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『シェル・コレクター』はなぜ“奇妙な映画”に? リリー・フランキー、池松壮亮らの演技から考察

2016年02月28日 18:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2016 Shell Collector LLC(USA)、『シェル・コレクター』製作委員会

 奇妙なタイトルが示すそのままに、変な映画だ。大部分が 16mmフィルムで撮影された画面のルックや ATG(※1)映画を彷彿とさせる音響、美術の効果だろうか、 それとも単に珍しいお話だから?…私はあれこれ考えを巡らせてみたが、なにより俳優たちの存在が大きいとした。


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 主人公・盲目の貝類学者を演じるのは、『盲獣 VS 一寸法師』以来15年ぶりの単独主演となった、リリー・フランキー。杖を手に砂浜を歩く、貝を愛でる、タイブライターを打つ、ラジオを聴く、海底に座っている(!?)、そうした行動のあらゆる瞬間が学者の長きにわたる孤独な人生を感じさせる。学者がなぜこうなったのか、何を考えているかの説明はほとんどなく、ただひたすら奇妙な世界の出来事が淡々と綴られていくのだが、この落ち着きぶりが本作の独特な点だ。それはまさにリリー・フランキーの柔らかい顔立ちと声色そのもので、もし誰か他の俳優が演じていたら、作品全体の空気感もまるで別物になっていただろう。(ちなみに同日公開される『女が眠る時』でのリリーの別人的怪演も必見!)


 学者の息子役を演じるのは、池松壮亮だ。ある日突然、学者の元に現れると「父さん」と言って抱きつき、そこから親子の物語がはじまる。だが、どうしても「こいつ実は息子でもなんでもないんじゃないか…」と疑ってしまう怪しさが池松には備わっていて、それが親子の会話をサスベンス劇のように見せる。慈善団体の一員でもある彼が語る言葉の数々—たとえば「もう戦争は始まってる」—が平穏なファンタジーを打ち破る。


 続いて、女優陣について語ろう。奇病に侵された画家を演じる寺島しのぶは、砂浜で気絶している登場からすでに、危険な香りを漂わせる。それが絶頂に達する絡みシーンの生々しさは近年の邦画でも出色だろう。学者を翻弄する彼女の存在が、序盤のいかがわしさを担って、暗く重いムードを作り上げる。対して、橋本愛はまるで幻影のように漂う。赤い服に身を包んで海岸に立つ姿の美しさは圧巻だ。また、クローズショットにおける艶やかな唇は、本編における貝に等しい秘宝として映されている。橋本愛は、このような神の化身のごとし象徴的な役を演じることができる数少ない若手女優であり、貴重だ。


 他にも、ロケーションになった沖縄県の出身俳優である普久原明や新垣正弘、瀬名波孝子らが脇を固め、「島」内のリアリティを守っている。「島」外からやっ てくる者たちの中にはアメリカ人もおり、観念的な日本語の会話にいきなり英語が混じってくる面白い試みがされる。そのアメリカ人・ジム・スタークは実は俳優でなく、映画ブロデューサーである。ジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・ブラネット』などを手がけている。


 このように本作は、選ばれし俳優たちの競演によって、独自の奇妙さを獲得することに成功した。それはもちろん、坪田義史監督の力があってのことだ。デビュー作『美代子阿佐ヶ谷気分』で見せた時代性に捉われない才気は、7年ぶりの新作『シェル・コレクター』でより先鋭化されている。この独自性も毒貝のように、触れたら麻痺してしまうかもしれない。


(※1)ATG とは、1961年から 80年代にかけて、非商業主義的なアート作品を数多く 世に送り出した映画会社「日本アートシアターギルド」の略称。初期はヨーロ ッバの作家映画を配給し、中期以降は大島渚や吉田喜重ら独立ブロ作品の支援、 後期は森田芳光らを発見した。本作は、まさにそんな ATG 映画の匂いを嗅が せてくれる。(嶋田 一)