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『いつ恋』最終話はなぜ“ファミレスでの会話劇”で幕を閉じた? 脚本家・坂元裕二の意図を読む

2016年03月28日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』公式サイト

 ひったくり犯の騒動に巻き込まれた杉原音(有村架純)は階段から転げ落ち意識不明の重体となる。病院に駆け付ける井吹朝陽(西島隆弘)と曽田練(高良健吾)と日向木穂子(高畑充希)。音に助けられた少女・明日香(芳根京子)は、ひったくり犯として逮捕された青年を助けたいと言うが、朝陽は話を聞こうとしない。


参考:『いつ恋』最終回はどこに向かう? 坂元裕二が第九話で描ききれなかった物語


 翌日、意識を取り戻した音は、ひったくり犯の青年のことを心配していた。同じ頃、練は事情を説明するために明日香と警察署に向かっていた。音と練の心が通じ合っている姿を見た朝陽は音のことを諦め、婚約を解消する。時を同じくして音の元に里親の林田雅彦(柄本明)が亡くなったという知らせが入る。足が不自由な義母の知恵(大谷直子)を介護するために、音は仕事を辞めて北海道に戻る。


 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(以下、『いつ恋』)の最終話では、まず各登場人物の結末があっさりと描かれる。朝陽は父の進めるお見合いを受ける。そして、弱者を食い物にするやり方ではなく真っ当な経営を志すことで、父の征二郎(小日向文世)と向き合おうとする。


 木穂子はデザイン事務所で働く恋人からプロポーズされる。劇団の衣装作りに参加することで新しいスタートを切った市村小夏(森川葵)は、今まで支えてくれた中條晴太(坂口健太郎)と恋人となる。


 どれもとってつけたような結末だ。しかし、ここは役者の名演と映像の力で何とか乗り切ったように見える。物語の尻つぼみ感は否めない。だが、そんな欠点を補うくらい、北海道までやってきた練が音とファミレスで再会する場面は素晴らしかった。


 練と音の会話はぎこちなく、相変わらず敬語でやりとりしている。東京での思い出を語る練に対して、拗ねたような態度で不機嫌に話す音。しかし、その姿は、まるで子どもが親に対して甘えているかのように見える。誰に対しても誠実に対応する音が、いたずらっ子のように振る舞えるのは練の前だけなのだ。


 このシーンを見て、坂元裕二が19歳でヤングシナリオ大賞を受賞した脚本『GIRL -LONG- SKIRT~ 嫌いになってもいいですか~』を思い出した。男女の会話劇が延々と続く本作は、その後の坂元裕二の核となる部分がむきだしとなった処女作だった。様々な要素を盛り込んだ『いつ恋』が試行錯誤の末にたどりついたのが、原点回帰とも言える男女の会話劇だったのは感慨深い。


 ラスト15分弱を、丸々ファミレスでの会話に費やすというのは、ドラマとしては常軌を逸している。だが、作り手にとって、この場面こそが本作を象徴する一番やりたかった場面なのだろう。


 不調が続く月9(フジテレビ月曜9時枠)で、もう一度恋愛ドラマが成立するかという難題からスタートした『いつ恋』だったが、意欲的な挑戦だっただけに、過不足を感じる場面も多かった。何より群像劇として苦しかったのは、練と音以外の人々を掘り下げることができなかったことだろう。これは、全十話という短い話数の中で丁寧な会話劇を続けたが故の副作用だと言える。


 ドラマのバックボーンとなる貧困に苦しむ若者の過酷な労働環境、東京と地方の地域間格差、そして震災以前と以降という形で描かれた日本の変化はどこまで描けたのかというとこれも苦しい。震災以前を描いた第一章はうまく行っていたが、現代に舞台が移った第二章は、どこか焦点がぼやけてしまったように見える。


 社会問題や政治的状況を描くことに対する拒絶反応が強い日本のテレビドラマの中で、果敢に現実を取り込もうとする坂元裕二の試みは、高く評価されてしかるべきだろう。しかし、前作『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)における女性差別の描き方に較べると『いつ恋』は、問題の提示だけで終わってしまったように感じた。これは恋愛ドラマという枠組みから始めたことの限界だったのかもしれない。しかし、最終話のファミレスの場面のような、なんでもない会話を描いた場面は突出していた。


 以前も書いたことだが、『いつ恋』はあらすじだけを追うと激動のラブストーリーに見える。しかし、実際に画面で起こっていることは実に淡々としており、一番の見せ場がファミレスでの会話だという、実に不思議なドラマだ。それは、練や音が、恋愛ドラマや時代背景を描くために用意された駒ではなく、私たちと同じ、ささやかな日常を生きる普通の人間として丁寧に描写されていたからだろう。そこに最終話で描かれたような、小さな奇跡が起こることでテレビドラマでしか描けない物語の跳躍が生まれる。その前提が序盤で共有できたからこそ、自分のことのように練や音のドラマに没入することができたのだ。


 だから、ドラマが終わっても、音や練の日常はちゃんと続いていく。ファミレスで話したように、練はこれからも音に会いにいくのだろうと、想像することができる。ドラマの最後、トラックに乗った音は練に家に帰る道筋を教える。
「近道?」
「ううん。遠回り」 
少しでも練といっしょに居たい音の気持ちが伝わるチャーミングな幕切れだ。おそらく『いつ恋』自体が、決められた結末に向かって突き進むドラマではなく、「遠回り」という恋のもどかしさを楽しむドラマだったのだろう。(成馬零一)