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高畑充希の“視線”はなぜ好感を持てる? 若手演出家が『東京センチメンタル』の演技から考察

2016年03月18日 06:12  リアルサウンド

リアルサウンド

『東京センチメンタル』より

 若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第四回は、放送中のドラマ『東京センチメンタル』(テレビ東京)や『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ)などに出演しているほか、次クールのNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で主演を務めることも決定している、いまもっとも勢いのある女優のひとり、高畑充希の“視線”の演技を考察する。(リアルサウンド映画部)


参考:高畑充希、人気の秘訣は“飾り気のなさ”? 『東京センチメンタル』看板娘役への期待


 誰もが「人と話をするときは目を見て話しなさい」と言われた経験があるはずです。そして「人の目を見て会話が出来る人の方が正しい」と、どこかで意識づけられているのではないでしょうか。けれど、芝居の上手い俳優さんの中には目を合わせない人が案外多かったりします。目を合わせる事が苦手な人こそ、実はコミュニケーションに対する意識が高い人だったりもします。


 ドラマ『東京センチメンタル』を鑑賞しながら、改めて高畑充希さんは「芝居が上手い人だな」と見入っていました。素敵なところがたくさんある人ですが、中でも今回は“目”の演技について考えたいと思います。


 ドラマの中で高畑充希さん演じる須藤あかねは、よく目が泳ぎます。会話をする際、どう目を合わせていいか戸惑い、目を合わせられなかったりします。人に何かを伝えたいと言う感情よりも、何かが伝わり過ぎて相手を傷付けてしまったらどうしようと考える、優しさのある人物なのだと思います。


 日常においても、他者からの情報や感情を受信する能力が高い人ほど、中途半端な形で情報を送信する事を避けます。目を背けたり、泳いだりしてしまうのは、ある意味ではコミュニケーション能力が高いからこそ起こる現象だと言えるでしょう。


 ドラマにおいてあかねは、色々とクリエイティブな活動に手を出している住田龍介に対し、才能がないとストレートに伝えてはいけないと言う気持ちから、いつものごとく目が泳ぎます。そんなあかねは龍介に「夢を諦めても死にはしない」と、初めて目を背けずに真っ直ぐ伝えます。目を見てものを言うことが、相手の感情を突き刺してしまうことを知っているあかねだからこそ、このシーンが愛と緊張感の両方を持った豊かな場面となるのです。


 どう伝わるかを意識し過ぎて、本音を喋っていない女性は、“ぶりっ子”と陰口を叩かれてしまうケースがあります。逆に、何も考えずにただ思ったことを言える女性は、“天真爛漫”と称されたりもしますが、ときに鋭すぎる意見から“毒舌”と言われたり、場合によっては“空気を読めない”と言われるわけです。


 他者とうまくコミュニケーションすることは本当に難しく、それゆえに奥深いものですが、高畑さんはそのバランスが絶妙だからこそ、同性からの支持も高いのではないでしょうか。“目が泳ぐ”ことも、バランス感覚のなせる技であり、かえって好感度を高める一因となっているはずです。


 最近では、人の目を見て話せないと“コミュ障”なんて言われますが、人とずっと目を合わせるのは、お互いにとってむしろストレスにさえなります。高畑さんのように、ここぞと言う時だけしっかりと目を合わせるくらいの方が、ずっと素敵だと思います。(登米裕一)