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石井裕也監督が明かす、ドラマ『おかしの家』で目指したこと「テレビでやったことに意義がある」

2016年03月23日 19:31  リアルサウンド

リアルサウンド

『おかしの家』(c)TBS

 昨秋、TBSが立ち上げた深夜ドラマ枠「水ドラ!!」。その第一弾を飾る作品として制作され、ドラマ好きはもちろん、ギャラクシー賞12月度月間賞を受賞するなど、高い評価を獲得したドラマ『おかしの家』が、DVDボックスとしてリリースされる。東京の下町にある駄菓子屋「さくらや」を舞台としながら、主演のオダギリジョーを中心に、尾野真千子、八千草薫など、さまざまな人間模様が描き出された本作。『川の底からこんにちは』(2009年)、『舟を編む』(2013年)、『ぼくたちの家族』(2014年)などの映画作品で知られる本作の監督・石井裕也は、自身が脚本も手掛けるオリジナル・テレビドラマ作品となった本作で、いったい何を描こうとしたのだろうか。そして、その仕上がりと評判に、現在どんな手応えを感じているのだろうか。さらには、「さくらや」に集う人々の日常を淡々と切り取りながら、突如中盤に挿入された「天使を捕まえる」というシュールなプロットで多くの視聴者を驚かせた「第6話 夢」には、果たしてどんな狙いがあったのか。石井裕也監督に訊いた。


参考:水曜深夜に出現した“心のオアシス”ーー『おかしの家』の面白さと中毒性に迫る


■「30代ならではの問題意識みたいなものをちゃんと描きたかった」


――今回のドラマ『おかしの家』は、そもそもどんな経緯のもと、生まれた企画だったのですか?


石井:新枠ということもあって、何もない状態からのスタートでした。で、プロデューサーから原作になる可能性がある漫画とかが、どっさり送られてきて、一時期はずーっと少女漫画を読んでいたんですけど、そこで飛びついてもいいなって思えるものもなくて。紆余曲折あって、結局オリジナルでやることになったんです。そう、ひとつ決定的なものがあったとすれば、そのプロデューサーが33歳だったことで。要するに、僕のひとつ上で、世代的に言ったら、完全に同世代なんですよね。だったら、その世代だからこそ見えるものとか、思っていることとか、そういう問題意識みたいなものを、ちゃんとやろうよっていう話になって。そこから少しスイッチが入りましたね。


――東京の下町にある駄菓子屋を舞台にしようというのも、その話し合いのなかで決まっていったのですか?


石井:いや、それはプロデューサーではなく、美術の原田(満生)さんっていう人ですね。僕と何本も映画を一緒にやっている美術の人がいるんですけど、今回オリジナルでやろうっていうことになって、しかも深夜ドラマだから予算も限られているなかで、やっぱり何か明確な舞台が必要だと思ったんです。つまり、まずは美術的なところから物語のアイデアを出そうとしたわけです。原田さんと酒を飲みながらいろいろと話しているなかで、“下町の駄菓子屋”、“おばあちゃん”っていうキーワードが出てきて……そこから話を作っていった感じですね。


――駄菓子屋「さくらや」のセットをはじめ、美術へのこだわりが非常に印象的でした。


石井:だからもう、ほとんど原作っていうイメージですよね。あの「さくらや」のセットが原作というか。撮影日数も少ないし、予算も限られているなかで、作品としての強度を上げるためには、やっぱりあのセットがどうしても必要だったっていう。そういうのはありましたね。


――で、そこを舞台とした脚本を書き始めたと。


石井:そうですね。結構脚本は速かったですよ。2週間ぐらいで全部書きあげたんじゃないかな? まあ、オリジナルをやるってことも、僕自身、ホント久しぶりだったので、それでちょっとテンション上がったりしていたので。


――映画ではなく、テレビの「連続ドラマ」であることについては、どんなことを意識しましたか?


石井:尺が決まっているっていうのもそうですけど、テンポ感とかリズムみたいなものは、やっぱり意識しましたね。深夜に相応しいテンポに合わせようとしたというか。それはもう、完全に僕の主観ですけど、この時間に観るんだったら、こんなスピード感がいいんじゃないかっていう。映画の場合、わりとそのへんは考えないので。あとは、なるべく一話一話、高揚感のあるものにしたいというのは思っていて。そう、テレビドラマって、わりとストーリーで引っ張ろうとする傾向があるんじゃないかと思うんです。


――ああ……。


石井:この人とこの人が、次にどうなるみたいな。でも、かつて僕が面白いと思っていた連続ドラマって、一回一回の放送が面白くて、だからこそ次が観たいって思うようなものが多かった気がするんですよね。まあ、それはあくまでも僕の感覚であって、それが正解か不正解か分からないですけど、そこはすごく意識しましたね。


――毎回最後に流れる主題歌、RCサクセションの「空がまた暗くなる」が、このドラマの世界観にピッタリでしたけど、あの曲は監督が選んだのですか?


石井:いや、あの曲は、僕が脚本を書いている段階でプロデューサーが持ってきて、すごくいいなと思って。あの曲が持っている力とか、その世界観みたいなところがゴールで、毎回そこに向かって走っていくドラマなんだっていうことが、その段階で決定づけられたところはありましたね。


■「このドラマでは、悩むことをかなり能動的に描いたつもりなんです」


――冒頭に「30代ならではの問題意識」と言っていましたが、それは具体的にどんなことを指すのでしょう?


石井:僕だけかもしれないですけど、30歳を過ぎて、ちょっと人生に悩み始めたというか、30を過ぎてから、自分の人生を振り返ったりすることが多くなった気がするんですよね。20代のときとか、そんなことあんまりなかったと思うんですけど、ある程度大人になって、それなりに仕事もできるようになって、お金もなんとなく持ち始めて……30代って、いわゆる「第一次安定期」みたいなものに入ってくるじゃないですか?


――まあ、そうですね。


石井:で、確かに20代のときより生きやすくはなっているんですけど、何か本質的なものをどっかに忘れてきたんじゃないかっていう思いもあったり……まあ、いろいろ悩みがあるわけですよ。社会的な責任みたいなものを、負わされるようになったりもするし。っていうなかで、結婚する人もいるだろうし、友だちが死んだり、親が倒れたりとか、そうやって30代が直面するような問題を、今回のドラマではちゃんと扱ってみたかったんですよね。


――まさに、このドラマでオダギリさん演じる主人公・太郎が直面するような問題というか。


石井:そう。だから、実はタイトルで結構悩んだんですよね。いろんな議論があって。で、そのなかに「これでいいんじゃないか」って一度決まりかけたタイトルがあって……今にして思えば、絶対それにしなくて良かったと思っているんですけど(笑)。


――ちなみに、どんなタイトルだったのですか?


石井:「座る時代」っていうタイトルだったんですけど。つまり、座って悩む、逡巡するっていう。ドラマの話で言えば、「さくらや」の裏庭にすわって逡巡するというあの行為を、僕はかなり能動的に描いたつもりなんですよね。むしろこれは、ひとつの抵抗手段として、いまやらなきゃいけないことだろうっていう。僕はそういう意味合いで、裏庭を扱ったんです。だから、大人になりきれない人たちが、ダラダラ過ごしているっていう……もちろん、そういう観られ方をしてもいいし、それによって笑いが起こったりすることはあると思うんですけど、必ずしもそれだけじゃないというか。そういう思いがありましたね。


――なるほど。


石井:だから、悩んでいるんだったら、ちゃんと悩めばいいというか、そこに座って悩めばいいってことですよね。流れていく時間のなかで、そうやって立ち止まって悩むことは、ひとつの抵抗だと僕は思っていて。それを分からないふりして、気づかないふりして、ただ流されていくよりも、ちゃんと悩んだほうがいいというか。いまの時代、むしろ、そういう行為をする必要があるんじゃないかなっていう。


――「素敵な時間はいずれ終わる」という、このドラマのキャッチ・コピーも、今の話と関係しているのでしょうか?


石井:そう、そもそもいちばん最初のタイトルは、「いずれおしまい」だったんですよ。


――えっ?


石井:まあ、そんなこと言ったら元も子もないだろっていう反対意見に負けて、タイトルを変えたんですけど(笑)。でも、「いずれおしまい」って、今でも結構気に入ってるタイトルなんです。特に、「おばあちゃん」とかっていうことを考えたときに……僕は、おばあちゃん子なんですけど、やっぱ限定的というか、いつか死ぬなっていうのがあるわけじゃないですか。


――30過ぎると、そういう発想が結構リアルになってきますよね。


石井:そう。だから、その「いずれおしまい」っていうのは、必ずしも悪いニュアンスで選んだ言葉ではなく、いずれ終わるからこそ、いまの価値をちゃんと感じるというか、いまを大切にしようよっていう。そういうニュアンスで捉えると、そこまでネガティヴな言葉ではないような気がするんですけどね。まあ、おばあちゃんだけじゃなくて、みんなそのうち死にますから。


――そう言えば、「恋と恐怖」、「意味」、「後悔」、「痛み」など、各話につけられたサブタイトルも結構重めでしたよね。


石井:あれは、本当は出してほしくなかったんですけどね。第1話とか第5話とか数字で言っていると分かんなくなっちゃうから、一応仮でつけたんですけど、オンエアみたら出ていたっていう(笑)。だけど、「恋」とか「恐怖」とか「痛み」とか全部根源的なもので、少年時代とかに、もう感じていたものなんですよね。それをイメージしながら、脚本を作っていったところがあって……あとは「夢」とか。


――そう、その「夢」の回(第6話)で驚いた人が多いと思うのですが、あそこでいきなり「天使」が登場しますよね?


石井:「天使」の話は、どうしてもやりたかったというか、長年あたためていた企画なんです。


――それまで、リアリティにこだわった演出をされていたのに、あそこで急にファンタジー要素が登場したので、かなり面食らいましたけど(笑)。しかも、基本一話完結だったのに、「天使」の話だけ2話続いたし。


石井:そうですよね(笑)。でも、「天使」は本当にやって良かったですね。そう、オダギリさんが、その6話、7話を脚本段階からかなり気に入ってくれて……撮影中もずっと楽しみにしてくれていて、「やばい。俺、明後日、天使を捕まえる」とか、ずっとドキドキしていました(笑)。


――(笑)。最近は原作ものが続いたし、そういう物語的な冒険をしたかったみたいなところもあったのですか?


石井:そうですね。自分のリズムを取り戻すっていうのは、ひとつテーマとしてあったんです。昔は、「天使」とか出てきても、全然怖がらなかったですから(笑)。ただ最近は、ちょっとやめとこうっていう意識が出てきちゃっていて。もちろん、昔に戻ることはできないんですけど、本来持っていたものを、もっかい検証し直すことは大事かなって思ったんです。


――そういう意味で、今回のドラマは、保守的ではなく野心的な作品だったのですね。


石井:だから、どっちも混ざっているんだと思います。いわゆるその『舟を編む』以降的なものと、それ以前の自主映画的なもののミックスというか。そういう意味で、やっぱり「天使」は、やって良かったんじゃないかな(笑)。


■「自分なりの闘い方と踏ん張り方をしないとまずいとは思っています」


――今回のドラマ『おかしの家』を、石井監督的に総括すると?


石井:単純に、この作品の内容含め、やって良かったなって思います。それをテレビでやったことの意義とか価値を個人的には感じていますけどね。いずれにしても、多くの人がものすごくフランクに観たっていう。映画って、どうしても敷居が高くなっちゃう部分があるじゃないですか。だから、テレビという、いろんな状況で観ている人に向かって作品を作れたということは、何か良かったなって思っています。やっぱり、観ている人の顔とか、いろいろ考えましたから。


――というと?


石井:映画っていうのは、どんな時間に観るのであれ、映画館の場内を真っ暗にすることで、作品に集中する環境を作れるじゃないですか。でも、テレビって、そうじゃないから。連続ドラマだったら、途中でやめちゃう人もいるだろうし、お酒を飲んでいて、今日は観なくていいかっていう人もいるだろうし、まあいろんなシチュエーションがあると思うんです。それこそ、家事をしながら観ていたり、子育てしながら観ている人もいるだろうし。そういう人たちを、どうやって振り向かせることができるのか……まあ、そんな偉そうなこと言って、あんまり考えてなかったけど(笑)。


――(笑)。


石井:ただ、そういう目線というか、どういうシチュエーションでみんな観ているんだろうってことは、ちょっと考えましたよね。映画を作っているときは、そういうことはあまり意識しないので。


――映画の場合、それよりも完成させることが大事というか。


石井:そういうことですね。「どうだ、この作品は!」みたいな。ただ、テレビのいちばんのデメリットって、実は音声なんですよね。僕はわりと音演出というか、音の設計を細かくやるタイプなので。映像よりも、むしろ音で勝負が決まると思っているところがあるんですよね。だから、そういう意味で、今回のドラマは、できればヘッドフォンとかで観てほしいなって思っていて。テレビってオンエアだと、あんまりヘッドフォンで観ないけど、DVDとかだったらヘッドフォンで観られるじゃないですか。それで音をしっかり聴いてもらえると、たぶんまるで違うものとして観てもらえるんじゃないかなって思います。


――では最後に、今後の石井監督の予定なども聞かせてもらえますか?


石井:今回のドラマは、撮影期間は短かったですけど、一生懸命やれたし、本気も出せたし、すごく楽しかったんです。やっぱり今後も、それが基本になるとは思います。


――何か具体的に動いているものがあったり?


石井:うーん、どうしようかなって感じです。まあ、年内に何かしらやるとは思いますけど。また一年間、休むわけにはいかないので(笑)。


――(笑)。


石井:ただ、何かものすごくメジャー的なものをやらなきゃいけないっていう気分も、どっかであるんですよね。興行収入何十億とか、そういうものを一回やっておかないと、何も語る資格がないような気がして。もちろん、それをやった上で、またインディーズ映画に戻ってもいいんですけど。


――『舟を編む』では足りないと。


石井:まあ、常にそういうものがやりたいというわけではなく、「当たる」と言って「当たる」ものを一回やっておかないと、ちょっとまずいような気がするんですよね。


――それは石井監督のキャリアとして? あるいは日本映画全体の状況として?


石井:一応、自分の話ですけど……まあ、映画業界的にも、今が正念場ですからね。大メジャーでもインディーズでもない、いわゆる中間映画がなくなっているというのが、まあ一般論としてあって。本当だったら僕も好き勝手にやりたい気分はあるんですけど。まあ、自分自身の考えもあるので、自分なりの闘い方と踏ん張り方をしないとまずいなとは思っています。(取材・文=麦倉正樹)