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藤巻亮太が明かす3年半の苦悩、そして新しい創作の日々「“木を育てる”ように曲を作った」

2016年03月23日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

藤巻亮太(撮影=竹内洋平)

 藤巻亮太が、3年半ぶりとなるオリジナルアルバム『日日是好日』を3月23日にリリースした。パーソナルな色彩の強かった初ソロアルバム『オオカミ青年』のリリースとツアー後、藤巻は今後どのように音楽と向き合うべきかを長期間模索したという。そのなかで「日日是好日」という言葉に出会い、音楽の持つ力を再認識した藤巻は、ダイナミックなバンドサウンドへと向かう。今回のインタビューでは、今作が完成するまでの葛藤から、音楽創作に対する考え方、さらにはこれからの展望についてもじっくりと語った。(編集部)


・「縛っているものをひとつずつ消していく」


ーー2ndアルバム『日日是好日』は1stアルバム『オオカミ青年』よりもバンド的なサウンドが主体となり、外に向かっていく力を感じさせる作品ですね。


藤巻亮太(以下、藤巻):まず『オオカミ青年』で、ある意味、レミオロメンで貯金したエネルギーをすべて使って、かつバンドではかけないくらいドロッとしていたり、エッジのある部分を表現できたんですよね。そこで衝動を出し尽くしたことで願いが“成就”出来てしまった。その後は悩みが深くなって、まずは空っぽの状態からスタートしました。


ーーシングルとミニアルバムを挟みつつ、フルアルバムまでに3年半の時間がかかりました。


藤巻:きっと“ソロらしさ”という固定観念に縛られていたんですね。こうあるべきだとか、期待に応えなきゃいけないとか、自分の心の中に、すごくたくさん線が引かれている状態だったと思うんです。その時はもう窮屈で苦しくてしょうがなくて、逃げたいとも思うようになっていて……。そこから始まって、自分を縛っているものをひとつずつ消していくという作業が、このアルバムにつながったのかもしれません。


ーー「ソロらしさ」の呪縛を一つひとつ解いていったと?


藤巻:そうですね。そしてそれは、“レミオロメンらしさ”の呪縛だったかもしれません。自分が作ってきたものに縛られて、“レミオと違うものを作らなきゃいけない”と思ってしまう。ただその悩みは現在のものではなく、過去(レミオロメン時代)と未来(今後のソロとしての活動)に向けられたものだと気づいて。そんなときに、アルバムタイトルにした“今”をとても大切にする言葉――「日日是好日」に出会ったんですよね。どうあがいても昨日という日には戻れないし、過去のことは考えてもしょうがない。未来についても、前借りして今から悩んでいたって仕方がない。昨日のことや明日のことを気にしすぎないで、今できることを純粋に楽しんでやればいいじゃないかと。そう思えたときに、すごく気持ちが楽になったんですよ。レミオらしさとか、ソロらしさとか、そういうものにとらわれず、今の自分が楽しくて、ワクワクして、ドキドキすることに対して素直になろう、というマインドに変わりました。


ーーその心境の変化のあとに生まれた曲はどれでしょう?


藤巻:昨年の12月にリリースした『大切な人/8分前の僕ら』というシングルに「wonder call」という曲が入っていて。その曲くらいから抜け出しましたね。3年半も悩んでいたのに、うわっと、すごいカーブを描きながら楽曲が自由になっていきました。自分が作る楽曲に癒やされていくというか、救われるというか、1曲作るごとに、自分の世界を細切れにしていた線が一つ消えて、空間が広くなっていく感じがあって。あらためて音楽の力ってすごいなと思いました。


ーー「日日是好日」のアレンジは、レミオロメンともソロ第一作とも違う、ダイナミックなバンドサウンドが印象的でした。


藤巻:そうですね。メロディーや歌詞も含めて、アルバムに収録する曲を作るというのは、“木を育てる”みたいなところがあると思うんです。つまり、アルバムという森をどうやって豊かにしていくかを考えると、いろんな木があったほうがいいじゃないですか。そんな感覚を大事にして、自由に作っていった結果、音もこういうものになりました。“こんな木が生えていてもいいじゃないか!”って(笑)。


ーー例えば「春祭」は、アルバムの中でも振れ幅の大きな曲ですよね。日本のお祭り囃子的なノリを取り入れた曲ですが、これはどんな経緯で?


藤巻:アルバムの最後にできたんですけど、この曲こそ本当に自由に、何も考えずに作りました。音楽を作っていると、無意識のうちに、なぜか分からないけれどメロディーや言葉が出てくる瞬間があって、そういうものにはアタマを使って考えたものでは到達できない凄みがあるんですよね。「春祭」の歌詞には何の意味もないんですけど、そこに何かが宿っているというか。


ーー藤巻さんは理知的に音楽と向き合っている方だと思いますが、それを超えた音楽も大事にしているということですね。


藤巻:そうですね。こうやって話しているとどうしても理屈っぽくなりますけど、音楽は自分でもよく分からない、無意識から出てきたスゴいものと遊べるから楽しいんですよね。今回の制作を通じて、そのことを思い出したというか。やっぱり人って、意識している世界より、無意識の世界のほうが圧倒的に広いし豊かだと思うんですよね。そして、そのチャンネルを失っちゃうのが、表現者としていちばん怖いことなんです。


・「音楽は苦しい感覚を消してくれる、消しゴムになり得るもの」


ーー「回復魔法」や「夏のナディア」なども含め、今作はご自身でも捉えきれない何かが出てきた作品かもしれません。チームとして制作する過程では、どんなことを考えましたか。


藤巻:今回は、アレンジを一緒にしてもらったりする過程で、“お願いします”をできるだけ減らそうと考えました。自分自身でジャッジが分からなくなって、周りの優秀な方に“お願いします”と任せることで、作品が正解に近づき、よくなることもたくさんあるんですけど、そこで自分の中の何かが途絶えたり、思考停止になってしまうことがあって。だから、大変でもセルフプロデュースというかたちで“最後まで見届ける”ことにしたんです。全然正解じゃなくて、音楽的に破綻していたり、文章的に意味が通っていなくても、その中にある本質的な部分を大事に育てて、自分で完成させたかったというか。


ーー歌詞の面では、より日常的、現実的なモチーフが描かれています。「Weekend Hero」だと、藤巻さんと同世代くらいの社会人生活を連想させるフレーズもありますね。


藤巻:歌詞についても、自分自身が素直になることだと思ったんですよね。例えば、「Weekend Hero」の歌詞でいうと、週末にみんなでフットサルをしているのが楽しい、という感覚。みんなそれぞれに悩みを抱えながらも、フットサルをしているときはただボールを蹴っているのが楽しくて。「落ち込むことでもあったらさ、飲みに行こうよ」って、軽く言えたりもする(笑)。僕そのものなんですけど、こういうことって、普通にみんなあるんじゃないかと思うんですよね。「おくりもの」なんかは、ディレクターさんと「20代で親のことを歌にするのってなんか照れくさいけど、30代になって、もう一度親のことを考えて歌えることもあるんじゃない?」って話したことがきっかけでできた曲です。


ーー音楽を作るときのモチベーションのあり方も、20代の頃とくらべて変化していますか。


藤巻:むしろ、“音楽を作る”ということに出会ったころに戻っている感覚かもしれません。例えば18、19のころは、自分のエネルギーが全部内側に向いていたんです。自分が何者でもないことが怖かったり、誰かと比較して劣等感でいっぱいになったり。そうすると、病んでいきますよね。それが音楽を作ることで、エネルギーが外側に向くようになって、すごく癒やされたんですよ。今回のアルバムは一曲作るごとに癒やされた、というお話をしましたけど、やっぱりそれが表現の原点にあるんじゃないかなって。


ーー例えば、“神社時代”に戻ったような。


藤巻:そうかもしれないですね。あのころの感覚に近いところがあるんじゃないかな。過去にも未来にも生きず、今を一生懸命に生きる――やっぱり「日日是好日」という言葉に集約されている気がします。その気持ちが、アルバムを作る原動力になっていったんじゃないかなって。


ーーやはり今作は「日日是好日」という言葉に集約されていると。


藤巻:そうですね。そんななかで、日々誰もが“こうしなさい”と言われたことを守っていたり、“こうするべきだ”ということに従って生きていたりするんだけれど、それが自分の人生を苦しめていることもあるかもしれないじゃないですか。音楽は、そういう苦しい感覚を消してくれる、消しゴムになり得るもので。僕自身がそれをあらためて体験したことで得た感動が、素直にのっているアルバムだと思います。


・「日々のバッドバイブレーションをグッドバイブレーションに変える」


ーー“癒やし”という意味では、太陽、雲、光など、藤巻さんの曲には自然と一体化するようなフレーズも多いと思います。今作でもそれを感じました。


藤巻:特に意識はしていないんですけど、自然という人間が作れないものに対しては、どこかで憧れや畏れがあると思います。ちょっと旅に出て、自然の中に行きたいな……と思うとき、人が作った“意図のあるもの”から離れることで、癒やしを求めている部分もあるんじゃないかなって。世界は人間が捉えることができないもので満ちているし、自分の意識なんてすごくちっちゃいものなんじゃないか、と思っているから、歌詞にもそういうフレーズが出てくるのかもしれないですね。


ーーこのアルバムのリリース後には「藤巻亮太 TOUR 2016 ~春祭編~」が始まりますが、ファンとはどのようなコミュニケーションを考えていますか。


藤巻:音楽と祭って、すごく似ているようなところがあるような気がして。日本人って昔からずっと働き者で、日々の疲れをどう吹き飛ばして、リフレッシュしてきたかというと、ワーッと騒げる祭りがあったと思うんです。それって、ライブに似ていますよね。日常生活ではいろいろ大変なことがあるかもしれないけど、ライブで元気になって帰ってもらう。その時間で、日々のバッドバイブレーションをグッドバイブレーションに変えられるというか。ライブの音楽の中で繋がれる瞬間というのは、絶対にグッドバイブレーションだと思うんですよね。それがさらに増幅していって、みんながハッピーになっていく。そういう、お祭りみたいなライブにしたいと考えています。アルバム自体がすごくパーソナルなものなので、お客さん一人ひとりのパーソナルな部分とのシンクロがあるといいですね。


ーー今作を作りあげたことで、藤巻さんの音楽活動も次の局面に進んでいくという予感があります。


藤巻:そうですね。今はすごくいいバイブレーションがきているので、先に繋がっていくんじゃないかなと思います。でも、“日日是好日”なので、あんまり未来のことは考えないで、自由にやっていきたいですね(笑)。(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛)