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KANA-BOONが『Origin』で提示する、“フェスで踊れるロック”以降の新たな音楽

2016年03月14日 14:01  リアルサウンド

リアルサウンド

KANA-BOON『Origin(通常盤)』

 新世代の代表から、ロックバンドの代表へ――KANA-BOONの3rdアルバム『Origin』からは、そんなスケールアップが感じられる。「フェスで踊らせる四つ打ちロック」という、2010年代らしいキャッチコピーが似合っていた彼ら。それはそれで、大切なことなのだ。若い世代に響くロックが、音楽シーンを揺さぶり、その後の常識を変えてきた歴史があるのだから。しかし、そのまま進むと、いつかは行き詰ってしまうことも、歴史は証明してしまっている。そんな心配は、もう彼らには無用だろう。今作にはもっと普遍性、そして独自性を感じる楽曲が詰まっているのだ。


 フェス文化の定着は、ライブのイメージや、音楽そのものを変えてしまった。「大衆性のあるロック=フェスで踊れるロック」という認識は、改めて言葉にするまでもなく、今や自然と体に刷り込まれてしまっているような気さえする。そんな状況下でさっそうと音楽シーンに現れたKANA-BOON。フェスが当たり前に開催されるようになった時代に、ロック思春期を過ごした彼らが、踊れるロックを生み出すことは必然だったのだろう。彼らは各地のフェスを踊らせ、大阪城ホールを踊らせ、日本武道館を踊らせた。さあ、次は? というところで、彼らが作り上げた『Origin』。“起源”という意味を持つタイトルからは、彼らが立ちかえったことを想像することが出来る。聴いてみると、バンドとしての原点だけではなく、個々の原点まで立ちかえったように思えてくる。


 というのも、谷口鮪の歌詞が、とてもストレートで、衝動的だからだ。〈踊れ 歌え 叫べ/誰でもない君だけのやり方で/君の目映る世界を開け/未知の向こう〉(「オープンワールド」)、〈焼けた街跡 TVが映し出す/大きな痛みが世界を包み込む/ニュースは三日坊主/その理由 どこにある?/悲しみ トレンドにしてしまう僕らにある〉(「インディファレンス」)――ビートにのせた、小気味いい言葉だけではない。照れ臭いほどに、腹の底から出てきたようなメッセージから、非情な現実を見据えた、生々しい糾弾まで。これまでも彼は、フロントマンとしての存在感や才覚を発揮してきたが、今作の歌詞は、もっとアーティストとして剥き身になったことを証明している。そして、そんな彼に感化されたのか、古賀隼斗、飯田祐馬、小泉貴裕も、個々の色を出すようになってきた。KANA-BOONは、間違いなく谷口が引っ張ってきたバンドだが、その若さや雰囲気から醸し出される4人の仲の良さ、みたいなところも際立ってきたと思う。そういった青春期を逸脱して、4人の独立したミュージシャンの集合体へと向かっていることが、今作からは伝わってくる。その変化によって、逆にバンド感が増したような気がする。そして、これからの伸びしろも見えてきた。


 今作には、先に書いたような、「フェスで踊らせる四つ打ちロック」を売りとするような楽曲が少ない。というか、聴いていると、そういえばないよね、と後々で気付くくらい、彼らのそれ以外の魅力が光っているのだ。メロディ然り、歌詞然り、それぞれのプレイスタイル然り。つまり、リスナーからのイメージやリクエストに応えなくても、彼らはリスナーを満足させるアルバムを作ることが出来るようになったのだと思う。もっと言うと、「フェスで踊らせる四つ打ちロック」という定義からはみ出ている楽曲も、歌えるし踊れるしフェスで聴いても楽しそうなのだ。もちろん、フェスに限らず、ホールで聴いても、ヘッドフォンで聴いても楽しそう……つまり、場所を選ばない音楽を生み出せたというところで、本当の意味での大衆性を掴んだと言えるのではないだろうか。また、先人の名前が脳裏に浮かぶような「いかにも」なフレーズは影を潜め、そういったことを想像する間もなく心を撃ち抜くキラーフレーズが増えたところも、大きな進化だ。


 〈君の姿は時が経てど変わりはしない/物語は終わりはしない/ナンバーワンのヒーロー/君の姿に僕ら何度救われたか/だから次は僕の番だ/オンリーワンのヒーロー/この声で救うよ〉――軽妙な、だけど自信と希望に満ちたアンサンブルにのせて、堂々たる宣言が響き渡る「Origin」で、今作は締め括られる。今まで開けていなかった引き出しも、ここで思い切って開けたのだろう。トンカントンカン、新たに作った引き出しもあったのかもしれない。だから、食わず嫌いの人にこそ、手に取ってほしい。今作からは、来年も、5年後も、10年後も、おじさんやおばさんも心が踊るような、とびっきりの“グッドミュージック”が聴こえてくるから。(文=高橋美穂)