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斎藤工と池松壮亮、ぶつかり合う“色気と技術”ーー『無伴奏』ラブシーンの凄みに迫る

2016年03月24日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 「無伴奏」製作委員会

 斎藤工と池松壮亮のラブシーンが話題を読んでいる。


 その作品は、直木賞作家・小池真理子の半自叙伝的な同名小説を、『ストロベリーショートケイクス』などの矢崎仁司監督が映画化した『無伴奏』だ。学園紛争まっただ中の1969~1970年の仙台を舞台に、成海璃子が演じる高校3年生の響子が初めての大恋愛を経験し、少女から大人へとメタモルフォーゼする姿をセクシャルなシーンを交えながら叙情的に描く。


参考:池松壮亮がラブシーンに起用されまくる理由 そのドライで甘美な魅力を読む


 響子が関わる2人の大学生、祐之介と渉を演じるのが斎藤と池松だ。同じ大学に通う2人は幼いころからの腐れ縁で、渉は現在、祐之介の実家に居候中である。「無伴奏」という名の名曲喫茶で、祐之介の恋人・エマを交えて出会った4人は急速に親しくなり、一緒に海へ行き、祐之介の家の茶室で酒を飲み、芸術論を交わし、タバコをくゆらす。学園紛争から距離をとり、芸術家のような日々を送る彼らに、やり場のない情熱を持て余す響子が魅了されるのに時間はいらなかった。


 さて。すでに、件のシーンに関する画像が公表されているので、祐之介と渉が少なくとも上半身は裸で肌を重ねていることを前提に書き進めたい。薄暗い茶室の畳の上に仰向けに横たわっている渉に、クールな表情の祐之介が覆いかぶさり、首筋に唇を寄せている。注目すべきは渉の表情だ。行為に埋没しているわけでもなければ、歓喜も嫌悪も感じられないが、その瞳にはたしかに涙が滲んでいる。このワンショットだけで2人の関係をあれこれと想像させるのは、この渉の表情の力が大きい。さすが、若手実力派として評価の高い池松である。


 池松は、25歳という若さでありながら、ベッドシーンが多い男優である。『恋の渦』では門脇麦、『海を感じるとき』では市川由衣、『紙の月』では宮沢りえ、そして本作『無伴奏』では成海璃子とセックスシーンに挑んでおり、すべての作品で女優たちの体当たりの芝居が話題になったが、いやいや、池松の体当たりの度合いも相当だよ! 女優がヌードを決意する際の「必然性があれば脱ぎます」という決まり文句があるとしたら(聞いたことないけど)、池松にとっての必然性とはなんだろう? それはおそらく、監督の思い、女優が演じる女という存在、そして人間の欲望を、その肉体のみで受け止めるろ過装置に徹することではなかろうか。彼はこれまで受け身の役が多かったからこそ、個人的には、『私たちのハアハア』で演じていた攻めるキャラクターが印象的に残っている。彼が演じたのは、九州から東京を目指す女子高生4人組がヒッチハイクする車のドライバー。真夜中のサービスエリアの喫煙コーナーで、1人の女子高生と談笑中に、突然キスをする。次に何を仕掛けてくるのかがまったく読めないあたり、『MOZU』で演じた殺人鬼に通じる色気と恐ろしさ……。


 一方、祐之介を演じる斎藤工は34歳。「ネクストブレイク候補歴13年」と自虐するポジションだったが、上戸彩が演じるパート主婦とダブル不倫の関係になる教師役を演じた2014年のフジテレビドラマ「昼顔」で、肉感的な唇と低い美声、禁断の恋に悩む表情がセクシーと評判になり、大ブレイクを果たす。斉藤のキャリアもまた、濡れ場のある作品への出演が多い。しかも、ボーイズラブというジャンル映画にも、『BOYS LOVE』『スキトモ』『いつかの君へ』など多数出演。今年1月クールの主演ドラマ「臨床犯罪学者 火村英生の推理」もかなりBL要素が強かった。彼のキャリアからは、自らに求められる「セクシー」というイメージを引き受け、楽しみながら、消費される覚悟が感じられる。“壁ドン”CMや、白ブリーフ姿で登場した『週刊文春』でのヌードグラビアなども、素材として世間の欲望を逆手に取って遊んでいる証拠ではなかろうか。


 そんな斉藤と池松の共通点は、映画になみなみならぬ愛情をもっていること。斉藤の映画オタクぶりは有名であるし、池松もまた、インタビューでは寡黙ながら、その発言の端々に映画愛をにじませている。筆者が池松にインタビューした際の、「祈りのある映画が好きです」という発言が今でも忘れられない。祈りとは、すなわち願い。観客に何かが届くことを信じ、願い、作品に我を捨てて身を投じている。『無伴奏』の祐之介と渉のラブシーンもまた、どんなに逃れようとしても逃れられない、人間の業や他者への思いを肯定する救いのシーンなのである。


 どんな映画でも、前情報を一切入れずに見るにこしたことはない。しかし、このシーンがあることを前提に、祐之介と渉のやりとりに注目することもまた、『無伴奏』においては幸福な映画の見方といえる。なぜなら、2人はこのラブシーンをクライマックスに、視線を動かし、言葉を飲み込み、表情と放つ言葉を矛盾させるなど、ありとあらゆる技術を駆使した演技を緻密に折り重ねているからだ。2人の色気と技術がぶつかり合う様を、ぜひ堪能してほしい。(須永貴子)