の言い回しは完全に73歳の老婆”だが、“顔は20歳なのに表情は覇気の無い73歳の老婆のまま”という演技を、ごく自然に体現することに成功した。73年の人生経験の重みを、表情と仕草だけで20歳の女優が演じきったのである。


 本作の重要な要素である“珍妙なジェネレーション・ギャップ”は、生半可な演技では表現できない。そのギャップが生みだすチグハグなギャグを、懇切丁寧に演じることで、初めて笑いが生まれてくるのだ。そしてそれが出来るのは、優れたコメディエンヌとしてのセンスと素質を持つ女優だけだ。


 自分が若返った事を認識し、傍から見れば危ない人にしか見えない程、全身で喜びを表現する場面での振り切れた演技、同じ戦災孤児である幼馴染、次郎(名バイプレイヤーの志賀廣太郎)との掛け合い漫才のような会話。大鳥節子と名乗り、素性を隠して自分の孫である翼(北村匠海)と、失われた青春を取り戻すべく、バンド活動をする姿(そして彼女の見事な歌唱力に驚嘆させられることは間違いない)。要潤扮する自分より年下の音楽プロデューサーに目を輝かせる姿。どの場面を切り取っても、スクリーンの中を躍動する多部未華子は、生き生きと輝いてみえる。


 劇中、戦災孤児だったころの姿や、苦労しながら女手一つで娘を育てる姿をフラッシュバックで見せながら、ザ・フォーク・クルセダーズの名曲「悲しくてやりきれない」を歌う。その歌詞の内容と、節子/カツの人生が重なる瞬間に、観客も思わずもらい泣きすることだろう。それほど多部の感情豊かな歌唱力には心を動かされる。


 また、突然失踪してしまった母を探し続ける一人娘、幸恵を演じる小林聡美も、十代から数々のコメディ映画やテレビドラマに出演し、日本映画界でも屈指のコメディエンヌとして知られる女優の一人だ。特に大林信彦監督の名作『転校生』で、男になってしまった女の子を演じ、多くのファンからの称賛を浴びた演技は、未だに語り草になっている。今回、多部がその小林聡美と共演した事が、彼女の演技の表現力向上に影響を与えたように思われてならない。


 ネタバレになってしまうので、あまり詳しく書けないのがもどかしいが、クライマックスで20歳の姿の母親と娘が対峙するシーンがある。オリジナルの韓国版にも、息子と母との対話シーンとして描かれていたが、本作ではシングルマザーの母親という役柄に変更した事で、“同じ境遇で子供を育ててきた母親同士”という構図が生まれ、やりなおし人生の選択というテーマと、自己犠牲というシリアスなテーマが浮き彫りになってくる。


 73年の人生をわが子に捧げてきた母親、その母を顧みてこなかった娘との対話は、演技の域を超えて、多部未華子vs小林聡美の女優対決にも見える。そしてその対話シーンの完成度は、双方のコメディエンヌとしてのキャリアを、更に向上させた。そのクライマックスに至るまで、明るいドタバタ人情コメディ作品として楽しませてきた分、観客の感情を徹底的に揺さぶる。


 前作『ピース・オブ・ケイク』の体当たり演技で、大人の女優として一皮剥けた姿を披露した多部未華子と、日本のコメディ作品を牽引してきた、倍賞美津子と小林聡美という二人の名女優との共演が、彼女が元来持っていたコメディエンヌとしての素質を、更に際立たせることに成功した。もはや怖いものはない。日本を代表する最強のコメディエンヌの一人に成長したのだ。(鶴巻忠弘)