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アイドル同士の“百合キス”に漂う切なさと愛おしさーー姫乃たまが『キネマ純情』を鑑賞

2016年03月19日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『キネマ純情』より

 小学生の頃、一緒にトイレの個室に入ってとせがむ女の子がいて、押しに弱い私は流されるがまま付き合っていました。個室に入ったら入ったで、「後ろ向いてて!見ないで!」と言い放つ彼女のために、今度は両手で顔を覆ったまま壁の方を向いて、手を壁と顔で挟みながら、「これ、なんの時間なのかな……」と思ったものです。ある昼休み、いつも通りトイレの個室で顔を覆っていたら、女子達の「あー、いっけないんだあ」という無邪気で意地悪な声が聞こえ、いま思えばその瞬間に個室から出れば良かったのですが、いまいち罪悪感の薄い私と、そもそも用を足している途中で個室の扉が開けられない同級生という、最高に滑稽なコンビだったため、担任の男性教師が狂ったように「出てきなさい!!」と大声を張り上げながら、女子トイレの扉を力任せに叩くこととなったのです。


参考:なぜ少女は“おじさん”に恋い焦がれるのか 姫乃たまが『友だちのパパが好き』を考察


 狂ったように怒鳴りながら扉を叩く男性教師の声と、自分たちが言いつけたものの、男性教師のあまりの気迫に若干引いている女子達の気配を扉越しに感じていると、用を足していた同級生が「いないふりしよう」と、私に耳打ちしてきました。ませていると言われていても、小学生の女なんてその程度の生き物です。主体性のない私も、毒を食らわば皿までと、だんまりを決め込みました。結局心が折れた私達は、午後の授業を、「女同士でトイレに一緒に入っていた人」として同級生達に公表されたうえで廊下に立たされ、言いつけた女子達になんとなく慰められたりしながら、放課後の居残りまで命じられて、「女の子同士でトイレの個室に入ることがどうしていけないのか」を説明させられたり、人生の中でも未だに片手に入るほど、強烈かつ執拗に怒られ尽くしたのです。


 私は当時から、「大人になれば一緒にトイレに入るように要求してくる人もいなくなるから、そんなに心配することもないのでは……」と思って怒られていたのですが、悲しいかな、いま考え直しても何がそこまでいけなかったのか明確に答えられません。たしかに偏った性癖を生む可能性があるような気はしますが、もっと男性教師を執拗に怒らせるような何かがあったのではないかという気持ちのほうが大きいです。


 井口昇監督の作品を見ると、いつもこの事件を思い出します。私はいまだにこの事件の当事者として、判然としない思いを抱えていますが、こうした女の子達の本能的で不可解な行動のひとつひとつが、青春時代の瑞々しい思い出として井口監督の中に残っている気がするのです。同時に感じていた、女の園へ侵入できない切なさと愛おしさが、井口監督に『キネマ純情』を撮らせたのではないでしょうか。


 そんな“瑞々しくも切ない青春百合映画”『キネマ純情』は、流行りに乗った百合映画ではなく、井口監督が永遠のテーマとして温めてきたであろう、女の子達の濃密で過剰な交流が描かれています。そして、井口監督の生涯のテーマを演じるのは、彼が自らプロデュースを手がける五人組の女優アイドルグループ・ノーメイクスです。


 映画は、高校演劇部に所属しているヨシエ(洪潤梨)が、姉のケイコ(上埜すみれ)に誘われて、親友のアカリ(荒川実里)と部長のアキ(柳杏奈)と共に、姉の恋人である女監督・ナオミ(中村朝佳)の自主映画に参加したことから始まります。軽い気持ちで出演を決めた彼女達でしたが、妙にサディスティックなナオミ監督に追い詰められて、本心を剥き出しにしているうちに関係が歪み始め、さらにはナオミがサディスティックに映画を撮影している理由が発覚したことで、事態は想像もしていなかった方向へと転がっていきます。


 “映画史上最多”の頻繁な女の子同士のキスシーンは、恋人同士であるケイコとナオミが、映画撮影のことで口論になった後、木陰で仲直りをするためにキスをしたのが、最初のシーンです。


 映画の序盤で、ナオミは自らの自主制作映画について、「映画だからって嘘つきたくないからです。今回の作品では、思春期の女の子がぶつかり合って変化する姿を見たいんです」と、女優達に説明します。これは井口監督が『キネマ純情』の説明を、自分の分身であるナオミに言わせた台詞だと思われます。


 劇中では、女優がハンディカムで自撮りした映像が多用されており、そのほとんどが2ショットのキスシーンで、実際に女優達の感情に任せて撮影させたものを、話に合うように編集したのではと思うほど臨場感に溢れています。実際の撮影現場で、ノーメイクスのメンバー同士が激しくぶつかり合っている(怒りではなく、女優として)のは間違いなく、それによって変化していく彼女達の姿が自撮りによって収録されています。


 物語はフィクションでも、女優の感情は本物という、映画の前提に気づかされるのです。だから映画監督は女優を撮るのかもしれません。


 また、ナオミがキスシーンを撮影している途中で、女優同士がぶつかり合って撮影が停滞してしまい、現場を見守ることしかできない男性スタッフ達が、怒って退室してしまうシーンがあります。ナオミは「男子スタッフは根性がないからダメね!女子スタッフだけ残って!」と叫ぶのですが、井口監督が、学生時代にどんな思いで女子達の過剰な交流を見守っていたのかが、痛いほど伝わってきます。


 個人的には、中学生くらいになると、男子受けが良いからという理由で、わざと女子同士でいちゃいちゃして男子に見せつけるという策士な女の子も一部いた覚えがあり、つまり女子同士のいちゃいちゃは必ずしも男子を排除するための行為ではない(むしろ園に入ってきてほしい)のですが、この映画を撮っている間にも、ずっと自分の入れない園として女優同士の交流を観察していたであろう井口監督に愛しさが溢れます。


 高校の時に同じクラスだったニヒリズムな男の子が、女子同士でいちゃいちゃしている文化系のクラスメイトを「(女友達の)膝の上に乗っちゃう系女子」と揶揄していました。


 彼女達を見る限り、女子同士で何か特別に美しい感情があったようにも思えないのですが、劇中では井口監督の思い出によって、女子達の交流が美しく描かれています。『キネマ純情』には明らかに、井口監督の伝えたいことがぎっしり詰まっており、それを自分がプロデュースしている自身の分身のような女優アイドル達で再現することは、彼にしかできない表現です。


 劇中には女子同士のキスシーンのほかに、パンチラ、首締めや降霊など、井口監督の好きな要素も散りばめられているのが愛おしく、後半から一気に伏線が回収されていく爽快なシナリオは、既存の井口監督ファンにも嬉しいです。


 しかし、改めてこの作品を演じきったノーメイクスの女優陣はすごいです……! 脚本も、女優陣が監督の分身になってくれるため、井口パワーが増大しています。エンドロールにはノーメイクスの楽曲が起用されており、ライブに足を運びたくなるのはもちろん、監督と女優陣、どちらも好きになってしまう映画です。(姫乃たま)