トップへ

『シェル・コレクター』監督が語る、“比類なきもの”への挑戦 「世の中に“なぞなぞ”を提示した」

2016年03月01日 11:21  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2016 Shell Collector LLC(USA)、『シェル・コレクター』製作委員会

 リリー・フランキーが主演を務める映画『シェル・コレクター』が、2月27日より公開されている。デビュー作『美代子阿佐ヶ谷気分』で海外の映画祭から高い評価を受けた坪田義史監督が手がけた本作は、アンソニー・ドーアの短編小説を原作としながら、沖縄の自然を舞台とした日米合作の映画である。盲目の貝類学者が、ひっそりと暮らしていた離島に流れ着いた女性・いづみの奇病を偶然にも貝の毒で治してしまったことから、それを知った人々が奇跡的な貝による治療を求めて次々と島に押し寄せ、学者の静かだった生活が豹変していくという物語だ。詩的な映像と実力派の役者陣による演技によって、独自のタッチを獲得した同作は、どんな狙いで制作されたのか。


参考:『シェル・コレクター』はなぜ“奇妙な映画”に? リリー・フランキー、池松壮亮らの演技から考察


■「西洋の文化を東洋の叙情に脚色するのは面白いと思った」


ーーリリー・フランキーさんをはじめ、寺島しのぶさんや池松壮亮さん、橋本愛さんなど錚々たるキャストが出演しています。撮影現場はどんな雰囲気でしたか?


坪田:キャストの方々は皆「もう、わけのわからない映画を……」という感じで(笑)。ただ、その“わからなさ”に興味もって頂いて楽しんでいる雰囲気はあったと思っているんですけれど、そう考えているのは僕だけですかね?


ーー(笑)たしかに不思議な魅力に満ちた作品です。キャストもそれぞれ個性的な役柄で、独特の雰囲気を醸し出しています。


坪田:リリーさんの創作物や出演作には以前から注目していて、本作の主人公はリリーさんしかいないと思ってオファーさせていただきました。まだ引き受けてくださるかどうかわからないという段階で、夜中の2時くらいにリリーさんの行きつけのバーに行って初めてお会いしたんですけれど、様々な分野でボーダーレスな表現者として活躍されている方なので、寓話と現実の狭間を描く本作にぴったりだと感じました。達観しているようでありながら、「おでんくん」のようなキャラクターを生み出すどこか少年のような感性もあって。


ーー寺島さんや橋本さんらの存在感もすごかったです。


坪田:寺島さんはずっとファンで、今回きわどいシーンもあったりして、お会いするまで緊張していたんですけど、実際、現場で会うと非常に気さくな方で安心しました。演技力はもちろんですが、カメラのフレームの中に寺島さんが入ると「絵画的」になるので、いつまでも撮っていたい方でした。橋本さんは、ほとんど台詞のない役柄ですが圧倒的な存在感を放っていますよね。キラキラと輝きを放つ方で、レフ板が要らないくらい。橋本さんの撮影のときは「存在感出して、存在感!」ってばかり言っていたような気がします(笑)。橋本さんは純粋でふわふわした雰囲気も持っていますけれど、真っ青な海の前を真っ赤な服で歩いている姿は、すごく鮮烈でした。


ーー沖縄の情景が非現実的なまでに美しく切り取られています。しかし、原作はアンソニー・ドーアの短編小説ですよね。アメリカ文学を日本で映画化しようと思ったのはなぜですか?


坪田:僕が前回撮った『美代子阿佐ヶ谷気分』はマンガ原作で、アパートの密室を舞台にした男女の話だったので、それとは対照的な自然と人を題材にした原作に惹かれたのがきっかけです。大自然の中にぽつんと人がいるイメージを広げて物語を描きたい、という欲求が湧いてきまして。盲目の貝類学者という、見えないからこそ手探りで物の質感を探るという感覚的な側面もある。盲目の貝類学者が、自然の中に身を委ね、見えないからこそ、自然の本質を感知し、暗闇の中を一筋の光に向かって進んでいくようなものを描きたいと思いました。この原作と出会ったとき、僕自身はアメリカにいてちょうど震災が起こった後でしたので、自然への畏怖や諦観というテーマも深いメッセージ性を持つと考えました。また、海外文学を日本映画として作り上げるという試みも、ほかにはあまりない珍しいやり方なので、西洋の文化を東洋の叙情に脚色するのは面白いと思ったんです。そこで、アメリカ文学の原作権をどう取得するのかというところから模索して、少しずつ映画化の企画が具体化していきました。


ーープロデューサーにエリック・ニアリ氏が参加するなど、日米合作の色が濃いですね。


坪田:いまはSNS等で世界中と繋がる時代なので、こういうやり方は今後、膨大に増えていくと思っています。一方で、配信サービスなども充実し、世界中の様々な映画を観ることができる環境が整ってきているので、ますますボーダーレス化は進むのではないかと。自宅でも映画を気軽に観ることができるようになって、映画館が少なくなっているという問題もあるけれど、少なくとも世界中の映画ファンと繋がることができるようになったのは良いことだと思います。


ーー本作は、一般的にイメージされている日本映画とは異なる雰囲気を獲得できていると感じました。


坪田:アメリカ文学が原作ということもあると思うけれど、リアルな劇映画というより、ファンタジーな世界感、寓話性を持たせようとして撮ったので、そこがほかの日本映画と違ったのかもしれない。リリーさんが寓話と現実の狭間で揺れ動いている姿を記録するような感じでした。僕は映画に限らず、既成のものってあまり好きじゃなくて。せっかく自分で映画を撮るのであれば、比類なきものとは、何なんだ?と考えて作ってます。


■「情景というのは、人の心も含めた景色や場面のこと」


ーー細部にはリアリティがあるのに、少し引いて見ると非現実的な世界が見えてきます。


坪田:ロケ地は沖縄だけど、作中でどこの場所の話かは明言していないし、時代設定もぼかしています。とある南の島で、地殻の変動が活発化し、火山の噴火の気配があって、戦争も忍び寄ってきている……というくらいの世界観で。レトロフューチャーをテーマに、ちょっとした小道具もいつの時代のものだかわからないものを選びました。近未来で、時代に取り残されてしまったような虚無感のある絵にしたかったんです。絵作りでもそれは徹底していて、たとえば16ミリフィルムで撮った映像と、高画質のデジタルの映像を織り交ぜています。アナログとデジタルが奇妙に混在しているんです。


ーー劇中でたびたび挿入される、映像作家の牧野貴さんによるイメージ映像も新鮮です。


坪田:CGをいっさい使わず、自然物の映像などを何重にも重ねて明滅させて作っているんです。静止画でよく見ると、空の雲の動きとか、葉脈とか、細胞のうごめき、海中の泡などの絵が重なって、それが明滅していることがわかると思います。盲目の貝類学者が抱いているビジョンや音のイメージ、記憶、そして解毒の作用、視覚的に表現したのが牧野さんのパートなんです。具体性のあるものを見せるか見せないか、そのせめぎ合いがあの抽象映像のポイントで、本作全体のあり方とも通じます。ストーリーラインもアンビエントなギリギリのところで構成し、編集も全然違うストーリーが何パターンもできて、どこに落ち着くべきかは迷ったところです。


ーー白と黒の狭間にある灰色の一点を突いていくような……。


坪田:僕は玉虫色、というのが好きですね(笑)。見る方向や光の当て方で色が変わっていくというか。映画でいうと、どこにカメラを置くかによって色彩の見え方が全然違いますよね。


ーーなるほど。たしかにこの作品はいろいろな解釈の仕方があると思います。カメラワークひとつ取っても、いろいろな情景を切り取っているという印象です。


坪田:今回、カメラは大ベテランの芦澤明子さんにお願いしたんですけれど、撮影中の彼女はエネルギーが凄くて、野生的に海辺の岩の上とかにバーっと走って登って行って「ここで撮りたい!」って叫ぶんですよ。そうすると屈強な若いイケメンの助手さん達が海の中を走っていって、彼女の為に重い機材を渡すという連係プレーを何度も見ました。フレームは芝居と景色のバランスを見ながら決めていると思うんですけれど、僕もファインダーの中になにが写っているかはすごく気にします。僕は“情景”という言葉が好きで、情景というのは、人の心も含めた景色や場面のことで、それをカメラで捉えようと思ったら、芝居だけを撮っていても、景色だけを撮っていても駄目なんですね。それに、情景って言葉の響きもなんだかエロティックじゃないですか。


ーーその情景を紡いで、なにかを提示しているのが本作であると。


坪田:そうなっていると良いですね。多くの矛盾を孕んだ世の中に対して、ひとつの「なぞなぞ」を提示したという感覚ですね。いろいろな解釈の仕方があっていい。この映画を観て、感覚的に触発される方がいたら、とても嬉しいです。(松田広宣)