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日本のポップス黄金時代を支えた“裏方”たちーー『ニッポンの編曲家』が伝える制作現場の熱気

2016年03月24日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』

「First Call~スタジオ・ミュージシャン列伝」という記事が『ギター・マガジン』2013年11月号に載っている(参考:http://www.rittor-music.co.jp/magazine/gm/13111011.html)。


 説明によれば「“First Call”とはミュージシャン用語で、アレンジャーやプロデューサーから真っ先にお呼びがかかるスタジオ・ミュージシャンのこと」で、フィーチャーされているのはギタリストの矢島賢。23ページにも及ぶ大特集で、詳細なレコーディングリストも掲載されていた。書店で雑誌の立ち読みをしていて「へー、こんな特集が」と開いたらすごい内容で驚き、そのままレジに持っていったのを覚えている。


 70年代、80年代の歌謡曲やニューミュージックを聴いていた人で、彼のギターの音を聴いたことのない人は絶対にいない。それくらい売れっ子だったギタリストである。長渕剛が一目置いていたことでも知られるが、しかし、矢島賢という名前に聞き覚えのある人はごく一部のマニアに留まるだろう。


 当時のレコードには演奏者のクレジットが記載されていないケースが多かった。特にシングルには何も書かれていないことがほとんどだった。スタジオ・ミュージシャンは署名性を求められない裏方であり、リスナーの大半も誰が演奏しているかなんて気にもしていなかった。


 だが今日、歌謡曲やニューミュージックはもはや歴史になった。相当なレア音源まで再発は進んだし、調査や研究、歴史自体の見直しを含めた再評価も、在野はもちろんアカデミズムでもやられるようになってきた。その一部はこのレビュー欄でも紹介した。


 一方で、資料からだけではなかなかわからない領域が残されてもいた。スタジオ・ミュージシャンもその一角で、それだけに『ギター・マガジン』のこの「First Call」は画期的だったのである。


 実はこの記事「新連載」とうたわれていたのだが、どうも第1回だけで立ち消えになってしまったようだった。「この内容を連載で毎回やるというのは大変なことだ」と思ったものだが、やっぱり続かなかったのだろう。


 それからしばらく経った昨2015年4月、矢島賢の訃報が流れてきた。訃報にあわせてDU BOOKSから、生前に収録できた矢島のインタビューを載せた書籍を制作中であるというアナウンスが出た。


 それが、先頃3月に発売されたこの『ニッポンの編曲家』である。


・中心人物は早熟なマニア


 編曲家という存在も、事実の発掘や記録が遅れていた対象だった。ただしタイトルは「編曲家」となっているものの、大きく分けると3部構成になっていて、編曲家、スタジオ・ミュージシャン、エンジニアが扱われている。要するに歌謡曲やニューミュージックを支えてきた裏方全般が取り上げられているわけだ。


 まったく別の会社の別の企画なのだからこういう言い方はよくないかもしれないけれど、まるで「First Call」の意志を継ぎ完結させたかのような1冊なのである。


 各分野の重要人物たちのインタビューがメインコンテンツだが、それぞれの人物に関して、レコード会社ディレクターやマネージャーらの証言、当時関わった作家、歌手、アーティストたちのコメントやインタビューなども添えられている。矢島賢については野口五郎がインタビューに答えている。


 要所要所には内容を補足するためのコラムも挟まっている。音楽業界事情や用語などに不案内な読者はコラムから読むといいと思う。たとえば「インペグ」という用語があって本文にも頻出するのだけれど、業界外でこの言葉を知っている人なんてそういないだろう。


 各人の主要参加作品リストも作られている。巻末には特別付録として、参加ミュージシャンの判明した楽曲100曲のクレジットリストも収録されていて、これだけでも貴重な資料である。一例をあげれば、


■斉藤由貴「卒業」(85年)
(作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:武部聡志)
Keyboard:武部聡志
Synthesizer Programmer:浦田恵司
Percussion:木村誠
Saxophone:ジェイク・H・コンセプション
Chorus:比山貴咏史、木戸やすひろ 他


という具合だ。


 4名の共著というかたちになっていて、川瀬泰雄、吉田格、梶田昌史、田渕浩久という名前が並んでいる。川瀬は、山口百恵、井上陽水などを手掛けた元ホリプロのプロデューサー。吉田は、南野陽子、原田知世などを手掛けた元CBS・ソニーのディレクター。梶田は(かいつまむのが難しいが)音楽研究家。田渕は本書の担当編集者である。編集者が著者にクレジットされているのが奇妙だが、取材文やコラムを書いているからか。


 本書の中心人物は、たぶん梶田だ。プロフィールにはこうある。


「1971年生まれ、東京都出身。小学生の時に聴いたYMOをきっかけにスタジオ・ミュージシャンに興味を持ち、ドラマー島村英二との出会いによって、中学生の頃から多くのプレイヤー、アレンジャーと親交を深める。80年代には担当ディレクターなどに自ら電話をかけ、参加ミュージシャンのリサーチ活動やスタジオ訪問、そしてプレイヤー視点での楽曲研究に傾倒する」


 早熟なマニアもいたものだと感心するばかりだが、爾来30余年の研究成果を集大成したのが本書ということになるのだろう。にわか仕込みとはモノが違うのである。


・“いい話”満載のモニュメント


 登場する編曲家、ミュージシャン、エンジニアの名前を抜き出しておこう。


編曲家:川口真、萩田光雄、大谷和夫、星勝、瀬尾一三、若草恵、船山基紀、大村雅朗、井上鑑、佐藤準、新川博、武部聡志
ミュージシャン:矢島賢(ギター)、吉川忠英(ギター)、島村英二(ドラム)、松武秀樹(マニピュレーター)、加藤高志(ストリングス)、ジェイク・H・コンセプション(サックス)、数原晋(トランペット)、広谷順子(ガイドボーカル)
エンジニア:内沼映二&清水邦彦、鈴木智雄


 それぞれのインタビューはむろん、70年代から80年代にかけての音楽制作の実際を伝える貴重な証言であり、資料価値満点なのだけれど、それ以上に"いい話"が満載なのだ。


 たとえばこんなエピソード。中島みゆきのアルバム『パラダイス・カフェ』は、全曲の4リズム(ギター、ベース、ドラム、キーボードのこと)を、日本のミュージシャンとアメリカのミュージシャンで2バージョン録音して良いほうを採用したのだそうだ。瀬尾一三いわく「すごくお金のかかる実験」。潤沢な時代だったとはいえよく予算が下りたものである。


 こんなエピソードもある。船山基紀はケレン味のある派手なアレンジがトレードマークで、筒美京平は「船山くんは僕ができないような恥ずかしいことを全部やってくれる」と評していた。だが、C-C-B「Romanticが止まらない」のあの有名なイントロを聴いた筒美は渋い顔をしたという。


『プレイバックの時に、イントロのフレーズが気に入らなかったみたいで、「やっぱりこういう曲は船山くんじゃないな」ってうしろで言ってるのが丸聞こえなの(笑)。(…)♪テテテ・テテ・レッテレ・テーレテーっていうあのフレーズが期待外れだったみたいで(笑)。(…)スタッフみんな下向いちゃって。しょうがないから僕が京平さんのところに「このイントロ変えた方がいいですか」って聞きに行ったら、「うん、変えて」と』


 ところがC-C-Bのメンバーが「僕たちこのイントロが好きなんです」といったためそのまま行くことになり、ご存知のとおりの大ヒットとなった。


『その次、京平さんに会った時、「なんでもやってみるもんだね」って言われて。もう崩れ落ちそうだった(笑)』


 もう一つだけ気に入ってるエピソードを。新川博はカルロス・トシキ&オメガトライブやラ・ムーのアレンジを手掛けていたが、アメリカ風のサウンドを求めて海外でレコーディングするようになり、やがてドラムのジョン・ロビンソンと家を訪ねるくらい親しい仲になった。


 同時に、海外で録音を繰り返すうちに意識が変わってきて、ついには「日本のためにアレンジするようにな」ったという。海外録音で日本のためにアレンジするとはどういうことか。


『ジョン・ロビンソンに「お前なんでサザンみたいに叩けないの?」って言いたくなるんですよ。オメガとかやってると「これは湘南サウンドにならないとダメなんだよ、お前わかるか? 湘南サウンド」って(笑)』


 じゃあ日本で録ればいいじゃん(笑)と思わず突っ込んでしまったが、無茶ぶりもいいところである。


 複数の人が口を揃えるエピソードというのがいくつかあって、一つは萩田光雄のドンカマ(クリック)伝説。演奏者の癖にあわせてドンカマを絶妙にコントロールして気持ちの良い流れを生み出していたという。


 あるいは大村雅朗の天才性と完璧主義者ぶり。それが高じて煮詰まりアメリカに移るのだが、日本に拠点を戻して活動を再開した数年後に亡くなった。


 ストリングス・セッションを牽引していた多忠明の優雅で温厚な人柄(多は宮内庁雅楽部出身)についても多くの人が触れている。


 ニューミュージックでも歌謡曲でもやることは同じ、違いはなかったとほとんどの編曲家が述べているのも印象的だ。だが、何より異口同辞に嘆じられるのは、現在の音楽からある種の魔法が失われてしまったことである。テクノロジーの進歩によって音楽制作はPCの個人作業でほぼ完結するようになったが、人と人との関わり合いから生じる化学変化がなくなってしまった、と。


 現状に関して悲観的なトーンが強いのは、邦楽制作の黄金期を支えてきた人たちからすれば当然の感慨だろう。評者はさほど現在の音楽状況を憂えてはいないけれど、あの時代の熱気が二度と戻ってこないことはたしかだ。本書は、日本のポップスがもっとも輝いていた時代のモニュメントである。(栗原裕一郎)