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『わたしを離さないで』を“現代日本的なドラマ”に仕上げた描写ーークローン人間の抵抗が意味したもの

2016年03月23日 15:11  リアルサウンド

リアルサウンド

 TBS系金曜夜10時で放送中されていた『わたしを離さないで』(TBS系)が最終回を迎えた。本作はイギリスの作家、カズオ・イシグロの小説を翻案したもの。脚本は連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)の森下佳子。 


参考:『いつ恋』最終回はどこに向かう? 坂元裕二が第九話で描ききれなかった物語


 主人公たちが過酷な運命を受け入れていく姿を淡々とした語り口で描いた原作小説に対し、『JIN -仁-』や『白夜行』(ともにTBS系)など、原作モノのアレンジに定評のある森下は、舞台を日本に移して細かい台詞や設定を変えることで、原作の持ち味を踏まえた上で、現代的なドラマに仕上げていた。


 物語は陽光学苑という施設で育った保科恭子(綾瀬はるか)の回想からはじまる。人里離れた場所にあり高い壁で外界との接触を拒む隔離された施設で共同生活を送る子どもたちは、実はクローン人間で、将来は提器移植の献体となるために「提供者」として育てられてきた。


 クローンの臓器移植が日常化している世界を舞台に、「提供者」としての運命に苦しむ恭子、酒井美和(水川あさみ)、土井友彦(三浦春馬)は、そんな逃れられない宿命を背負った仲間意識から、お互いに対して深い愛憎を抱くようになる。


 異世界を舞台にした近未来SFドラマというよりは、あらかじめ社会のために死ぬことが宿命づけられるクローン人間の理不尽な姿を通して現代日本で暮らす若者の境遇を描いた寓話に見える。


 物語は三部構成となっており、第二部では思春期を迎えた恭子たちがコテージと呼ばれる場所で共同生活を送り、その中で恋愛やセックスを体験する姿が描かれる。その姿は、まるで青春ドラマのようだが、その状況自体が、あらかじめ国家に用意された舞台だと考えると、実に残酷なものに見える。


 中には自分たちクローンの生存権を主張する運動に身を投じる遠藤真実(中井ノエミ)のような存在もいるのだが、やがて彼女たちは政府に鎮圧されてしまう。 


 死の間際に真実が恭子に渡したメモには


 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


 という日本国憲法第13条が書かれていた。


 この場面は原作小説にはないドラマ版オリジナルのものだ。原作を読んでいて気になる臓器提供の道具として使い捨てにする非道な世界を受け入れるクローン人間に対して「何故、誰も抵抗しないのか?」という部分を補う見事な改変だと言える。


 クローン同士が深く愛し合っていることを証明すれば数年間自由に暮らすことが許される「猶予」があるという希望にすがる恭子と友彦は、今は閉鎖されてしまった陽光学苑の校長に会いに行く。しかし、校長は「猶予」は存在しないと二人に告げる。


 そして、校長自身もクローン人間であると告白し、陽光学苑を作ったのは、クローンにも人間と同じ魂があることを証明することでクローンの生存権を認めさせ、提供という理不尽な制度を止めることが目的だったと、知らされる。


 最終話では、提供者からの臓器移植を拒む高齢者の数が年々増えていることが語られ、この理不尽な世界が変わるのではないかという、かすかな希望を匂わせている。


 つまり、大人たちも、ただ理不尽な世界を受け入れていたわけではなく、何とか抗おうとしていたことが明かされるのだ。


 おそらく、こういった政府に抵抗する人々の描写は、10年前にだったら、もっと古くさいものに見えただろう。しかし3.11以降の脱原発デモや、大学生を中心としたグループ・SEALDsが安保法案反対を訴えたり、保育園の待機児童問題を訴える母親たちによる国会前でのデモが行われたりといった、政府の法案に異議申し立てをする手段としてのデモが当たり前のものとして定着しつつある現況を考えると、クローン人間の生存権を訴える真実の行動は現在の日本を映す鏡として機能していたといえる。


 その一方で、本作を見ていて最後まで気になったのは、ある種の居心地の悪さだ。原作同様、恭子たちクローン人間は、理不尽な運命を受け入れ、限られた生をなんとか充実したものとして過ごそうとする。その姿は確かに美しく、見ていて感動させられる。しかし、死にゆくクローン人間の姿に感動すればするほど、その感動を支えているグロテスクな世界観を緩やかに容認している自分に気づき、居心地の悪さを感じてしまう。


 そのあたり、国の法律で同じクラスの生徒たちが殺し合うことになる高見広春の小説『バトルロワイアル』以降に流行ったデスゲーム系の作品や、かつて森下佳子が担当した綾瀬はるか主演の難病ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(TBS系)のような難病モノの構造――恋愛を盛り上げるために難病という小道具が用意されていること――に対する違和感を確信犯的に押し出していたようにみえる。


 臓器提供の道具として、クローンの子どもたちを「天使」と言って育ててきた陽光学苑の欺瞞に対して異議申し立てをしているように見えて、そんな理不尽な運命を受け入れる姿を感動的な姿として見せるグロテスクさこそが、このドラマの倒錯した面白さだ。


 死にゆく美和に対して「わたしたちは天使だから」と言って、偽りの希望を与えることしかできない恭子の姿には、本作で語られる芸術の美しさと無力さが、同時に現れている。(成馬零一)