2016年03月16日 16:31 リアルサウンド
「家族というのは、厄介で、煩わしくて、無くてもよいと思うこともあるのだけれど、やはり切り捨てるわけにはいかない。そのつらさを何とか切り抜けていかねばならない、そのためにあくせく大騒ぎする。そんな滑稽で不完全な人間を、表現したいと思いました」と、山田洋次監督は『家族はつらいよ』への想いを語っている。(引用:公式パンフレットより)山田洋次監督と言えば、『息子』『おとうと』『母と暮らせば』など、家族にまつわる作品も多い。この『家族はつらいよ』は『男はつらいよ』シリーズ以来、山田洋次監督作品20年ぶりの喜劇となる。また『男はつらいよ』のような、平和で大衆的で、温かな笑いがやって来る、そう思うと嬉しい限りである。『東京家族』で一家を演じた、8人の豪華キャストが再集結。熟年離婚、家族の在り方が軸となり、そこに笑いが絡んでいく。
参考:自分と異なる他者を受け入れることはできるのか 『ディーパンの闘い』が描く難民問題と家族愛
橋爪功演じる、ありがとうさえ素直に言えない頑固な父・周造、それを長年優しく支えて来た、吉行和子演じる母・富子。「何が欲しい」と聞かれて、誕生日プレゼントに離婚を要求する妻、というところが、まず粋だなあと感じる。無防備な父・周造に、母・富子が離婚届を手渡すシーンである。それは長年苦楽を共にし、その裏側でじっくりと温めていた、日頃の怨念を晴らす復讐のようでもあり…と、言っておくが、これはホラーではなく、喜劇である。もちろん男性にとっては、青ざめる瞬間に違いないのだが。
その後、家族総出で、二人の離婚問題をめぐった家族会議が行われるが、あれやこれやと本筋でないことも飛び出し、事態は思わぬ展開を迎える。この家族会議のシーンが何とも滑稽なのである。悲劇はもしや、喜劇なのかもしれない。渦中の家族にとってはいたって真剣なのだが、俯瞰というレンズを通して見てみると、コントでも見ているかのようだ。実際、家族とはそんなものなのかもしれない。くだらない、どうでもいいようなことに腹を立てる、ありのままの感情をぶつける。その真剣さを見て、こちらが笑いたくなってしまうのである。常にくすくすっと、でも時々手を叩いて大声で笑ってしまうほどの、共感。ただ、その根底には互いの愛情があるからこそ、笑いが成り立つのである。私の家族もこんな感じかもしれないと、自分の家族を重ねた。煩わしさを感じることもあり、でも喧嘩のできる幸せ。
最近は互いに無関心な家族が多いと聞く。それぞれが何を考えているのか分からない。そこに会話もなく、個人がただ集まっただけのような、名ばかりの家族。家族の在り方というものを考えさせられる。私はこの平田家、不器用でも人間らしいと感じる。血の繋がりがあろうとなかろうと、そこに壁を作らず、自分のありのままを見せようとする人たち。ただそこには、近しいが故、心を許し合うが故、ぶつかり合い、本当の気持ちを言葉にして伝えられないこともある。言わなくても分かってくれているだろうという、阿吽(あうん)の呼吸を信じるかのごとく。家族とは一番近い存在で、普段の自分を見透かされているからこその、気恥ずかしさもある。ありがとう、ごめんでさえ、口にできないこともある。
考えてみれば家族とは不思議なもので、自分が生まれた時にはすでに、父や母が家族として存在していたが、そもそもは父と母は他人同士なのである。構図としては、そこに私という存在が生まれることによって、父と母の血を私が半々受け継ぎ、二人を繋ぐ。そしてそこからまた他人が結びついて、新たな家族という形を成していく。しかし一緒に暮らすうちに、家族とは他人からの派生だという構図も、いつの間にか忘れてしまう。そして感謝すべきことでさえも、悲しいかな、当たり前に変わってしまう。ただその感謝の言葉、たった一言を聞いた瞬間、全てが許せ、報われてしまうのも、家族として生きて来た様々な想いがあるからこそ、なのかもしれない。
周造は部屋で、小津安二郎の東京物語を見ている。部屋に戻った妻に、サインした離婚届を渡そうと準備している。笠智衆演じる周吉が、テレビの中でつぶやく。「妙なもんじゃ。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。いやあ、ありがとう」そこには、すべての夫婦の縮図が集約されているのかもしれない。感謝を口に出して伝えることの大切さ。
笑って笑って、そして最後にじーんと来る、そんな映画である。
そして、この憎たらしく、口の悪い父・周造が、俯瞰レンズを通して見ると、なぜかとても愛らしく見えて来てしまうのが不思議でならない。(大塚シノブ)