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NHKドラマは震災とどう向き合ってきたか? 『恋の三陸 列車コンで行こう!』に見る描写の変化

2016年03月15日 10:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『恋の三陸 列車コンで行こう!』公式サイト

 3月11日前後になると、NHKは、東日本大震災をモチーフにした単発ドラマを毎年放送している。


 震災の翌年となる2012年に放送された『それからの海』は、吉村昭の小説『漁火』を原案としたドキュメンタリーテイストの群像劇。2013年の『ラジオ』は、女川さいがいFMで働く某ちゃんというハンドルネームを持つ女子高生のBLOGを元にしたドラマだった。どちらも震災渦中の描写はなく、震災以降、被災地で生きる人々の物語となっていた。


参考:『いつ恋』第七話で“花”と“レシート”が意味したものは? 映像の向こう側を読み解く


 2014年の『生きたい たすけたい』は、震災渦中の混乱状況をリアルタイムで描いたパニックムービーのような緊張感のあるドラマだった。そして、2015年の『LIVE!LOVE!SING!生きて恋して歌うこと』は、今は神戸で暮らす被災した少年少女たちが、立ち入り禁止区域となった福島の故郷に向かうロード―ムービーとなっており、ドラマ後半になると、実際に撮影した禁止区域の姿が、幻想的な映像の入り混じった形で描かれていた。


 震災ドラマは、実際にあった出来事をドラマ化するため、どうしてもドキュメンタリーとフィクションのはざまの作品となっていく。また、震災を描くといっても震災渦中の出来事と震災以降の日本を描くのでは見せ方は大きく違ってくる。仮に震災の渦中を描くにしても実際のニュース映像を使うのか、津波のシーンをCGで再現するのか、あるいは、連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)のようにミニチュアを使ってワンクッション間に挟むのかによって、視聴者に与える印象は違ってくる。つまり、実際に起きた悲劇的な出来事であるために、作り手がどのような距離感で作品に挑めばいいのかが、毎回問われるのだ。


 そして今年は、スペシャルドラマではなくNHKの土曜9時枠で『恋の三陸 列車コンで行こう!』が全三話のドラマとして放送された。物語の舞台は岩手県大船渡市。西大船渡市役所・地域復興課に勤める岩淵由香里(松下奈緒)が主人公のドラマだ。物語は街おこしのイベントとしておこなわれた列車コン(電車を使った合コンイベント)に偶然乗り合わせた大迫達也(安藤政信)と由香里が再会する場面からはじまる。


 達也は由香里の姉・綾佳(笛木優子)と結婚した義理の兄。東京で銀行員として働いていたが、地元の名産品であるサンマを使用したラーメンを完成させて、町おこしのB級グルメとして売り出すために戻ってきたのだ。達也の帰還は由香里たち岩淵家の人々に波乱をもたらす。長女の綾佳は2011年の東日本大震災の影響で発生した津波によって行方不明となっていたのだ。


「帰ってほしいんです。東京さ。彩佳はもういないのよ」


 母の晴子(松坂慶子)は達也に言う。しかし達也は、綾佳と向き合うためにも、綾佳が作ろうとしていたサンマラーメンを完成させたいと申し出る。


 タイトルからもわかるように基本的には地方都市の町おこしを明るいトーンで描いた恋愛ドラマである。由香里のいとこ・岩淵七海を演じる黒島結菜のナレーションは明るく元気なもので、列車コンからはじまる恋愛や、さんまラーメン開発というB級グルメ要素。ご当地ネタとしての和太鼓のシーンなど、表向きだけ見ていると、同じ岩手県が舞台となった『あまちゃん』を現実的な方向に寄せた作品だと言える。


 だが、じっくり見ていると長女の彩佳が津波で行方不明になったということが会話の節々から明らかになってくる。唐突に挟み込まれる2010年に彩佳を撮影したデジタルビデオカメラの荒々しい映像は実に切なく、どれだけ登場人物が明るくはしゃいでいても、どこか暗い影が残っているという何とも微妙なバランスでドラマは成立している。


 本作のタイトルを見て、多くの人は震災をモチーフにしたドラマであるとはあまり思わないだろう。最終話こそ「死者とどう向き合うのか?」というモチーフが強く打ち出されるものの、列車コンでおこなわれるお祭り騒ぎや、そこで描かれるキャラクターの描写の方が強く印象に残るため、震災のドラマという印象は極めて薄い。しかし、普通に生活している町の人々のふとしたやりとりに震災の影が見え隠れする。


 現在フジテレビ系で放送中の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の震災描写と同様に本作もまた、2011年3月11日を、特別な日として自分たちの生活から切り離した非日常と捉えるのではなく、今の日常生活と地続きのものだということを描いているのだ。


 もちろん、このような間接的な描写が成立するのは、視聴者であるわたしたちの中にまだ当時の記憶が生々しく残っているからだ。これが今後、10年20年と経っていけば、震災を知らない若い世代も増えてくる。そうなれば、かつての戦争体験がそうであったように、記憶の共有が難しくなってくるだろう。


 その時はまた、ゼロから震災の情報を共有できるような形で物語化せざる負えなくなるのだろうが、現在は本作のように、震災時の描写は最小限にとどめて、行間を視聴者にゆだねる方が、より伝わるのではないかと思う。(成馬零一)