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荻野洋一の『無伴奏』評:政治的季節を舞台とした、性愛と喪失の物語

2016年03月23日 13:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 「無伴奏」製作委員会

 黒板の前に立ちはだかった成海璃子が、おもむろに制服を脱ぎ始める。なまめかしい下着姿になり、下着からこぼれ落ちる乳房も気にせず靴下も脱いだ彼女は、クラスルームで「制服廃止斗争委員会」の設立を高らかに宣言する。時は1969年。学園紛争が激化した政治的季節、東北・仙台の県立第三女子高校におけるそんな1コマから、映画『無伴奏』は始まる。


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 『無伴奏』は、直木賞作家・小池真理子による同名の半自伝的小説の映画化で、原作者の高校時代の分身である響子を、成海璃子が演じる。共演は池松壮亮、斎藤工。そして監督は矢崎仁司監督。水川あさみ、木村文乃ダブル主演の『太陽の坐る場所』(2014)で、やはり女子高校生の複雑な心理をみごとに描き尽くした映画作家である。


 ファーストシーン、黒板にチョークで大書された「制服廃止斗争委員会」の文字。「闘争」を「斗争」と書く。かつて大島渚の映画に『東京せん争戦後秘話』というのがあったが、「せん」は「占」ヘンに「戈」のツクリである。もはやPCでは入力さえできなくなってしまったそうした特殊文字の使用こそ、1960年代の政治的な季節へいざなう呪文だろう。


 『無伴奏』を見ているうちに、この季節の真っ只中にマオイズム(毛沢東主義)の影響下で作られたジャン=リュック・ゴダールの『中国女』(1967)が、あるいはパリ五月革命(1968)前後に高校時代を過ごしたオリヴィエ・アサイヤスの2本の自伝的映画『冷たい水』(1994)、『5月の後』(2012)が、どうしても思い出されてくる。そこでは、既成価値への反抗、さらには政治斗争から愛とセックスへのなしくずしの移行が描かれていた。オリヴィエ・アサイヤスと同時期に高校生だった小池真理子の原作を持つ『無伴奏』における成海璃子、池松壮亮らも、ゴダールやアサイヤスの登場人物たちと同じように、セックスとその後にくる脱力感へと傾斜していく。『無伴奏』にはあきらかにフランス映画との親近性がある。第二次世界大戦で戦死したコミュニスト、ポール・ニザン(1905-1940)の次のような引用を、響子はノートに書きつける。


  “僕は二十歳だった
   それが人生でもっとも美しい
   ときだなんて誰にも言わせない
   なにもかもが
   若者を破滅させようとしている”


 こうした未熟なる世界観を「しょせん作者の青春自慢だ」と笑うことができるかもしれない。抵抗詩人の言葉に酔い、プロテストソング「We Shall Overcome」を口ずさみ、斗争のまねごとをしているだけかもしれない。しかし、この映画で語られる青春の瞬間、季節の移ろい、出逢いと別れ、それらは、どうしても語られなければならない、なんとしても語るほかはない──そんな切迫感に満ちていることだけは確かなのだ。


  響子(成海璃子)「ねえ、渉さん」
  渉(池松壮亮)「ん?」
  響子「一生かかっても貫き通せるものって、何かしら?」
  渉「人を愛していくってことじゃないかな」
  響子「え」
  渉「人と人の愛がなくて、革命なんか起こせるかな?」


 政治への関心と愛が、いくらか滑稽なほどシームレスに直結している。そんな彼らがたがいに知り合ったのは、仙台市内に実在したという名曲喫茶「無伴奏」でのこと。バロック音楽のみを流し、たばこの煙がモクモクと充満したこの空間こそ、彼らの出逢いを用意し、青春の温床となった。バッハの「ブランデンブルク協奏曲」、パッヘルベルの「カノン」が彼らの出逢いと恋の始まりを伴奏する。成海璃子、池松壮亮、遠藤新菜、斎藤工──並んで腰かけ、たばこをたくさん吹かしながら「カノン」に耳を傾ける彼ら4人の男女のいささかニヒルに気どった顔を、カメラはクロースアップのまま横移動で見せていき、さらにそれを2度くり返す。せつなくなるほど輝かしい青春の一場面だ。


 もうひとつ、竹藪の向こうにしつらえられた茶室が出てくる。そこは茶人が美意識を発露する空間ではもはやなく、若者たちの飲酒と喫煙とセックスのためのアジト、と同時に、現実と冥界の中間領域でもある。主人公の少女はこの茶室で、知ってはならないことを知ってしまうだろう。


 この映画には、未熟で愚かな若者たちの、非常なる悲しみが宿っている。だがそれは、主人公が知ってはならないことを知ってしまう悲しみではなく、知ってしまったのに、その知りえた事実から置いてけぼりを食ってしまう悲しみである。主人公は決定的に何かから取り残される存在なのである。


 登場人物の誰もが無意識的に、喪失への執着ともいうべきオブセッションを抱えこんでいる。何か大事なものを決定的にダメにされてしまいたい、そしてその喪失に対して殉教してみせたいという衝動を、最後まで手放すことができない。この衝動は、青春期に特有のものだろうか? それとも1969年から1971年という時代精神の反映なのだろうか? そして、そんなせっぱ詰まった過去形の衝動を叫ぶこの『無伴奏』という映画が、はたしてこの現代にいかなる存在意義を有しているのだろうか?


 その答えは、次のように考えられまいか? 1970年に三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺事件があり、1972年にはあさま山荘事件が起きて、日本を揺るがした。大島渚監督はのちに、次のように喝破している。


「それ以後、若者たちが日本の現代史の表舞台に登場したことは、いまだない」


 つまり大島渚が腹立たしげに喝破しているのは、あさま山荘事件以後、保守化した若者は歴史のメンバーですらない、何ごともなしていないということだろう。青春とは元来、何かを失うこと。そして恐れることなく(いや、恐れてもなお)喪失の宿命を甘受すること。主人公・響子は、17歳から19歳にかけて多くのことに出逢い、多くのことを壮絶に失う。


 やがて少女は仙台の街を去り、(原作者自身がそうであったように)おそらく東京で小説家になるのだろう。しかしそこまでは描かれない。映画はまだ、彼女に何の決着も与えない。喪失した事柄に対する悼みの仕事はまだこれからだ。いや、その仕事はひとり響子だけでなく、若い観客のそれぞれにもゆだねられている。どうか、彼らの青春の骨を拾い、喪を演じてみせるのは皆さんの仕事なのだから、それを響子たちに仕返ししてあげて下さい──この映画の作者たちの願いが、そのように聞こえた。


 演劇・映画用語に「空舞台(からぶたい)」という言葉がある。登場人物が皆いなくなり、舞台セットやロケーションが無人になるシーンのことを「空舞台」と呼ぶ。この映画のラストには、大げさではなく、映画史上に残るほど美しい余韻に満ちた「空舞台」が用意されている。喪失の深い悲しみに満ち、と同時に希望の予感が漂う「空舞台」。誰かの愛の亡霊がそこに戻ってきて聴いているかのごとく、パッヘルベルの「カノン」が流れ始める。この無の空間をふたたび新たな物語で埋め尽くしてみせるのは、今、このスクリーンをご覧になっているあなた方だ──作者たちは、私たちにそう訴えかけているように思える。(荻野洋一)