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佐々木俊尚の映画『スティーブ・ジョブズ』評:“天才的なデザイナー”の片鱗が描かれている

2016年03月05日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)Universal Pictures (c)Francois Duhamel

 アップル社の共同設立者であるスティーブ・ジョブズが、1984年のMacintosh、1988年のNeXT Cube、1998年のiMacという3大製品のプレゼンテーションを行う直前の舞台裏にスポットを当て、その人物像を描き出した伝記映画『スティーブ・ジョブズ』が公開されている。ウォルター・アイザックソンによる伝記を原作に、『スラムドッグ$ミリオネア』のダニー・ボイル監督がメガホンを取り、『ソーシャル・ネットワーク』のアーロン・ソーキンが脚本を手がけた本作は、ITの革命児・ジョブズのどんな側面を切り取っているのか。IT・メディア分野に詳しい作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏に、本作の魅力を語ってもらった。


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■「“指揮者”としてのジョブズの姿勢が浮き彫りになる映画」


ーー本作は1984年のMacintosh、88年のNeXT Cube、98年のiMacという3つのアップル製品の新作発表会の裏側を描いた、いわゆる“内幕モノ”です。ジョブズの人間性はもちろん、仕事へのスタンスや抱いていたヴィジョンも想起させる内容でした。


佐々木俊尚(以下、佐々木):ジョブズが共同設立者の一人であるウォズニアックに対して、小沢征爾の指揮の素晴らしさを引き合いに出し、「君は演奏家で、私は指揮者だ」と言っていたのは、彼が果たした役割をうまく端的に表していたと思います。ジョブズはOSなどを開発する技術者ではなく、コンピューターの外観を設計するデザイナーでもなかったため、当時は「何も発明していない」と批判されることも多かったです。しかし、実際に彼が残した功績は、その後のIT産業の考え方に大きな影響を与えました。


 私は以前から指摘しているのですが、日本ではテクノロジーを文房具の延長のようにしか捉えていない部分があります。たとえばエクセルはデータを構造化して、コンピューターで読み込めるようにするソフトなのに、なぜか日本だと単なる方眼紙になってしまう。“構造化”というポイントが抜け落ちていて、だからこそ日本の電気産業やITベンダーは勝利できなかったのでしょう。


 コンピューターやスマホという製品の仕組みは基本的に、基盤にたくさんのモジュールが付いていて、その周囲をカバーが覆っているだけのシンプルなものです。そして、今や基盤やモジュールは誰でも簡単に手に入れることができる。iPodが発売されたばかりの頃、それを手にした日本のメーカーの者が「こんなものならウチでも作れる」と言ったという逸話があるように、一つ一つの部品はありふれているわけです。しかしジョブズは、“構造化”をよく理解していて、ハードウェアとソフトウェアをどのように組み合わせて、どういう価値を提供するか、垂直統合して全体設計をきちんとやった。iPodで言えば、使いやすいスクロールホイールやユーザーインターフェイスに加え、iTunes Storeで楽曲を提供するところまで設計している。


 かつては工業製品のデザインというと、どんな色でどういう形かが重要で、内部の機構はあまり関係なかった。しかし今は、どんなソフトでどういう通信をするか、それを人間がどう制御するかまで含めた全体の設計を指します。この発想がコンピューターやテクノロジーの世界では極めて重要で、そういう意味でジョブズはマッキントッシュの時代から天才的なデザイナーだったといえるでしょう。その片鱗が、この映画では全編を通じて描かれています。


ーー劇中で「自分はアーティストだ」と主張していたのも、象徴的でした。


佐々木:当時のコンピューターはオープンアーキテクチャが基本で、Apple IIもそうだったのに、ジョブズがプロジェクトの指揮を執ったMacintoshがクローズドだったのは、彼のアーティスト性を示していたと思います。きっと、彼が思い描く完成系のコンピューターを作り上げたかったのでしょう。


 ウォルター・アイザックソンの原作にもある一コマに、若い頃のジョブズが家具もなにもない部屋に住んでいて、「なぜ家具を置かないんだ」と質問したら、完璧な部屋を作りたいから簡単には家具を置けないと答えるシーンがあります。こうした性格も“全体を設計する”発想に繋がっていたのでは。


 ただ、当時は誰にも理解されなかったのも納得できます。Apple IIの開発者であるスティーブ・ウォズニアックと意見が食い違ってぶつかる様子も描かれていますが、ジョブズが間違っていると考えていたのは彼だけではないはず。


■「ジョブズの美意識が人間関係にも表れていた」


ーー第1章でジョブズとクリスアン・ブレナンの娘・リサが、Macintoshでマウスを使って絵を描くシーンがありますが、その様子を見たクリスアン・ブレナンは「玩具」と揶揄していましたね。


佐々木:当時はメモリーも非常に高価でCPUも遅かったから、コンピューターを制御するにはキーボードでコマンドを入力するのが当たり前で、マウスを使って感覚的に使用するというのは現実的ではなかったんです。先見の明はあったけれど、実際には技術の進歩が追いついていなかったのが、当時の状況だったのでしょう。


 実際、ジョブズはアップルに復帰してiMacを作るまで、なにひとつ成功していません。社会的にも業界的にも評価されていなかったし、Macintoshを作ったけれど失敗した人物と看做されていました。Apple IIのおかげである程度は保てていた業界シェアが、どんどん低下したのは、ジョブズの責任に依るところが大きいです。


ーー第2章ではスカリーとの確執も描かれていました。


佐々木:ジョブズは当時、Macintoshに莫大な資金を投下して開発し続けていましたが、あの段階でヒットさせることができたかというと、絶対に不可能でした。だから、スカリーが批判するのも無理はないです。その後、iMacが実用に耐えうるコンピューターとして実現できたのは、CPUのパワーが上がってメモリーも増設できるようになり、ハードウェアとしての余裕ができたからです。ムーアの法則で価格の破壊が進み、時期を待ってようやく製品になったといえます。


 ただ、NeXT Cubeの段階でも異様にデザインにこだわっていたのは、やはりジョブズらしいと思いました。今でこそコンピューターはおしゃれなものになりましたが、90年代のある時期まではデカくてダサい代物でした。そんな中、筐体の角の角度を1度単位で徹底してデザインしていたのは、興味深いところです。にも関わらず、あの段階でOSが完成していなかったというのも、真偽はさておき、いかにもジョブズ的なエピソードといえます。


ーー第3部では、いよいよiMacを発表する直前の内幕を描いています。


佐々木:iMacはきわめてミニマリズム的な発想で作られていて、当時としては画期的なコンピューターでした。フロッピーディスクドライブは搭載せず、CD-ROMドライブしかない。多くのスロットもなくて、USBを全面的に採用している。余計なものをどんどん削ぎ落としていって、とにかくシンプルにしたのは、ジョブズの美意識が反映されてのことでしょう。


 印象的だったのは、“余計なものを削ぎ落とす”美意識が、彼の人間関係にまで及んでいるように感じられたところ。劇中のジョブズは、面倒臭い関係性や古いしがらみを、徹底的に断ち切ろうとしているように思えました。かつて会社に貢献した人でさえも、いま必要ではなければ簡単に切ってしまうドライさがあり、究極のミニマリストといえるかもしれない。


 友人の一人が、ジョブズに「君のことが嫌いだった」と言うのに対し、「僕は好きだったけどね」と応えるシーンは、彼の人付き合いの特異さをよく表しています。目的を遂行するのが何よりも優先で、そのためには人間関係にヒビが入るのさえ厭わなかったことが伺える、非人間的な振る舞いです。


 相手からするとリスペクトがないように感じられ、それが多くの確執を生んだのでしょう。結果的にリサの学費を支払うことを決めたのも、あくまで合理的な判断に従ったように見えました。


ーージョブズの非人間的な振る舞いと、その才能は分かち難く結びついていたのでしょうね。


佐々木:IT業界でビッグビジネスを動かす人には、こういうタイプが多いように思います。アマゾン創業者のジェフ・ベゾスもそうだし、 テスラモーターズCEOのイーロン・マスクも、かなり変わった人物だと言われています。イーロン・マスクなんて社員と少し話をして、その専門分野で自分より知識がなかったらすぐにクビにしてしまうと言いますし。一歩間違えたら、単なるブラック企業の経営者ですよ。ほとんどロジックだけで物事を考えているというか。


 しかしながら鑑賞後、ジョブズに悪感情を抱くような映画ではない。脚本を手がけたのは、Facebookの創設者であるマーク・ザッカーバーグを描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』と同じくアーロン・ソーキンで、彼は二面性のあるヒーロー像を描くのがとても上手いと思いました。嫌なヤツであることは確かだけど、ちゃんとカリスマ性を感じさせることにも成功しています。


 そもそも、イノベーティブな企業経営者に最も求められるのは、道徳ではありません。最近はタレントや政治家の不倫スキャンダルが報じられていて、著名人に過度な道徳が求められているようにも思えます。たしかにタレントであればイメージを売りにしているので、相応の社会制裁があるのは仕方がないのかもしれませんが、一方で有能な政治家ならば、不倫をしようが良い仕事をしていればそれで良い、という考え方もあります。彼が不倫をすることと、日本の社会に直接の因果関係はないですから。本作でジョブズは嫌な人間として描かれていますが、だからこそイノベーションを起こす人物足り得たのも事実で、少なくともこの映画は彼の価値を下げるものではないと思います。


■「偉人が人生の局面を迎える瞬間を切り取った映画」


ーー本作に対し、アップルの現CEOであるティム・クック氏など、実際にジョブズと関係があった人々からは批判もあるようです。


佐々木:実在した人物を映画化する際には、どうしても恣意的な解釈が入ってしまうものです。近しかった人物からすると違和感を感じる部分があるのは仕方ないでしょう。スカリーやウォズニアックが不利な描かれ方をしていて、本作によって二人のイメージが悪くなってしまう可能性も否めませんし、当時のことを後からこうして評価するのは残酷に過ぎる気もします。ティム・クックはCEOとして、映画がアップルのブランドに与える影響を懸念した面もあるのでは。


 作劇的な部分でいうと、記者会見の寸前にあれだけのドラマがあったというのは、ほとんどフィクションだと思います。実際にリサが会いに行ったことくらいは本当かもしれないけれど、あそこまでドラマチックなやり取りではなかったはず。ただ、原作の伝記小説にあったエピソードはうまく散りばめられていて、そのジョブズ像はしっかりと再現していた印象です。あの上下巻に渡る長くて複雑な物語を、こういう形で切り取って映画化したのは、上手いやり方ですね。


ーーあえてスピーチのシーンは描かずに、ジョブズ像をあぶり出していく手法は斬新だと感じました。


佐々木:ダニー・ボイル監督の力量を感じますよね。ほとんどストーリーはなくて、ジョブズと周囲の関係性だけを描き、あそこまで魅せるというのは。会話劇に重きをおいたその作風は、アメリカ映画というよりフランス映画のような魅力を感じさせます。エスプリが効いているというか。


 一方で、ジョブズのストーリーを共有していないと、面白さがわかりにくい映画でもあります。たとえば、ジョブズがペプシコーラ社長だったスカリーに「いつまでも砂糖水の経営者をやっていて楽しいのか」と口説いたシーンなど、ファンにとってはお馴染みのトリビアが再現されているのですが、もとのストーリーを知らないとピンとこないでしょう。創業時のガレージもかなり丁寧に再現しているので、好きな人にはたまらないはずです。原作を読んでから観るのをお勧めしたいですね。


ーー細部でいうと、冒頭では『2001年宇宙の旅』を執筆したSF作家のアーサー・C・クラークが、巨大コンピューターの前に立ち「これからは個人がコンピューターを使う時代になる」と予言した、70年代半ばのインタビュー映像が挿入されています。この映画を、より意味深いものにしていました。


佐々木:ジョブズがコンピューター史に残した功績を示すうえで、とても象徴的な引用です。コンピューター自体は70年代にも使われていたけれど、当時のものはメインフレームと呼ばれる大型のもので、大企業だけが利用できる特別なものでした。60年代に西海岸から巻き起こったヒッピームーブメントでは、LSDなどの幻覚剤を使用して個人の精神を解放しようという思想があり、その考えは後に、コンピューターを大企業の手から解き放って個人のものとすることこそが、真の意味で精神の解放につながる、という風にシフトしていきます。


 そうした流れから考えると、ジョブズはコンピューターのパーソナライズドを成し遂げた人間の一人であり、60年代から始まった長い革命を、iMacやiPhoneといった製品によって成就したといえます。デジタルの空間を経由して人と人が繋がっている今の状況は、当時のヒッピーたちが夢見た新しい世界そのものです。


 その革命前夜に、なにが起こっていたのか。一人の偉人が人生の局面を迎える瞬間を切り取った映画であり、そのバックボーンに思いを巡らせると、さらに奥深く楽しめるでしょう。(取材・構成=松田広宣)