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『ヘイトフル・エイト』美術監督・種田陽平が語る、タランティーノの撮影術「彼は巨匠になった」

2016年02月27日 11:31  リアルサウンド

リアルサウンド

『ヘイトフル・エイト』(c)Copyright MMXV Visiona Romantica, Inc. All rights reserved.

 クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ヘイトフル・エイト』が本日2月27日に公開された。前作『ジャング 繋がれざる者』に続く西部劇で、南北戦争から数年後、真冬のワイオミング州の山中を舞台に、様々な秘密を抱えた7人の男と1人の女による密室での会話劇と、そこで起こる殺人事件の真相が、ミステリアスに描かれていく。リアルサウンド映画部では、『キル・ビル vol.1』以来のタランティーノ作品参加となった、美術監督の種田陽平にインタビューを実施。13年ぶりにタランティーノ作品に参加することになった経緯や、タランティーノ監督の人物像、タランティーノ監督がこだわった70mmフィルムでの撮影などについて話を訊いた。


参考:映画館はネット配信にどう対抗する? 『ヘイトフル・エイト』極上爆音上映の狙い


■「特別な打ち合わせは必要ない」


ーー今回、13年ぶりにタランティーノ作品に参加されたわけですが、タランティーノ作品のプロダクションデザインは、日本の作品や他の海外作品と比べて、やり方なども異なるんでしょうか?


種田陽平(以下、種田):美術って国によってやり方が全然違うんですよ。撮影、照明、録音とか技術的なことは、世界共通なところがけれど、美術は一番ドメスティックな部分もあって、国によって全く違う。たとえば、日本とヨーロッパとハリウッドではやり方が違うし、役割の領域も違う。しかも、タランティーノ映画は、いわゆるハリウッド映画とはまた全然やり方が違うんです。「ヘイトフル・エイト」はユニオン映画なので、いわゆるAクラスバジェット映画なんだけど、どうも普通のハリウッドスタイルではないらしい。ハリウッド映画って、だいたいスタジオやプロデューサーが力を持っていて、スタッフィングとかも彼らが決めていくことが多いんです。だから監督が全部の権利を持っているわけではないんです。一方タランティーノ映画は、監督が全部決めている。プロデューサーは彼がやりたいことを実現させるために集まっている感じで、誤解を恐れずに言えば、アンチハリウッドスタイル。ハリウッドの1940年~50年代の、ジョン・フォードとか、オーソン・ウェルズとか、ヒッチコックとか、あの頃の巨匠と呼ばれていた人たちと同じようなやり方で作られているんじゃないかと思いまいした。


ーーそんなタランティーノ監督と今回2度目のタッグを組むことになったと。


種田:アメリカの1800年代の物語で、わざわざアジア人のプロダクションデザイナーを使おうっていう発想は、ハリウッドにはないわけですよ。クエンティン(・タランティーノ)は“クレイジー”だとよく言われるけど、“クレイジー”だからじゃなくて、すごく公平で、偏見がない人間だから、「今回、種田陽平がいいと思うんだよね」っていう発想になるわけで。


ーータランティーノ監督が今回、種田さんを指名した理由は。


種田:例えば、1980年代のアメリカが舞台だと、その時代に住んでいないから、僕がやる意味はないんじゃないかってクエンティンは言うんです。でも、西部劇の時代なら誰も見てきてはいないわけだから、自由にデザインができるというわけです。あとは『キル・ビル Vol.1』の美術のいい思い出というか、(クエンティンが)また一緒にやりたいと思ってくれていたみたいですね。


ーーそのようなオファーが来てから、すんなりと決まるわけですか? コンペ方式だったという話も聞きましたが。


種田:そうは言っても、一応向こうで何人かに会ってくれって言われて。コンペ方式というか、向こうはそれが常識なんです。だから、監督がこの人が本命だと主張しても、一応プロダクションやプロデューサーが推薦する人間にも会うみたいな。それでも、やっぱり監督が種田と一緒にやりたいと言ってくれた。それで、「決まったから来てくれ」と連絡がありました。


ーータランティーノ監督からはプロダクションデザインに関して、具体的な指示や注文、要望みたいなものはあったのでしょうか?


種田:クエンティンの場合、まず準備をしている時のスタンスは脚本家なんですよ。映画のバイブルは脚本なんだっていう人なんです。まあ当たり前なんだけど、今はそういう監督が意外と少ない。そういう人だから、脚本にすでにかなり細かく「こうしたい」と書かれているんですよ。「脚本読んだ? じゃあもう説明はいらないね」っていう感じで、特別な打ち合わせは必要ないわけです。


ーー具体的にはどのように書かれているんでしょうか?


種田:例えば、今回の密室劇の舞台、Minnie’s Haberdashery(ミニーの紳士服飾店)で言うと、「バーカウンターにはボトルが3本しか置いていないが、ここをバーと言うならバーと言えよう。料理はシチューしかないが、ここをレストランと言うんだったら、レストランと言えよう。雑貨や生活用品も売っている店だ。地元の人たちの交易所みたいな場所にもなっている。何でも揃っている店だが、ただひとつ、ミニーの紳士服飾店にないものがある。それは、紳士服だ」というようなことが書いてあるんです。だからこういう空間を作ってねっていうことで。このミニーの紳士服飾店には、彼の“ひねり”が入っているんです。Haberdasheryって言うと、普通は都会にあるテイラーのような高級紳士服店みたい店のことを言うんだけど、それをわざわざド田舎に置いて、しかも紳士服がないっていう。それで小道具担当の人が、紳士服じゃないんだけど作業着みたいなものを現場に掛けておいたら、クエンティンが「うーん、これいるかな? やめとこう。なし!」とか、最初はブーツとかも置いていたんだけど、「うーん、これもどうかなぁ。これなし!」となっていって。最終的に、紳士服はもちろん、着るものすら全部なくなった(笑)。


■「クエンティン(・タランティーノ)は巨匠監督になっていた」


ーー13年ぶりにタランティーノ監督と仕事をしてみて、どうでしたか?


種田:『キル・ビル Vol.1』の頃は、たぶん彼は39歳か40歳で、もう既に有名だったから若手監督ではないけど、まだ若手監督っぽいノリも残っていた。でも今回、本人の態度もそうだけど、周りの扱いも少しだけ巨匠監督になっていて。日本だと、バラエティ番組に出たり割とコミカルな印象だけど、あれは彼なりのサービス精神からやっていることで(笑)、そういう人じゃない。確かに巨匠になっていて、ビックリしもしたし同時に、とても嬉しかった。「あのオーソン・ウェルズみたいになってるな」という感じだった。僕、巨匠は好きなんですよ。新人監督ってどの時代もいっぱい出てくるし、才能がある若手もいるんだけど、新人監督が巨匠になることって、あまりないですよね。中堅まではいくけど、巨匠までいく人は現代では少ないわけです。でも、それは個人の資質というより、やっぱり今の映画界の実情だと思うんです。昔はハリウッドにも、フランスにも巨匠監督がごろごろいた。日本にだって、黒澤明、溝口健二、小津安二郎とかがごろごろいたわけだから。だから、クエンティンが巨匠になってきたというのは、僕には嬉しいことでもあるんです。


ーー13年前と変わっていないところもありましたか?


種田:ご機嫌になると大笑いしちゃうようなところ。そこは同じでしたね。役者のお芝居が面白く決まったりツボにはまると、カットの声を掛ける前にゲラゲラ笑っちゃう。「今のはすごい面白かった! じゃあもう一回やってみよう!」みたいな。たいしておかしいシーンじゃなくても(笑)、ご機嫌で撮影を続けていく感じ。そんなところは、13年前と全く変わっていなかったですね。


ーーじゃあ撮影時間も長くなりますよね。


種田:長いですよ。でも、モニター前で「カット!だめだよ、もう1回!」みたいな感じじゃないから、過酷って雰囲気ではない。役者のすぐそばでゲラゲラ笑いながら、「いやー面白かったよ! でももう1回」みたいな感じだから、役者もピリピリしない。端から見るとクレイジーかもしれないけど、その場にいるとすごく楽しい雰囲気ですよ。OKでも、もう1回撮ろうとするのは、俺たちは映画作りが好きだ、映画を撮影するのが好きだということだから、理にかなってるんですよ(笑)。


ーー何か撮影時の裏話とうか、印象的なエピソードはありますか?


種田:いっぱいありすぎて困るくらい(笑)。アメリカで報道されていたけれど、映画の中でジェニファー・ジェイソン・リーが弾いている、アンティークの超高価なヴィンテージギターを、カート・ラッセルが壊しちゃったっていう話。僕が聞いている話と報道されている話では内容が少し違うかもしれないんだけど。ジェニファーは、そのギターが1800年代のアンティークものだということを知っていて、ずっとそのギターを大切に扱っていたそうです。そのことは、助監督も知っていて、本番で唄い終わってカットの声が掛かると、壊す用のギターに変えて、そのギターを壊すという段取りになっていた。でもクエンティンがそれを知らなくて、カットっていう声を掛けなかったんです。カットが掛からなかったから、カート・ラッセルもそのまま芝居を続けちゃって、壊す用のギターに変えずにアンティークのギターをそのまま壊しちゃった。映画の中でジェニファーが「ギャー!」と叫んでいるけど、あれは本物のリアクション(笑)。それでみんなでその壊れたギターの破片を拾い集めて、監督、ジェニファー、カートが全員でサインをしたらしいです。『ヘイトフル・エイト』で壊されたアンティークギターということで、博物館が展示しているようですよ。そのシーンにも注目して観ると、また面白いと思います(笑)。


ーーすごいエピソードですね(笑)。あと、今回の作品は全編70mmフィルムで撮っているということも話題になっていますが、種田さんは70mmで撮ると聞いた時、どう思いましたか?


種田:聞いた時というか、もう台本の1ページ目に「70mmの大画面」って書いてあるわけです。そこから入るわけですからね。「70mmの大画面に広がるワイオミングの広大な山々」と書いてあり、70mmなしではこの映画はないという感じですよ。それも1回だけじゃなくて「またも70mmの大画面に…」ってもう何度も書いてある(笑)。台本にも、ティザーポスターにも、あらゆるところに「70mmシネマスコープ」って入ってる。今回は、まず一緒に70mmの『ベン・ハー』を観に行ったりとか、そんなとこから始まったりもしていて、70mmに対するこだわりがすごいわけですよ。


ーーなぜそこまで70mmにこだわっていたんでしょうか?


種田:そのこだわりはたぶん、彼が幼少時代に70mm映画を観に行った時の思い出や感動があるからだと思いますね。ドームで観たんだと言っていたから、シネラマドームかな。当時、そこで『ドクトル・ジバゴ』とか『アラビアのロレンス』とか『サウンド・オブ・ミュージック』とかが上映されていて。でも、クエンティンは、本当に70mmで全編撮ったのは、60年代の『おかしなおかしなおかしな世界』が最後なんだと言っていて、全編70mmで撮ることにすごくこだわった。彼の原体験に基づいているわけですよ。今のシネコンなんてクソ食らえだ、ロードショーじゃなきゃダメなんだ、それが本来の映画館のスタイルなんだって。僕もほぼ同じ時代に同じ映画を観て育ったけど、アメリカ人の彼にとっては、僕たち以上にロードショーで70mm映画を観たという幸福な記憶が強く焼き付いているんですよね。


■「丸の内ピカデリーとか大きなスクリーンの劇場で観てもらいたい」


ーー70mmで撮るということで、プロダクションデザインにも影響はありましたか?


種田:僕はまずメインセットをスケッチするんですけど、最初、いつも通り1:2.35のシネマスコープサイズで描いていた。それで、そのスケッチを撮影のボブに見せたら、「陽平、違うんだよ。70mmは1:2.35じゃなくて、1:2.75なんだよ」って言ってきたんです。そのサイズにするために、描き足したりした。ジブリでアニメの仕事をした時に、黒紙でフレームを作って、それをスケッチに当ててサイズ感を知るというのを覚えたので、今回は70mmサイズでその黒紙を作ったんです。そこから、絵のプレゼンをするのも何をするのも、全部それに切り替えて、監督にもその黒紙を使いながら説明していきました。


ーーなるほど。


種田:70mmの話をすると映画ファンにしか分からないみたいになっちゃうけど、この映画を観たら誰しもが普通の映画とは違うなって思うはずなんですよ。日本には70ミリの映画館がもうない。だから70mm上映では観れないんですよ。せめて、みなさんには、丸の内ピカデリーとか大きなスクリーンの劇場で観てもらいたい。そうすると、オリジナルの雰囲気が分かるから。ロードショーっぽい劇場で観ると、本来のクエンティンがやりたかった世界が分かる。しかも普通は、『ドクトル・ジバゴ』とか『アラビアのロレンス』みたいな、山だの川だの町だの、いろんなシチュエーションがある時に、70mmというのは最高で、密室劇には本来あまり向いていない。じゃあ何で70mmなんだって思うでしょ?


ーーそうですね。


種田:ところが僕、わかったわけですよ。なぜ70mmで撮ったのかということが。70mmって、フィルムもレンズも、ピントはもちろん合うんだけど全てには合わないんですよ。デジタルとか今のカメラと違うんです。でも70mmは、顔にピントを合わせようとすると、周りがボケボケになって、しかも幅が広くて端と端でレンズ間の距離が違ってくるから、そのボケ具合も変わってくる。だから、カットによっては見た目と全然違う空間に撮ることができる。繋がったものを観た時にようやくそれが分かった。あと、普通は70mm用にセットをデカく作りがちなんだけど、監督が「デカく作らないでくれ。小さくしてくれ」と言うから、15m×15mの小さいセットを作った。そこに70mmなもんだから、あるところにはフォーカスがくるけど、あるところではフォーカスが効かないわけですよ。しかもライティングがすごく難しくて、撮影監督はすごく工夫している。そうすると、あるカットでは椅子がハッキリ分かったり、あるカットではピアノがハッキリ分かったり、あるカットではキッチンがハッキリ分かったりするから、ほとんどのできごとがミニーの店の中、それもワンルームに近い空間で起こるのに、空間に多様性があってお客さんは観ていて飽きないとなるわけです。


ーー確かにワンルームとは思えないほど映像のバリエーションがたくさんありました。


種田:普通の機材であれをやっていたら、たぶん20分ぐらいで「どこ撮っても同じだな」となってしまう。つまりお客さんは飽きてしまう。ところが、ライティングもワンカットごとに変えていて、70mm撮影の特性を生かして撮っているから、時には空間がすごく広く映るし、時には人物や家具などがすごく近くに見えるし、もうバラバラで多様なわけです。だから、「あれひとつのセットじゃないですよね? セットがいくつもあって、いろんなセットで撮ったものを混ぜてますよね?」とハリウッドの取材陣にもすごく聞かれたんです。正確に言うと、山の中に作ったセットと同じものをハリウッドのスタジオに作っているから、2つのセットなんだけど、基本的に同じセットなわけです。でも、そうは見えなくて、つまり最後まで飽きない。僕自身も最後まで全然飽きなかった。それは、(黒紙でつくった枠を指して)コイツ、つまり70mmのワイド画面のおかげだったんですよ(笑)。


ーーなるほど(笑)。セットを作るのにもかなり苦労されたんじゃないでしょうか?


種田:本当は、ちょっとパーテーションがあったり、廊下があったり、凹凸があったりしたほうが、空間的には面白いんです。でも、監督が「みんなが見えるようにしたい」と死角を作るのを嫌ったから、高低差もつけないワンルームにして。普通だったら、前菜が出て、スープが出て、肉が出て……となったほうが、美術的にはゴージャスで楽しめるんですけど、そういうのが一切ない。一杯のラーメン丼ぶりの中にすべての宇宙がある、みたいなやり方ですよね。『キル・ビル Vol.1』の時なんかは、何でも「いいね! いいね!」とフルコース状態だった。でも今回は、「椅子の高さがちょっと低いな」とか、「このボトルがちょっと邪魔だからこっちと変えるか」というように、監督自身が自分でラーメンの中のチャーシューの位置を直したりする感じだったから、逆にすごく難しかった。監督は自分が役者に乗り移っちゃうタイプだから、役者が入る前にセットで1時間ぐらい役者を演じるんですよ。「みんな出て行ってくれ」ってセットから全員出しちゃって、1人で部屋に入るところから芝居をやるんです。彼はその人物になりきって、あらゆるものをチェックする。見た目でやっているんじゃないんですよね。「このテーブル、ちょっと低いからもうちょっと高くしてくれないか」とか。リハーサルの時にテーブルも椅子も全部置いて、位置確認を何度もやって。だから今回の作品はそういう意味で言うと、舞台劇に近いかもしれないな。それを70mmで撮っているから、舞台では見れないような、ひねりが加わった作品になっていると思います。(宮川翔)