2016年03月27日 10:01 リアルサウンド
近親相姦を描いた初の長編作『カノン』(98)、約9分にわたるレイプシーンが波紋を呼んだ『アレックス』(02)、TOKYOを舞台にしたトリップ・ムービー『エンター・ザ・ボイド』(09)。寡作ながら、作品を発表するたびにカンヌ国際映画祭をはじめ世界中で大きな物議を醸し、と同時にファンからは絶大なる評価を得てきたギャスパー・ノエ監督の最新作『LOVE【3D】』が、4月1日に公開される。本作は、アメリカ人青年マーフィーと、彼のかつての恋人エレクトラの2年にわたる愛と性の日々を、3Dで描いた作品だ。リアルサウンド映画部では、プロモーションのために来日したギャスパー・ノエ監督にインタビューを行い、本作を3Dで描こうと思った理由、作品内で登場するセリフの持つ意味、そしてエンドクレジットに記載された著名監督たちとのエピソードを語ってもらった。
参考:“焼けつくような性愛”が3D映像に ギャスパー・ノエ『LOVE【3D】』予告編&場面写真公開
■『LOVE【3D】』と『エンター・ザ・ボイド』と『アレックス』の主人公には相通じるところがある
ーー前作『エンター・ザ・ボイド』で来日された際のインタビューで、「次回作は3Dポルノをやるかも」と言っていましたが、それが今回の作品になるわけですね。
ギャスパー・ノエ監督(以下、ノエ):まあ実際はポルノ映画じゃなくて、センチメンタルな映画なんだ。自分の身を守るためにポルノと言っておいたほうが自由な感じがするから、あの時はちょっと過激にそう言っただけだよ。最初に「セクシャルなことも描く」と言って、その結果として過激なことをやってしまうと、出資者から「ここはカットしろ」とかうるさく言われてしまうからね。最初に極端なことを言っておけば、割と自由に編集や撮影ができるようになるのさ。
ーー今回の作品はタイトル通り、3D映像で『LOVE』が描かれています。このようなテーマを3Dで描くということについて、昨今の3D映画に対する監督なりのカウンター的な意味合いも含まれているのでしょうか?
ノエ:ハリウッド映画へのカウンターという意識は特にないな。でも、若い頃に僕が好きでよく観ていたSF映画やホラー映画、アメリカの大作映画に最近は疲れてきてしまっていて、退屈だなと思っていたのは事実だ。僕はもともと3D技術にすごく興味があって、好きな作品も多い。特に『ゼロ・グラビティ』のように3Dの使い方が成功していれば、素晴らしい作品になる。映画学校時代には、いろいろな撮影トリックやテクニックを学び、新技術にもすごく興味があったんだ。『アバター』が出てきた時には、3Dでこんなにクオリティの高いものができるのかと感心して、自分もいつか3Dで作品を撮ってみたいと思った。ただ、3D映画の場合、撮影や編集、ポストプロダクションにかけて、とにかくかなりの費用がかかってしまう。でも今回は、3D技術を含めた最新技術を用いて映画を製作する際、フランス政府が助成金を出してくれるという制度がちょうど始まり、それに応募して幸いにも助成金を得ることができたんだ。その助成金のおかげで2Dとの差額分ぐらいはまかなえたから、そこまでお金をかけることなく低予算でできたってわけさ。撮影もフランスで5週間だけで撮ったけど、3Dの英語作品で、有名な音楽もたくさん使って、割と高額予算映画に捉えられることも多いから、それは嬉しく思うよ。3D作品はメガネをかけた時に、まるでトンネルの中に入ったみたいに周りが気にならなくなるよね。そして現実的に感じられるものと非現実的に感じられるものが混在していき、観客も特殊な体験ができる。そういった遊び心にも興味があって、今回のような3D作品に挑んだんだ。ちなみに、君が試写で観た時は画面が暗く感じなかったかい?
ーーいや、暗いとは思いませんでしたが……。
ノエ:3D映画には少し残念なところがあって、メガネの調整具合のせいで、映画館によっては暗く見えてしまうことがあるんだ。うまく調整できている映画館だと、鮮やかなところは鮮やかに映るのが、うまく調整できていない映画館だと、全体がどんより暗くなってしまう。映画館によってそういうばらつきがあるのが、3D映画の残念なところでもある。
ーー本作の主人公マーフィーは映画監督を目指しているという設定で、彼の部屋の中には様々な映画のポスターが飾ってあり、映画に関する話もいくつか出てきます。マーフィーという役柄には、監督自身の経験や考え方が投影されていたりするんですか?
ノエ:この作品は僕の自伝というわけでは決してないので、マーフィー=僕ではない。ただ、僕の若かりし頃の要素が一部入っている。それに加え、周りの友人たちのいろんな要素をパズルのように組み合わせて、複合的に取り入れた人物なんだ。でも基本的には、僕とテイストの似ている弟分的な存在かもしれない。僕自身、馬鹿げた行動を取ることはたくさんあるが、それ以上に間抜けな行動を取るような存在としてマーフィーは描いている。この映画の中心人物はマーフィーのように思われるが、ストーリーのカギとなっている中心人物は、実はエレクトラのほうなんだ。もちろんマーフィーにも重要な役割があるし、僕の一部も入っているので、彼の心理状況もよくわかる。それからマーフィーの秘密をひとつ明かすと、実はこの映画は『アレックス』と『エンター・ザ・ボイド』と同じタイミングで構想を練っていたんだ。だから、『アレックス』のマルキュス、『エンター・ザ・ボイド』のオスカー、そして『LOVE【3D】』のマーフィーにはどこか似通った部分があって、相通じるところがあるんだ。
ーーマーフィーの部屋の中には『エンター・ザ・ボイド』のラブホテルの模型が置いてありましたよね。
ノエ:そう、あれはまさに『エンター・ザ・ボイド』の時に作ったものだ。『エンター・ザ・ボイド』で出てきたホテルには「LOVE」という文字が書かれていた。それが今回の作品のタイトルと同じということもあって、使うことにした。『エンター・ザ・ボイド』のラストでは、主人公が「LOVE」と書かれたホテルの中に入って行くシーンを描いたから、実は今回の作品はその模型からズームアップして、そこから始まるようにしようとも思ったんだ。でも、あまりインパクトのある始まり方にならなかったから、そのアイデアは採用せず、マーフィーとエレクトラのラブシーンから始めることにして、ストーリーの中間ぐらいに、あの模型がマーフィーの部屋の中にあるという設定にしたんだよ。
ーー冒頭で「メガネを装着してください」とアナウンスが出るのも面白く感じました。
ノエ:あのようなアナウンスは通常、劇場側が知らせるものだが、今回僕が入れたのには理由がある。多くの作品では映画がスタートする際、製作に関わった会社のロゴが出てくる。今回の作品には、比較的たくさんの会社が関わっていたから、ロゴがバンバン出てくると観客も疲れてしまうし面白くないと思ったからだ。映画がスタートしたぞと注意を引くために、「メガネを装着してください」というアナウンスを入れた。その後、本編はラブシーンで始まるが、あのラブシーンは最初のシナリオでは話の中間に使う予定だったんだ。ただ、結構長いラブシーンで、その前後にもラブシーンが続くため、観客に「またか」と思われて、彼らを疲れさせてしまう危惧もあった。だからあのシーンを冒頭に持ってきたんだ。いきなりあんなシーンから始まるというインパクトのあるオープニングになったので、その点は非常に効果的だったよ。
■「国柄によって笑いが起こるシーンが結構あった」
ーー後半、バーでマーフィーの友人がマーフィーに対して、「アメリカの独占欲はフランスでは通じない」と言うシーンがありましたね。映画全体を通して、アメリカの性概念に対するメッセージ的な意味合いも含まれていたんでしょうか?
ノエ:セリフは元から用意していたわけではなく、俳優たちに即興でやってもらったことが多いんだ。シナリオにはシークエンスごとの設定だけを書いていて、もともとは7ページしかなかった。セリフは一切書かなかったんだ。で、あのシーンのセリフはこの作品のフランスの配給会社であるWild Bunchの社長、ヴァンサン・マラヴァルによるものなんだ。実は彼は、警察署でマーフィーを尋問をする警察官役で出演もしている。あのシーンは最初、シナリオでは想定していなかったんだけど、彼のアイデアでやってみたら結構面白かったから、そのまま採用することにした。あのシーンはアメリカではかなり笑えてもらえたよ。でもマーフィー役がアメリカ人である必要は特になかったんだ。この映画を英語で撮ろうと思ってたからアメリカ人にしたわけで、英語圏の人であれば別にイギリス人でもカナダ人でもよかった。だから僕がアメリカ人に対して何かしらのメッセージを向けているわけではない。でも、ヴァンサンは仕事上、アメリカ人とビジネスをすることも多いから、ビジネスにおいても支配欲が強いアメリカ人に対する、ヴァンサンの隠れた思いがセリフに表れているのかもしれないね(笑)。
ーーなるほど(笑)。
ノエ:でも君が指摘してくれたように、あのシーン以外にも国柄によって笑いが起こるシーンも結構あるんだ。例えば、そのヴァンサンも出演している警察署での尋問シーンで、アメリカ人であるマーフィーが「Fucking France」と言いながら、「1981年に戦争に勝って以来、何も成し遂げていない」と言うセリフがある。あのセリフはマーフィー役のカールの即興で、ドイツやデンマークでは、あのシーンで笑いが起こって拍手をしてもらえたんだ。フランスは第二次世界大戦の戦勝国みたいな素振りで戦勝国側のテーブルについていたけど、実はフランスはドイツに協力をしていた。だから、ドイツやデンマークの人たちは「本当は勝者じゃないくせに勝者ヅラしやがって」みたいな思いもあって、あのセリフに共感したんだろう(笑)。セリフに関してはそういった即興が数多く入っているけど、俳優たちには1分ぐらいのシーンでも、1時間ぐらいいろんなパターンをやってもらって、撮り溜めたものを編集時に選択していったんだ。だから、どのパターンを使えば映画にとって最も効果的かを考えるのは、ドキュメンタリー以上に大変な作業だったよ。もともとはもっとセリフが少なくて、もの哀しげな映画にしようと思っていたんだけど、俳優たちの即興が面白かったからセリフが増えていったというわけさ。
ーーエンドクレジットのTHE DIRECTOR THANKS欄では、ニコラス・ウィンディング・レフン監督ら、ノエ監督と親交のある監督たちの名前が記載されていましたね。ひとつお伺いしたいことがあるのですが、レフン監督の『ドライブ』のエレベーターのシーンの演出はノエ監督がアドバイスをされたという話を聞いたことがあるのですが、本当ですか?
ノエ:いや、それは違うんだ。ニコラスの『ドライブ』がカンヌ国際映画祭に選出された時、カンヌの経験がなかった彼は、カンヌのコンペがどういうものか体験談を知りたくて、その時ニューヨークにいた僕に聞いてきたんだ。『ドライブ』で、エレベーターの中で人を殺すシーンは『アレックス』からインスピレーションを受けているとニコラスは言っていて、お互いすごく気が合ったりもして結構いろんな話をしたよ。カンヌの体験談としては、すごい面白いところでいろんな経験ができるというようなことを話した。その後、カンヌ国際映画祭のためにカンヌに行ったら、たまたま彼に会って、またいろんな話をしながら一緒に飲み交わしたんだ。そのちょうど2日後に彼が監督賞を受賞したんだよね。ニコラスは受賞時のスピーチで、作品に携わった人たちの名前を挙げながら、「そして最後に、もちろんギャスパー・ノエにも感謝する」ということを言ったんだ。僕は映画に関わったわけでもアドバイスをしたわけでもなく、ただカンヌの経験者として、体験談を話しただけなのに。まあ、授賞式の2日前に再会したこともあって、ニコラスは友情を込めて僕の名前を言ってくれたんだろう。
ーーレフン監督以外にもジョン・カーペンター監督やマーティン・スコセッシ監督らの名前が載っていましたね。
ノエ:ニコラスも含め今回のエンドクレジットで僕が名前を載せた監督たちは、映画の中で間接的にその存在を感じられたり、何かしら協力をしてくれた人たちで、彼らに敬意を払う意味でエンドクレジットに名前を載せたんだ。ジョン・カーペンター監督は、映画の中で彼の楽曲を使用させてもらった。楽曲を使用する際、使用料を高くふっかけてくるところも結構あるが、彼はすごく良心的な値段で提供してくれたんだよね。マーティン・スコセッシ監督については、マーフィーの部屋の中に『タクシードライバー』のポスターが貼ってあるんだけど、ポスターを使う許可をもらうためにマーティンに電話をしたら、「いいよ」と言ってくれたんだ。映画学校の学生でもあるマーフィーは、『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロに憧れていて、映画の中では彼と同じようなジャケットを着ているので、そこにもスコセッシ監督の存在感が感じられるようになっている。
ーーマーフィーが好きな映画として『2001年宇宙の旅』を挙げていますが、確かノエ監督もそうでしたよね?
ノエ:そうなんだ。僕が映画監督としてやっていきたいと思うようになった作品や、影響を受けた作品はたくさんあるけど、その中でもマーフィーが言及している『2001年宇宙の旅』は、僕のすごく好きな作品で、映画をやるきっかけにもなった作品だ。デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』にもすごく影響を受けたよ。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『ソドムの市』もすごく好きな作品だし、ルイス・ブニュエル監督の『アンダルシアの犬』にもすごく影響を受けている。スタンリー・キューブリック監督については、映画の中でもマーフィーが「『2001年宇宙の旅』が好き」と言うから、敢えてエンドクレジットで名前を入れる必要はなかった。リンチ監督については、実は『イレイザーヘッド』に出てくる「In Heaven」という楽曲をエンドクレジットの時に流そうと思っていて、彼に許可までもらっていたんだけど、この作品がカンヌで上映されることが決まり、最後のツメの作業をしていた時に、最終的に違う曲に変更したんだ。「In Heaven」を流してしまうと、歌詞に気を取られすぎてしまって、注意が削がれてしまうと思った。だから結局、映画の中に出てきたバッハの曲を最後にもう一回流すことにしたんだ。でも、曲の使用許可までくれたから、リンチ監督には敬意を表して名前を入れている。パゾリーニ監督については、『ソドムの市』のポスターがマーフィーの部屋のベッドの天井に貼ってある。そこでポスターが映るから、パゾリーニ監督も敢えて入れていない。『アンダルシアの犬』は、もともとエレクトラの部屋にポスターが貼ってあったんだけど、よくよく考えてみたら画家志望の彼女の部屋に映画のポスターが貼ってあるのはおかしいなと思って、結局ポスターが映ったシーンはカットしてしまったよ。
ーーエンドクレジットには若松孝二監督の名前もありました。
ノエ:60年代~70年代に、過激なラブシーンのある映画を作っていた若松孝二監督は、普段の生活の中にあるものを映画でやってもいいんだということを示してくれた先輩として、名前を入れた。彼とは個人的な交流もあって、フランスや日本で会ったり一緒に食事をしたりする、すごく気の合う仲間だったんだ。彼は自身の監督作以外にも、素晴らしい映画の製作に携わっていた。大島渚監督の『愛のコリーダ』もそのひとつで、あれほど肉体的な性愛関係を斬新に描いた作品はそれまでなかったんだ。僕はあの終わり方だけは賛同できなくて、あまり気に入っていないんだけど、それ以前の情熱的な性愛関係の描き方は、僕の感覚と全く同じで、とても共感しているんだ。大島監督のあの作品が世に出たのは、若松監督のおかげもあるので、彼の名前は絶対に載せようと思ったんだよ。(取材・文=宮川翔)