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ボクサー・辰吉丈一郎はどう家族と向き合ってきたか? 20年のドキュメンタリーに刻まれた生き様

2016年02月26日 18:52  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)日本映画投資合同会社

 ボクシングの試合を観て、熱くなり、声を出し、感動に打ち震え涙を流した経験はあるだろうか? 私事で恐縮ではあるが、1991年9月19日、辰吉丈一郎の世界タイトルマッチ初挑戦の試合で筆者はそれを経験した。


 彼の試合は、人の心を根底から揺さぶる。そこに勝敗は関係ない。もちろん勝つに越したことは無いが、負けてもなお、人々の心をつかんで離さないのが辰吉丈一郎の試合である。


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 そんな辰吉丈一郎の20年間を追ったドキュメンタリー映画『ジョーのあした -辰吉丈一郎との20年-』がいよいよ今週末、2月27日(土)に公開される。監督を務めたのは、『どついたるねん』(1989年)や『鉄拳』(1990年)などのボクシング映画のほか、『闇の子供たち』(2008年)や『座頭市 THE LAST』(2010年)など、数々の名作を撮ってきた名匠・阪本順治。『BOXER JOE』(1995年)撮影以来、20年に渡り辰吉丈一郎の姿を撮り続けたドキュメンタリー映画である。


 1989年にデビューし、45歳になるいまでも現役で生き続ける辰吉は、周囲の雑音も気にせず、ただひたすらボクサーとして生き抜く。この映画は、ボクサーのドキュメンタリー映画ではあるが試合シーンはほぼ出てこない。余計な演出を一切廃して、人間・辰吉丈一郎の愛に溢れた生き様を、節目ごとに行ったインタビュー映像を紡ぐことで描き出している。


 父・辰吉粂二(くめじ)に男手ひとつで育てられた辰吉の、「生まれ変わってももう一度自分に生まれたい。父ちゃんの子で生まれたい」と語る姿から、本作は幕を開ける。その一言は、どれだけパンチを喰らっても前に出続け、初めて世界チャンピオンとなり、父親に向けて「やったで!」と親指を立てたあの日の試合を、まるで昨日のことのように思い出させる。


 顔も知らぬ母親に対しての心情も吐露されているが、その悲しみの深さを知るからこそ、自分の家族に対して惜しみない愛情を注いでいることもわかる。「引退後は24時間、子どもの父ちゃんでいたい」という言葉には、父としての辰吉の心情が集約されているようにも思える。


 かつてテレビのドキュメンタリー番組で、自分の子どもが学校へ集団登校する際に、毎日ジョギングでついていき学校へ送り届ける姿を観たことがあるが、そうした行動は場合によっては過保護に映るかもしれない。しかし、この映画を通じて辰吉の心情に触れると、その態度もまた正しいのだと思わされる。


 阪本監督と辰吉の信頼関係も、本作からは滲み出ている。公私ともに深い交流を持つ監督だからこそ、全編に渡って辰吉の「愛」を捉えることができたのだろう。また、1回のインタビューを33分(16ミリフィルム1本11分×3本分)と決め、監督自らもボクサーのような制限時間の中で撮影していることが、ある種の緊張感ももたらしている。まるで辰吉と監督との試合を観ているかのようだ。


 また、年月を追うごとに変化していく辰吉の「顔」も、本作の見どころである。ときには言葉以上に生き様を語っており、観る者の脳裏に刻み込まれていく。


 映画の後半では、ジムに所属せず、近所のマダムたちがエクササイズをする横で黙々とサンドバッグを叩き続ける姿が映し出される。辰吉は4度目のチャンピオンになるまで、父の納骨はしないと決めており、いまもまったくその夢を諦めていないのだ。


 しかし、息子がボクサーになることについて聞かれると、「自分の子供がどつき合いする姿を見たい親がどこにいる」と辰吉。永遠のボクサーでありながら、親でもある彼の複雑な感情が垣間見えるシーンで、その人間味に思わず共感してしまう。


 この映画は、ボクシング映画である以上に、ひとりの男が抱く哲学に向き合い、その根底に流れる家族愛を捉えたドキュメンタリー映画だ。 辰吉丈一郎の心に寄り添うと、「愛とは何か」という根源的な問いについて考えざるを得ない。(ISHIYA)